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蹲踞を零れて萩の咲きにけり

2024.09.30 06:07

Facebook相田 公弘さん投稿記事【ぶれないこと、群れないこと、付和雷同しないこと】

高野てるみ氏の心に響く言葉より…

《仕事を続ける力は、「少女力」の精神と「孤独力」という武器》

ココ・シャネルがいかに偉大な女性であったかということよりも、少女のような目線を失わなかったことこそ、注目に値するところなのです。

「わたしがやってきたことは、みんな子どものような無邪気さでやったことなの。」

という言葉がありますが、生涯錆びつかせなかかった、彼女の「少女精神」。

大人(男性社会)が作り上げた世界におもねらず、妥協を許さず、厳しい子ども時代にもめげず、大人の女性となるも異性に媚(こ)びることなく、人を恨んだり、羨(うらや)んだりしない、凛とした高潔さ。

これらを貫いて生きてこられたことは、まさに彼女の言う、「少女力」を生涯失わず、発揮したいということでしょう。

それなら、だからこそ、誰もが挑戦すれば成功のチャンスがあり、なのです。

加えて彼女が生涯を通じて手にした確たることが、仕事に必要なのは「孤独力」であること。

世の価値基準を当てはめられたら、恵まれなかったと思われがちな彼女の子ども時代。

それはシャネルにとっては「負」の要素ではないかと思われがちです。

ところが、彼女自身が世の中に出て感じ得た「負のパワー」とは、実は、不幸な境遇や出自を超えた、成功してからでもなお、こうむりかねない人々の妬(ねた)み、嫉(そね)み、恨み、羨(うらや)みなどではなかったかと思えます。

この「負のパワー」こそ前向きな姿勢や精神を削(そ)ぐものであり、全身を阻むもの。

そのパワーを振り払える力があれば、くじけず、めげず、妥協のない仕事も人生も実現できるはずということになるのです。

そこで彼女が信じて身につけたのが、「孤独力」。

ぶれないこと、群れないこと、付和雷同しないこと、などなど。

今の時代にこそ、最強の武器になりそうです。

『仕事と人生がもっと輝く ココ・シャネルの言葉』イースト・プレス

「少女力」とは、「幼心(おさなごころ)」であり、子どものような「ときめく心」。

小さな子どもが、次の日になにか楽しいイベントがあるようなとき、「ワクワクドキドキして眠れない」というようなこと。

しかし、大人になるにつれ、その感動はうすれ、ときめくことが少なくなってくる。

「すなほなる をさな心を いつとなく 忘れはつるが 惜しくもあるかな」

明治天皇の御製だ。

大人になると、素直な心を失ってしまいがちだ。素直な心は、幼心(おさなごころ)でもある。子どもの頃は、好奇心があり、何も見ても「ハッと驚く」感性を持っている。

そして、毎日をワクワクドキドキして過ごす。子供っぽさを忘れることはとても惜しいこと。

そして、「幼心 」と同時に、「孤独力」も必要だ。「孤独力」は自律した大人だけが持てるもの。自律した大人は、「ぶれない」「群れない」「付和雷同しない」。

真の大人は…人から嫉妬されたとしても、人を嫉妬しない。

人から恨まれたとしても、人を恨まない。そして、羨まない。

「ぶれないこと、群れないこと、付和雷同しないこと」

いつまでも、子供のような幼心を忘れない真の大人になりたい。

**

仏教詩人の坂村真民さん、「念ずれば花ひらく」は、36才で未亡人になり、女手一つで5人の子供たちを育てた坂村真民さんのお母さんの、念仏といってもよい自己激励のことばでした。 坂村真民さんは、母をテーマにした詩も多く書かれています。

「念ずれば花ひらく」 坂村真民

念ずれば 花ひらく 苦しいとき 母がいつも口にしていた このことばを わたしもいつのころからか となえるようになった そしてそのたび わたしの花がふしぎと ひとつひとつ

ひらいていった

「昼の月」  坂村真民

昼の月を見ると 母を思う こちらが忘れていても ちゃんと見守って下さる 母を思う

かすかであるがゆえに かえって心にしみる 昼の月よ

お母さんに大恩を感じ、報いたいと念じで生きてきた真民さんの気持ちが、詩に、にじみでています。

「二度とない人生だから」 坂村真民

二度とない人生だから 一輪の花にも 無限の愛を そそいでゆこう

一羽の鳥の声にも 無心の耳を かたむけてゆこう

坂村真民さんは、「詩国」という詩集を無料頒布されていました。「一隅を照らせ」と良く言っていました。自分のいる場所で、一隅を照らせば、それで良いのですよと、言っていました。

「生きてゆく力がなくなる時」  坂村真民

死のうと思う日はないが 生きてゆく力がなくなることがある そんな時お寺を訪ね

わたしひとり 仏陀の前に坐ってくる 力わき明日を思う心が 出てくるまで坐ってくる

真民さんは言います。

「病気よし、失恋よし、不幸よし、失敗もよし、泣きながらパンを食うもよし、大事なことは、そのことを通して、自分を人間らしくしてゆくことだ。人のいたみのわかる人が、本当の人間なのだ。」

また、真民さんは言います。

「二度とない人生だから、どんな失敗をしても、どんな挫折をしても、どんな病気になっても、生きねばならぬ。その力を信仰から頂かせてもらうのだ。 わたしが詩を作るのも、生きがたい世を生きたいからである。」

「南無の祈り」  坂村真民

生きがたい世を 生かしてくださる 南無の一こえに 三千世界がひらけゆき 喜びに満ちてとなえる 南無の一こえに この身かがやく ありがたさ ああ 守らせ給え 導き給え

「ただいま」  坂村真民

行ってきますといって 出ていった子が ただいまかえりましたといって 学校からかえってくる 小学校一年生の女の子の こえの美しさ そのひびきの好さ

坂村真民は、自分と他人を励ますための詩を、平易な言葉で書きました。

現代詩の詩壇とは、全く無関係でした。

現代詩壇から言わせると、真民さんの詩は、「簡単すぎる」、「技巧が無い」ということになるでしょうが、真民さんは、そんな事は、気にもかけていなかったでしょう。

自分を励まし、人を励ますための詩作を、自分の生涯の使命として、詩集を無料頒布していましたから。数点、紹介します。

今を生きる  坂村真民

咲くも無心 散るも無心 花は嘆かず 今を生きる

大恩  坂村真民

三つの時の写真と 七十三歳の写真とを 並べて見ていると 守られて生きてきた 数知れないあかしが 潮のように迫ってくる 返しても返しても 返しきれない 数々の大恩よ

赤ん坊のように 坂村真民

どうでもいいという 人間からは なにも生まれてはこない そういう生き方からは

なにも授かりはしない 祈るのだ 願うのだ 赤ん坊のように いのちの声を はりあげて

呼ぶのだ

希望  坂村真民

漫然と生きているのが 一番いけない 人間何か希望を持たねばならぬ 希望は小さくてもよい 自分独自のものであれば 必ずいつか それが光ってくる そして その人を助けるのだ

鈍刀を磨く  坂村真民

鈍刀をいくら磨いても 無駄なことだというが 何もそんなことばに 耳を借す必要はない

せっせと磨くのだ 刀は光らないかもしれないが 磨く本人が変わってくる つまり刀がすまぬと言いながら 磨く本人を 光るものにしてくれるのだ そこが甚深微妙の世界だ だからせっせと磨くのだ

ほろびないもの 坂村真民

わたしのなかに 生き続けている 一本の木 わたしのなかに 咲き続けている 一輪の花

わたしのなかに 燃え続けている 一筋の火 ものみなほろびゆくもののなかで

ほろびないものを求めてゆこう 人それぞれになにかがある筈だ