被災地支援に行ってみて
石川県能登半島の被災地支援ボランティアに行ってきました。
ニュースを見て、思い切って予約して、来てみたけれど、やっぱり来てみないとわからないことばかりで貴重な時間でした。
石川航空学園さんが、校舎内を開放してくれて
ボランティアのベースキャンプ地として使えるようになってました。
教室の中に10日くらいのテントが貼られてあり、一人一部屋のような形で使えました。
無料でこういったボランティアのための施設があるということで、ボランティアの参加がしやすくなるのだと感じます。
被災地派遣という形で
自衛隊や消防の方々もいました。
能登の市民の方々が、今回の豪雨災害で本当に心が折れてしまったというニュースの映像でしたが、実は自衛隊も豪雨災害の10日前くらいに、地震のときの派遣が一旦終了して、実際の各勤務地に戻っていた最中の、再派遣ということで、心が痛んでいると聞きました。
活動場所は、珠洲市で床上浸水してしまったお宅の納屋の中の家財の運び出しが中心でした。
地震のときに家がやられ
その家の中で地震でも、何とか残ったものを
納屋にいったん収納していたのに
その納屋がやられてしまったと…
今回は、そういう
『地震の時に大丈夫だったものを大切にしてきたのに、それを失った』
という事が多いのだと
だから、本当に心が折れていると思いました。
家主さんは、そんな話をしながらも
とても元気で気さくな方でした。
今回の被災での悲しみや辛さもあるとは思いますが、それ以上に私達ボランティアのみんなへの心からの感謝を何度も伝えてくれて
しかも、笑顔の中で元気に伝えてくれて
こちらの方が元気を貰えたような気がしました。
ボランティアの仲間は、石川県、富山県、愛知県、三重県、日本全国を旅している方、神奈川県、東京都など、いろんな場所から来ていました。
何度もボランティアに参加している方が多く、温かく、いろいろと気遣い、気づきのある皆様で、優しい空気を感じました。
かなりの家財を運び出し、必要か廃棄かの仕分けをして、トラックに詰んで、廃棄場所まで運んでの繰り返しでした。
やはり、人の数の力は大きく
最初はどうなるかと思ったものの
少しずつ確かに作業が進んでいきました。
力に少しでもなれて良かったです。
ただ、同時に、まだまだ同じように大変な家や施設もあるのだと思いました。
今回
一番の衝撃と悲惨さは
水害の被害状況というよりも
震災被害がまだまだ残っているということでした。
これまでの能登半島の状況を把握していない私としては、まるで昨日地震が起こったかのような街の姿がありました。
ただ、それは、あくまでも自分の感じた印象であって、地震から9ヶ月間、本当に毎日毎日、懸命に復興復旧活動をしてくれた多くの方がいて、多くの汗が流れて、多くの優しさがあったことは、言うまでもありません。
地元の方は、
『ここらの道もかなり綺麗になった』
とか
『これでもだいぶ解体が進んできた』
という声も聞けました。
ただ、まだまだ残っているのが現状でした。
崩れたままの家
傾いた家
ブルーシート
ひび割れている壁
曲がったままの電柱
復興というよりも
解体作業を順番待ちしている家がまだまだ多くあるようでした。家の解体をするにも、家主さんが同席しないといけない等のこともあるようで、避難しているから、なかなか同席ということも簡単ではないなど、手続き上の時間的空間的な課題もあるようでした。
家主さんからは、
ここから見える家は、遠くの含めて、あの新しい三角屋根の家以外は、全部取り壊し
と言っていました。
見えただけでもいい15棟以上はありました。
それが、今も解体されないまま残っています。
震災から9ヶ月の現状を目の当たりにしました。
そんな中の水害…
想像を絶する自体ですが、
時間はかかると思いますが
一歩一歩
あきらめずにやっていけば
いつかはその日が来ると思います。
希望を失ったという石川県、能登半島
ボランティアや自衛隊、消防、土木作業員の方々、現地の頑張る人達、全国からの義援金
そういったものが、希望を再び芽生えさせるための根っこになるのかもしれません。
拙い文ですが、最後までありがとうございました。