2024.10.02 16:10
豊かな心とは
何かを信じられる心だと思うのです。
宮城顗『正信念仏偈講義』より
キリスト教のカトリックで長く続いてきた慣習で、まだ何も知らない幼児に洗礼を受けさせ、キリスト教徒にする「幼児洗礼」というものがあるそうです。これに関する有名な論争がかつてあったそうです。大変おもしろいと思ったので、少し紹介させてください。
有名なバルトという神学者が幼児洗礼を批判して「信仰とは神との一対一の契約であり、主体的な意志を持たない幼児に『洗礼』を行うのはキリスト教への冒涜だ」と言いました。当時これは、あまりに正しい意見であるように思われ、なかなか誰も応じられなかったそうです。
しかし、バルトの大学での同僚であるクルマンという研究者が、これに反論したそうです。「信者は神に全てを捧げる、それに対し神は救済と魂の安寧を与えるという神との一対一の契約。それは素晴らしい考え方だが、実のところそれは信仰ではない。キリスト教の信仰とは何か。それはまず神からの一方的な贈りものなのだ。まず初めに神の愛なのだ。『幼児洗礼』とはその神からの一方的贈与の純粋な形なのだ。信仰とは『神への愛』である前に何より『神からの愛』なのだ」という意見として。難しいですがおもしろいですね。
どちらが正解というのでもなく、この論争はいまだ続いているようです。ただ私はクルマンの意見に感動を覚えました。他力の信仰と通じ合う気もします。