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木蓮

2024.10.03 10:08

はくれんの空に咲きたる昔かな 五島高資

過ちを改めてはくれんの咲く  高資


https://yuuyakeni.blogspot.com/2009/10/blog-post_11.html 【木蓮の実(もくれんのみ)】より

まるで恐竜が首を出しているようだ。

広い屋敷の入り口に、大きな紫木蓮が咲いていたのは春だった。  

今はごつごつとした赤い実をつけている。

あの優雅な紫木蓮が、こんな姿に変貌するとは気がつかなかった。

屋敷は閑散として、マンションが建つらしい看板があった。

この辺りの大きな家は次々と姿を消し、区分けされて売られていく。

この大きな紫木蓮も、伐採されてしまうのだろうか。     

売り出され寡黙なる家木の実落つ     茜 

(うりだされかもくなるいえきのみおつ)

秋の季語:木の実落つ


花: 🌷🌸🌹🌼🌺🌻@lilacblueblue

4月15日の花:モクレン(木蓮) 花言葉:恩恵 モクレン科 渡来:平安時代中期

原産地:中国 地球上で最古の花木人類誕生のはるか前、1億年前の化石が発見されている

アリストテレス :古代ギリシアの哲学者高潔な人は「恩恵」を施すことを好むが「恩恵」を施されることを恥じる


Facebook相田 公弘さん投稿記事  「花が見ている」相田みつを                  

庭の木蓮が咲きました 白い花です 人間のことばでは表現できぬ 浄らかな白い花です

わたしはいま花の下に立って 木蓮の花を見ています 木蓮の花もわたしを見ています

損だとか得だとか 勝ったとか負けたとか 金が有るとか無いとかという人間の分別心とは

全くかかわりのない 純白な花のこころで 人間のわたしを見ています

気が小さくて臆病で そのくせ自己顕示欲だけは 人一倍強い おまけに美女にも弱い

そしてうそもよく言う どうしようもない人間のわたしを木蓮の白い花が見ています

※出典「雨の日には・・・・・・」(文化出版局)


Facebook加藤 由佳さん投稿記事  紫木蓮(しもくれん)

おはようございます。今日は、快晴の朝。叔父が造る庭より・・・

春に、短い枝先の銀色の毛皮をかぶったようなつぼみの日当たりのよい南側がふくらみを増して、花弁の外側が赤紫色で内側がほんのりと紫がかった大きな六弁花が上向きに咲きます。

また、木蓮と言えば、白い花を思い浮かべる方が多いと思います。木蓮って基本的には紫色の花を咲かせる紫木蓮(しもくれん)の事を指します。木蓮は、地球上で最古の花木といわれ、1億年以上も前から花の形が変わっていないそうです。

木蓮は、花が蓮の花に似ているため、その名が付きました。木蓮華(もくれんげ)とも呼ばれます、蓮華の花にも見立てられたのでしょうか。古くは蘭の花に似ていると言われ「木蘭(もくらん)」と呼ばれていたこともあります。原産地と言われる中国では紫玉蘭、木蘭、辛夷などの名前が付けられています。中国では、古くから人気のある花です。

木蓮(もくれん)は、公園樹や街路樹、庭木としておなじみの花です。大きく美しい白や紫、薄桃色の花は世界中で愛されています。紫木蓮は、柑橘系で上品で甘い香りです。「マグノリアの香り」と呼ばれ、材料として泰山木が使われたものです。

花言葉

「自然への愛」「持続性」「崇高」「高潔な心」「崇敬」「忍耐」「威厳」「恩恵」

その花姿とともに深い意味を持ち、人生を歩む人々の力となっています。木蓮と言えば、スターダストレビューの「木蓮(木蘭)の涙」のイメージがあり、少し儚げな印象も強い花です。その儚さは、木蓮の花の開花が3日~4日と非常に短いことにも、由来するのかもしれません。

木蓮の花言葉は、「蓮の花のよう」と言われる花姿のように、別れの悲しみを超えた、強さや深みがあります。何も言わずそっと寄り添う花々は、人を静かにゆっくりでも、でも時間とともに再生してくれます。

お出かけの皆さん、お気をつけていってらっしゃい。


https://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/cgi-bin/g_disp.cgi?ids=19990408,20000419,20020312,20080205,20080320&tit=%96%D8%98%40&tit2=%8BG%8C%EA%82%AA%96%D8%98%40%82%CC 【季語が木蓮の句】より

 葉がでて木蓮妻の齢もその頃ほひ  森 澄雄

木蓮は、葉にさきがけて紅紫色の花を咲かせる。白い花をつける白れん(「白木蓮」とも)も花が先だが、同属にして別種。どちらも「葉がでて」きたら、はなやかさとは縁が切れる。ところで「立てば芍薬、すわれば牡丹」の昔から、女性を花に例えることはよく行われてきた。植物学の牧野富太郎博士は「花は単なる生殖器です」とあからさまな「学問的真実」を書きつけているけれど、もとより古人の言葉には、そういう意味合いは含まれていない。私たちは、女性の姿や立ち居振る舞いに、直感としての「花」の外観的イメージを当て嵌めてきただけである。が、この句のように、正面切って花季の過ぎた植物の風情を当て嵌めるということは、あまり行われてこなかった。例えば「姥桜(うばざくら)」のような一種の陰口はあったにせよ、この句はそういうこととも違うし、珍しい作品だ。見知らぬ女性のことを言ったのではなく、相手が妻だから言えたのだろう……。さらに言えば、愛妻家だからこそ可能な表現だったとも。句は、たしかに女盛りを過ぎた妻をいとおしいと詠んでいる。「頃ほひ」とぼかして首をかしげているようなところに、作者の感情が込められている。しかし、この見立てを夫人は気に入っただろうか。他人がいちいち詮索することでもないが、妙にアトを引く一句だ。このとき、作者は四十代。『花眼』(1969)所収。(清水哲男)


 木蓮や母の声音の若さ憂し  草間時彦

たぶん、これは男の心だけに起きる「憂し」だろう。木蓮が咲いた。木蓮は、大きな蕾を得てからも、なかなか簡単には花開かない。今日か明日かと待ちかねていた母が、庭から「ねえ、咲いたわよ。見にきなさいよ」と、はしゃいだ声で作者に呼びかけてきた。彼女の声音は妙に若々しく、そこで作者の気持ちに微妙な憂鬱の影が走る。老いた母に、未だ残っている若い女の性。敏感にそれをかぎ当てて、一瞬「いやだな」と思ったのだ。大袈裟に言えば、母の声に母子相姦への誘いのようなニュアンスを聞き取った……。もとより、母は無意識だ。その無意識がたまらない。たいていの男は、幼時から母を性の外に置いて聖化して生きていく。嘘か誠かは知らねども、よく若い娘が「父親のような人と結婚したい」などと公言したりするけれど、嘘でも男はそういうことは口にできない生き物である。だから、母の側にも一瞬たりとも性的な存在であられては困惑してしまうのだ。どう反応したらよいのか、うろたえることになる。「木蓮」といういささか官能的な感じのする花を配して、句は見事に男の精神的な性の秩序のありようを描いてみせている。深読みではない、と思う。それ以外に「憂し」の根拠は思い当たらぬ。『中年』(1965)所収。(清水哲男)


 白木蓮に純白という翳りあり  能村登四郎

季語は「白木蓮(はくもくれん)」で春。この場合は「はくれん」と読む。落葉潅木の木蓮とは別種で、こちらは落葉喬木。木蓮よりも背丈が高い。句にあるように純白の花を咲かせ、清美という形容にふさわしいたたずまいである。いま、わが家にも咲いていて、とくに朝の光りを反射している姿が美しい。そんな様子に「ああ、きれいだなあ」で終わらないのが、掲句。完璧のなかに滅びへの兆しを見るというのか、感じるというのか。「純白」そのものが既に「翳り(かげり)」だと言う作者の感性は、古来、この国の人が持ち続けてきたそれに合流するものだろう。たとえば、絢爛たる桜花に哀しみの翳を認めた詩歌は枚挙にいとまがないほどだ。花の命は短くて……。まことにやるせない句ではあるが、このやるせなさが一層花の美しさを引き立てている。しかも白木蓮は、盛りを過ぎると急速に容色が衰えるので、なおさらに引き立てて観賞したくもなる花なのだ。「昼寝覚しばらくをりし白世界」、「夏掛けのみづいろといふ自愛かな」、「老いにも狂気あれよと黒き薔薇とどく」など、能村登四郎の詠む色はなべて哀しい。『合本俳句歳時記・二十七版』(1988・角川書店)所載。(清水哲男)


 いちまいの水となりたる薄氷  日下野由季

冬季に水の上にうっすらと張った氷を透明な蝉の羽に似ているということで「蝉氷(せみごおり)」と呼ぶが、立春を迎えた後では薄氷となる。うすごおり、うすらい、はくひょう、どんな読み方をしても、はかなさとあやうさの固まりのような言葉だ。日にかざし形状の美しさを見届けられる硬質感を持つ蝉氷と、そっと持ち上げれば指と指の間でまたたくまに水になってしまうような薄氷、そのわずかな差に春という季節が敏感に反応しているように思う。自然界のみならず、生活のなかで氷はきわめて身近な存在だが、個体になった方が軽くなる液体はおおよそ水だけ、という科学的不思議がつい頭をもたげる。この現象への詳細な根拠については、普段深く考えないことにする扉に押し込んでいるのだが、こんな時ふいに開いてしまい、結局理解不能の暗部へとつながっている。そのせいか「氷がとける」とは、どこか「魔法がとける」に通い合い、掲句の「いちまいの水」になるという単純で美しい事実が、早春の光によって氷が元の身体に戻ることができた、という児童文学作品のような物語となってあらためて立ち現れてくるのだった。〈はくれんの祈りの天にとどきけり〉〈ふゆあをぞらまだあたたかき羽根拾ふ〉『祈りの天』(2008)所収。(土肥あき子)

 白木蓮そこから先が夜の服  小野裕三

まだかまだかと楽しみにしていた白木蓮が先週末の暖かさでいっせいに花を開き始めた。「暑さ寒さも彼岸まで」というけど、このまま後戻りすることなく春は加速していくのだろうか。この花の清楚に立ち揃う蕾の姿もいいけれど、ふわりとハンカチを投げかけた開き始めの姿もいい。そう言っても雨風になぶられると、あっさり大きな花弁を散らしてしまうので油断ならない。この頃は散歩の途中で白木蓮の咲きぐあいを見上げるのが日課になっている。きっぱりと夜目に浮き立つこの花は昼とは違う表情をしている。掲句は暮れ時の白木蓮の様子を女性の装いの変化に重ねているようだ。昼のオフィスでの活発ないでたちから夜のパーティ用にシックなドレスに着替えて現れた女性。「そこから先」は暗くなる時間帯を指すとともに装いが変わることを暗示させているともとれる。「はくれん」の響きには襟の詰まったチャイナ服など似合いそうだ。そう思えば細長い花弁を開いたこの花がある時間帯が来ると妙齢の女性に変身する楽しさもあっていよいよ夜の白木蓮から目が離せない。「君たちのやわらかなシャツ四月馬鹿」「菜の花の安心できぬ広さかな」句集全体は現代的な感覚で疾走感があり、取り合わせの言葉の斬新さが印象的である。『メキシコ料理店』(2006)所収。(三宅やよい)