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Baby教室シオ

提案『命についてどう伝えるか』

2024.11.04 00:00

この記事を書くにあたり辞書で『命』の意味を確認してみました。すると命とは「存在する生物及び生命体の生死を定義する生命及び生命そのものである。」と記されていますが、子供にこのような定義を伝えても理解することは難しいといえます。では小さな子供たちに命についてどのように話をするか、命の重さをどう伝えるかはとても悩ましく難しいものです。

例えば命との定義は幅広いですが私たち人間も動物たちも小さな昆虫も、そして植物も皆命があることを同じ命であることをどう伝えるか、そしてその命は大変脆いものでありかけがえのないものであること、自分の命の維持のために他の命を犠牲にしていること、死を怖がる幼い子供達に命の本質をどう伝えるかなど段階を経て教え伝えることはとても多くあります。

今回は私が子供たちに真っ先に伝える『自らの命』についてどのように向き合ったのかを記します。ご家庭それぞれに向き合い方は色々あると思うのですが、是非とも自分の命の重さを理解してもらうことに時間を割いて会話してほしいと考えます。

これまで幾度となく命について自らの考え方を記してきましたが、私は子供たちに真っ先に考えてほしいことは自分自身の命の尊厳にについて考えるべきだという意見を持っています。それはなぜなのか・・・自分の命の重みを知らずにいる子供が他者の命やましてや動物や小さな昆虫や植物などの命に真剣に思いを巡らせることができるでしょうか。

また残念ですが大人の社会に存在するいじめは子供社会にも存在しているため、容易に他者攻撃をし追い込まれた子供達が自死を選択するというニュースが夏休み明けに多く報道されるます。子供たちの自死のニュースを目にする度に思い留まって欲しいという思いに駆られますが、自分の子供が巻き込まれない保障など無いのが現代の難しさでもあります。自死を選んでしまう子供たちは辛さや苦しさ悲しさ寂しさから心を解放することができず行為に及んでしまうため、私は幼い頃から自分自身の命の重さとかけがのないものであること教え導くことが親の役目だと考えています。複雑な世の中だからこそ自死という選択を遠ざけるためにも自らの命を最優先に考えさせるべきではないでしょうか。

1、自らの命について考えさせる

実は子供が小さい頃は絵本を活用して命の尊さを読み聞かせながら進めてきましたが、小学校高学年だったか中学生だったかは定かではないのですが、さだまさし氏の『いのちの理由』という曲を聞いた瞬間に命の尊さを伝えるには「これだ‼️」電光石火の如く衝撃的直感を得たのです。

この『いのちの理由』は浄土宗の宗祖法然上人の800年大遠忌を記念してさだ氏に制作依頼されたそうで「みんなが幸せになれるように」そして「幸せは身近なところにあって実は持ち歩いている」という気持ちで制作したそうです。

ではその歌詞の冒頭一部だけを解釈として記します。歌詞全ての意味をお子さんと紐解いてほしいと考えます。


『いのちの理由』   作詞・作曲さだまさし

私が生まれてきた訳は 父と母に出会うため

私が生まれてきた訳は きょうだいたちに出会うため

私が生まれてきた訳は 友達みんなに出会うため

私が生まれてきた訳は 愛しいあなたに出会うため

春来れば 花自ずから咲くように

秋くれば 葉は自ずから散るように

幸せになるために 誰もが生まれてきたんだよ

悲しみの花の後からは 喜びの実が実るように


この世に誕生したのは自分が決めたことではないとの考え方とは一線を画し、人間は自らの意思・目的・使命感を持って生まれてきたのだと思考を巡らせることができるこの歌詞は、自らが主体となって自分自身の人生を考える立ち位置に立てると感じています。

自分自身がこの世に生まれてきたのは辛さや悲しみを抱えるために生まれてきたのではなく、大切な人たちに出会うためであり、幸せになるために生まれてきたのだとこの歌詞のシンプルさから心の中にダイレクトに伝わる温もりが存在しています。一時的に辛く悲しく苦しいことがあったとしても視点を変え、自分自身の幸せのために選択する道が当然あってしかるべきなのだという強いメッセージを親は出すべきだとも考えます。他人の視線を気にするあまり自分自身の命を危険にさらしたり、心を乱すことなどする必要もなく自分自身の幸せをまず立て直すことだけに時間と労力を使うべきなのだと伝えておき、そのサポートをし深くあなたを理解できるのは親である自分自身たちであるということを覚えてほしいと伝えるべきだと思います。そしてその時期を耐え忍んだ後には必ず道は開けるものだという希望を持たせることも必要ではないでしょうか。



2、身近な愛しい人に思いを馳せる

私には物心ついた頃から祖母は母方の祖母一人しかいませんでした。父方の祖母は先の大戦で33歳という若さで亡くなり、父が祖母の法事で目に涙を溜め堪えているのだと幼心に切なくなったのを覚えています。自らの母を大切にするように母方の祖母を労わっていた父を今でも誇らしく思います。また母方の祖母は外孫である私たち兄弟をとても愛してくれました。そんな身近な人に思いを馳せるだけで自分自身の命の重みを感じることができます。

自分自身には愛しい人がいるのだという存在に気づくことができたら心強く、自分自身に優しくもなれ心の暖かさに包まれる感覚になるでしょう。愛しい人を思うだけで自分自身の中満ち満ちてくる幸せに浸ることができるのです。そしてその思いは必ず命のバトンを受け継いでいる感覚にもなるでしょう。命は大変脆く儚いものであり、一度手放すとこの現世では二度と取り戻すことはできません。だからこそその生命の種に関わらず大切に扱わなければならないものなのです。


今回は最も重要なことを2つほど取り上げました。来週2024年11月11日は具体的に子供達にどのようなことを考えさせるのかを記事にしてまいります。そちらも併せてお読みください。