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吊花の爆ぜたるままに実りけり

2024.10.05 06:26

藤の花おのが闇より生まれにけり


Facebook斉藤 一治さん投稿記事

人間は、宇宙全体の一つの生命とつながって生まれ、生き、死んでいく小宇宙なので、その枠をはみ出したものを「般若心経」は、転倒夢想と言っています。

色即是空。宇宙に存在するすべてのものは、宇宙全体の一つの生命につながって存在している兄弟姉妹です。

したがって自分の力で生まれたり、死んだり、花を咲かせたり、散らせたり、増加したり、減少したりするものではなく、眼でものをみるのも、耳で音を聞くのも、鼻で香りをかぐのも、舌で味をききわけるのも、すべて宇宙全体の一つの生命につながって初めて可能となるのです。

人間は自分中心に物事を考え、発展繁栄とか、合理的とか、計画的とか、不老長寿などを目指して四苦八苦しているが、人間は自分の力では呼吸一つ、五臓六腑一つ動かすことはできない。 

お釈迦様は、最後の教えに「宇宙全体の一つの生命(法)を拠りどころとしなさい。

それと同時に宇宙全体の一つの生命につながっている自分の生命を拠りどころにしなさい」と自灯明、法灯明の光を残してくれました。

これが、転倒夢想を遠離する唯一のともしびであり、五蘊皆空の世界を知る唯一の般若波羅蜜の灯明であります。


Facebook出口光さん投稿記事【「陰」と「陽」】

みなさん、おはようございます。

西洋のフラワーアレンジメントでは、満開の花々を生けます。

一方、日本の茶席では、つぼみを生けます。どうしてだと思いますか。

つぼみは、開く前のエネルギーを湛えこれから咲こうとする花のエネルギーを感じさせてくれます。まだ「陰」の状態なのに、次の「陽」を暗示しているのです。

花は、現象世界ではつぼみなのに私たち「見手」の心には咲くことができる。

花をのみ 待つらん人に 山里の 雪間の草の 春を見せばや

これは、利休の「詫び」を現わす歌として紹介された藤原家隆の和歌です。

冬は、単なる雪の荒涼たる景色ではなくその中にも新しい命の息吹を湛えている。

私には、希望の兆しのように思えるのです。

詫びとは、「陰」の中に次に来る「陽」の兆しを捉える感性かもしれませんね。

私たち人間の中にも、醜さと美しさ、善と悪、大きさと小ささ冷たさと温かさ、陰と陽の両面があります。

しかもそれら両極は、実は同じものの裏表なのです。

自分の心の冷たさを観るとき 実はそれはあなたの「愛の兆し」であるとしたらどうでしょうか。

もし私たちが、人の「陰」の中に「陽」を捉えることができたら素晴らしいですね。

今日は、人の「陰」の中に、「陽」を見てみませんか。

Facebokoクミアイ化学工業株式会社投稿記事

垂れ下がるようにたくさんの花を咲かせる「藤」。

満開になる時期には、藤棚の名所を訪れる方も多いのではないでしょうか?

「藤」は、多くの文献の中に想いが残されているほど、古くから日本の歴史と深く関わった花で、古事記や万葉集などに登場しています(*˘︶˘*)。

特徴ともいえる長くしだれた花房の一つ一つに、2cm程度のかわいらしい小さな花が咲き、風が吹くたびにふわりと揺れる姿はとても幻想的。

この機会に「藤」を見に、遠くまで足を運ぶのも楽しいかもしれませんね♪


https://ameblo.jp/seijihys/entry-12498733321.html 【現代の俳句3 五島高資】より

 山藤は山藤を吐きつづけてをり   五島高資(ごとう・たかとし)

 季語・・・山藤(やまふじ)・春

 「俳句スクエア」主宰。長崎県生まれ、栃木県在住。血液学の医師でもある。

 五島高資は現代俳句のもっとも有能な作家の一人だ。

 戦後、俳句の世界では伝統派俳人と新興派俳人との間で、これからの俳句について激しいせめぎあいと論争があった。

 結局、両者は相入れることが無く、決別したが、その後の世代に伝統派の確かな「描写力」と「格調」、新興派の鋭い「感性」や「言語感覚」を併せ持った作家があらわれることになる。 私はその最たる作家が彼だと思う。

 彼はまだ30代後半の作家であるが、早くから頭角をあらわし、伝統派、新興派の俳人両方から支持されている逸材である。

 新興派の俳人によって結成された現代俳句協会のホープであるが、流派を超えた迫力と確かな実力を持っている。

 近作では、 目の覚めて白河駅は銀河なりという壮大で不思議な秀句も発表していた。

 さて、掲句であるが、この句も現代的感覚と確かな描写力に満ちた傑作であると思う。

 山藤は公園や神社などの藤棚に咲く藤の花とは違い、山の雑木に混じって長く、鮮やかな花房を垂らす野趣のある花だ。

 その山藤が咲き継ぐ、荒々しく美しいさまを、彼は山藤が山藤を「吐きつづけている」と描写した。 この把握は「究極の写生」だと私は思う。「写生」とは見たものをそのまま写し取ることではないのだ。

 松尾芭蕉のいう「ものの光り」、つまり「ものの本質」を描写することである。

 この句は、山藤の持つ野性的な趣と美しさという、その本質を見事に表現している。

 「吐きつづけをり」という字余りが、句に迫力を与えていることも見逃せない。

 彼の持っている言語感覚の冴えも伺える。

Facebook高木 道郎さん投稿記事  ✿藤の雨 陽射し遮り 降りしきり(道)

藤の花が美しく揺れる季節になりました。

私が住む街の名前は「藤沢市」で実際に藤棚は多いためてっきり藤の花の多い沢(湿地)が地名の由来かと思ったら藤沢という地名の由来はどうやら違うようです。

『日本書紀』に登場するこのあたりの地名は高座郡で藤沢という地名が登場するのは『太平記』が最初とか。

ただ、地名の由来としては淵沢、富士見沢などからの転訛説723年に片瀬諏訪神社が創建されたから藤(23)諏訪→藤沢という説源頼朝が感応院にある三嶋大明神を勧請するとき藤沢清親に奉行させたためとの説も。

ま、しかし、住む側としてはこの季節に藤の花が多いのは嬉しいものです。

藤沢市という地名が定着してから地名にちなんで植えられたのかもしれません。

藤の魅力は何よりも淡紫の花色と風に揺れる房状の形でしょうか。

『枕草子』には「色あひ深く花房長く咲きたる藤の花、松にかかりたる」とあり

「めでたきもの」に加えられてます。

✿藤の花雫とめたるたまゆらや(芥川龍之介)

✿吹出して春の外まで藤のはな(加賀千代女)

✿物がたり読さして見る藤の花(加舎白雄)

芥川龍之介の句は藤の花が雫をとどめているさまを詠んだ美しい作品です。

「たまゆら」は玉がこすれ合うかすかな響きのことで藤の花先にたまった雫がまるで玉のようにこすれ合っていてこすれ合う音さえきこえるようだ、という形と色と音の世界。

一時期、精神を病んで鵠沼の旅館東屋に治療投宿していましたからその頃に詠んだ句なのかもしれません。違うかな?

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想念破壊

https://lifeskills.amebaownd.com/posts/19675627?categoryIds=2927840 【PBM】

霊現象は神観、人間観、世界観の全てを覆しました。

まさに想念破壊の痛みをモロに経験したと言えるのでしょうか?

中学時代 生きる意味を求めて 堂々巡りをし続け ふとしたことから プロテスタントの教会に出会いました。その教会には夜学に通う 勤労高校生が10名近く集っていました。

彼らの多くはニヒリストであり 和多志はその仲間に入ってしまいました。

彼らは熱心に求道生活を送っていましたが 和多志はアンチクリスト的な本を読んでは彼らと牧師に議論を吹き掛け続けました。その果てに 和多志は門外漢だから去る旨を告げました。

すると一人の青年が 真っ蒼な顔をして「傲慢な態度を許して下さい」「自分は説得できると思っていた」と謝りました。

和多志には 彼がなぜ謝ったのかさっぱり解りませんでしたが 心が揺すぶられてしまいました。それ故 生きることも死ぬこともできない 悶々とした毎日の突破口を キリスト教に そして視点変更に求めました。

「生きる意味を問うもの」から(絶対者に)「生き方を問われるもの」になろうと決め クリスチャンワーカーになるべく 結婚とほぼ同時期に 大学と院での学びを始めました。

赴任教会での働き以外に 日本キリスト教団の働きも、兵庫教区の働きも担いながら 家庭と教会生活中心の毎日を歩み続けました。

然しプロテスタントとはカソリックにプロテストすることで生まれた 言葉中心、左脳中心の信仰共同体です。

教団内には分派、徒党が沢山生まれ、言葉中心の礼拝には霊性が乏しく 教会内のグループはサロン化し、教会活動を精一杯しても 満たされる思いになれませんでした。

それなりにいろいろ学ばせてはいただきましたが どうしても納得がいかない教義に「時」に対する 概念があります。

キリスト教における「時」の流れは直線的です。輪廻転生の考えもありません。

大宇宙の公理は回転なのに!そして創世記では一日の時の循環、一年の時の循環を語るのに!!何故か時間軸は直線です。

和多志がキリスト教に躓き始めたのは 霊性のなさ、教義に対する不信、そしてリーダーたちに対する不信と世俗化にあります。

教団総会、教区総会、教会役員会など メイン会議の前には 俗世界とおなじように 教団、教区の権力(お金)を握るべく 根回しが横行し どこにも分派が生まれ、徒党が組まれ 

教会のリーダーたちが競い合う姿をいやというほど見てしまいました。

世俗化こそ 教会を去ることになった 決定要因かもしれません。

特に 聖職者といわれる牧師(ファミリー)への侮蔑の思いが強いです。最後に出会った一人をご紹介しましょう。

夫婦と、娘3人の家族でした。 夫も妻も 各々が「自分たちは本来離婚していてあたりまえの関係だ」と和多志に語りました。然し教会員の前ではおしどり夫婦を演じます。

長女はうつ病。カウンセリングをして欲しいということで 引き受けたものの、娘のカウンセリングが終われば 必ず母である牧師夫人が カウンセリング内容を聞きたがり、自己正当化のために和多志の居室に居座り続けます。

遂にたまりかねて 両親の問題が 娘を追いこんでいると言ってしまった翌日から 彼女は顔を合わせても視線を反らし 挨拶さえも返さなくなりました。

次女はストーカー事件を引き起こし 警察沙汰にさえなりました。 

次女の保護を要請されたり、和多志の夫までも相手との折衝にかりだされたりしました。

牧師は教会員がいない場では 常にビールを片手に、まるでアルコール依存症を疑いたくなる感じでした。

和多志が関わっていた求道中の青年に セクハラ事件を起こし 大問題となり青年の自宅に謝罪に行く故 同行を求められたりもしました。

牧師は玄関先で土下座をして謝りました。にもかかわらず 後の牧師の話では 悪いのは青年の方になってしまいました。

こんなどさくさの中で和多志は教会を去ることを決めてしまいましたが 洗礼を希望していたこの青年はうつ病になったと聞きます。

キリスト教とお別れする氣持ちが強まるなかで 残された人生を 如何に生かされるのかを ずいぶん問い続けました。

プロフィールにも書いたように和多志は人並み以上に いわゆるトラウマというものを持っています。

それが和多志の人生の特徴かもしれません。その人生で出会った大きなものが キリスト教と心理療法でした。

二大特徴の一つであるキリスト教に失望すれば 残されたものは心理療法しかありません。

人生で得た心理療法を 人生へのお返しとして これからのライフワークとしようと決めました。援助者になろうと決めたわけです。

人の援助がしたいと願うからには 自分がとことんクリアリングされる必要があります。

もちろん教育面接類のこと、頭蓋仙骨療法、箱庭療法 各種ワークショップの参加、その他いろいろ自分の浄化のためにしましたが、 スリーインワンコンセプトの一人セッションをまるで仕事のようにやり続けました。

その技法で、僧坊筋にあった スタックポイントを外した時 身体ががたがた震え 座りこむと同時に 直径30センチくらいの白昼光、次いで鮮やかなアメジスト色の光が セットで2回、次の日に一回輝き 基底部から前につんのめるような感じで エネルギーが上がり始めました。 

クンダリーニが覚醒したのだそうです。キリスト教とのお別れが霊現象の始まりになった ということでしょうか。

https://lifeskills.amebaownd.com/posts/categories/1145444  【サダナ】

プロテスタントの霊性のなさをいやというほど実感させられたのが上記のサダナ瞑想会への参加でした。