偉人『ハワード・シュルツ』
スタバはサードプレイスとして商品に加え居心地が良い特別な場所と顧客に向けられるサービスという付加価値を提供する店である。コーヒーの香ばしい香り、思考を妨げないBGM、自分好みのカスタマイズできる商品、そして何より働き手が顧客に与えるスマートさがベタベタな顧客対応とは真逆の爽やかさがなぜか癖になる。自分だけに向けられるサービスの提供が入店直後から店を出るまで感じる特別感が消費者にとっては高い値段をも気にさせないスターバックスの魅力である。
そんなスタバを世界的企業に押し上げたハワード・シュルツ氏が2020年のアメリカ大統領選に出馬をするのかとその動向を注視してやや期待をしていたものの、トランプ氏の大統領再選を後押しするかもしれないと断念した彼がもしアメリカ大統領になったならばどのように変化するだろうか見たい気持ちもある。彼の成功は多くのビジネスマンにとっては認知されているものの一般的にはまだ認知されていない。プロジェクツという低所得層出身の彼のサクセスストーリーは教育観界に携わる私にとっては大変興味深い人物である。
よって今回は彼が育った家庭環境が人格形成にどのような影響を及ぼしたのかに目を向けて話を進めていくこととする。
1953年7月19日アメリカ・ニューヨークのブルックリンで誕生する。ユダヤ系ドイツ人の移民として誕生し、第2次世界大戦で軍人として働いた父は退役後トラックやタクシーの運転手をし年収2万ドル日本円で約290万に満たない低所得で家族を養うギリギリの生活をしていた。7歳の頃父が仕事中に怪我を負い働けなくなりさらに生活は苦しくなった。怪我をしし解雇されこれからどうして生活をすればいいのかと母は嘆き悲しみ、父は会社からそして社会から見捨てられ失意の中にある状況を幼いハワード・シュルツは目の当たりにしたのである。健康保険も失業保険も生活困窮者に向けられる保証もない世の中の冷酷さを彼はどのように感じていたのだろうか。おそらくこれが正常な社会なのかと落胆したであろう。この育ちがスターバックスの社員やアルバイトを大事にするという考え方のベースになっやのは間違いない。
そして12歳から家計を助けるために新聞配達やレストランでの皿洗いをし家計を助けた。12歳といえば小学校6年生である。現代の子どもたちにそのようなことをさせてはならぬと保障する制度はあるが、手厚いかといえばまだまだいかなる角度から見ても心もとないものである。しかしハワード・シュルツのような人物の貧困層の経験者が成功することにより大きな前進があったとも言えるのだ。話は横に逸れるのであるがアメリカ留学をしていた友人がスタバでアルバイトをしていた時に歯の治療費を会社が持ってくれたと話をしていた。日本では非正規で働く人々の困難さを考える時、世界的なスタバはアルバイトの治療費までも負担することに人を手厚くサポートする企業なのかと驚いた記憶がある。スタバで働く人々の意識の高さや心のゆとりそして誇りは企業が働き手を大切にするという考え方から生まれているに違いない。日本のスタバはどのような貢献をしているのか働いている人から直接話を聞きたいものである。
日本では世界的に特質的な健康保険があり比較的医療を平等に受ける権利があるが、アメリカではお金があるかないかで診察を断られる時代に彼が働く社員のみならずアルバイトに対しても医療費の支給をしていた手厚さは裕福な環境で育った者には考えもできないことである。これはまさに彼の子供時代の貧困的苦しみから脱却したい、父が安心して治療を受けられ、何よりも治療後に働いていた場所に戻ることができる保証があればと考えていたに違いない。
また彼は医療費制度のほかに奨学金制度も設け本来は政府がその制度を確立し行わなければならぬことを一企業が成し得たことは、ランニングコストがかかり企業としては大変重責を担う決断をしたと考えて良い。彼の決断はまさしく同じ釜の飯という仲間に対する温かな思いやりと気遣い、そして人との繋がりを重視する人への先行投資的考えが構築されたものである。
ではハワード・シュルツのこのような精神はどこから生まれたのか、それはこれまで述べた彼の育った環境が深く関係している。しかし困窮家庭で育っても皆が人のことを考えて決断が下せるとは考えにくい。おそらくまずは自分自身のことを行いそれがある程度理想に近づいたと満足したら他者を気遣うことに移行するのであろう。しかしそのような発想に至る人は稀だと考える。では彼はなぜこのような政府も手を出さないことに挑むことができたのか・・・それはまさしく育ちである。彼の言葉を知るとその理由が心の響いてくるのである。
「何かできる立場になった時には決して人々を見捨てるようなことはしないと固く心に誓っていた。」
「私たちは空腹を満たす仕事をしているのではなく、魂を満たす仕事をしているのだ。」
彼の言葉から育った環境が深く読み取ることができる。例えば商売を収益だけでは終わらせない精神性の部分を垣間見ることができる。これは幼い頃から物質的教育ではなく精神的教育を受けていることが読み取れるのだ。人間というものは幼少期に受けた心の動きが土台になるため物欲で価値を決めることを教えられた子供と精神性を教えられた子供ではほぼ決定されると私は感じている。
「どんな経験も次の経験のための準備に他ならない。次の経験がどのようなものなのか予測できないだけなのだ。」
彼は幼い頃から母によって貧しい環境から脱出し成功した偉人たちの伝記本を読み聞かせてもらい、どんなに貧しくとも深く学ぶように励まし続けられた。学習の基盤となる幼児期から毎週移動図書館で本を借りては読むことを繰り返したと語っている。この母の教えと行動がどのような状況にあっても忍耐と努力で道を開くことができるのだと彼に学びをもたらしたと考える。
「人生を他人のせいにして自分自身を憐れむこともできる。そして自分自身の責任として背負うこともできる。」
母は自らの鬱病や生活苦からの不安を抱えつつも子供達が貧しい環境を脱出する方法を常に考えていた。この母のお陰でハワード・シュルツは学ぶことのベースを育て奨学金を手にし、母の願い続けた人生を歩むことになったのである。そして母の思いを彼は受け止めながら一方で父が社会から見放された理不尽さも感じていた。そんな恵まれない環境下でハングリー精神を培いサクセスストーリーを実現させたハワード・シュルツは特別な人物である。彼の精神の中には人のせいにして生きる人生ではなく、自分自身が努力することによって道を切り開く強さを獲得していたのだ。彼の後に「世間からYESと言われるよりNOと言われることが多い幼い日々だった」と語り父の怪我により最貧層になった時期を振り返り父や家族そして自分自身が味わった辛さを他の誰にもさせないと子供心に誓ったという。この時に彼が見ていた両親の姿というものは必死に日々の生活を送る姿であったという。もし両親がこの姿を見せず薬物や酒に溺れる生活をしていたら今の彼はなかったであろう。親の生きる生き様というものを子供はしっかりと見ているのだ。
「何かできるような立場になった時には決して人々を見捨てるようなことはしないと固く心に誓っていた。」
私は子供の頃に衝撃的なことに出くわすと一生を左右することがある。つまりハワード・シュルツは幼い頃に経験した家庭環境が彼のハングリー精神を形成したと言っても良いだろう。恵まれない環境が彼を強くした、人を思いやる心を育んだと言える。しかし子供というものは逆境にあればあるほどそこから一瞬でも逃避できる場所や行動が必要不可欠である。彼の場合にはアメリカンフットボールに出会い苦しいものを一瞬でも忘れさせてくれる夢中になるものがあった。適度に抱えている重いものを横に置いて夢中になれるものに出会うことは子供の成長と共に必要となる。つまり気持ちを発散をしてまた日常に戻ることが必要なのだ。
こう考えると幼い頃に偉人のサクセスストーリーで逆境に立ち向かう偉人を知っていたということが心強い羅針盤ややみ夜を照らす灯台や母がその道先案内人の役目を果たしていたと言えるだろう。
さて来週の子育てサジェスチョン提案記事はハワード・シュルツのような家庭環境になければハングリー精神は育たないのかということを考えながら『子供のハングリー精神の育み方』の記事を記すこととする。