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アンティーク フェルメール

日曜の骨董屋で。

2024.10.06 12:55

久し振りに街中の骨董屋に出掛けた、急須がないかと思い、初めて入る駅近くの骨董屋の暖簾をくぐった。急須はあるにはあったが思ったような物はなくその代わり、思い掛けずご利益のありそうな古銅で出来た明治の頭くらいの大黒様と素敵な水彩画を買った。思い掛けない収穫だった。骨董屋というのは面白いものでAを探してるとDが見つかったりHを探してるとAが出て来たりするものだ。大黒様のような神様が宿る骨董は探すというよりは「出逢い」だと思う、それに引き寄せられてこちらが動いて行くのだ。

前回の大黒様との「出逢い」はイギリスの田舎だった、これも同じ銅製でアンティークセンターで見つけた。その一、二年前に古い木製の大黒様をそれがもう大層古くボロボロになっていたので神社に持って行き祈祷して頂きお返ししたのだが、その代わりと言っては失礼かもしれないが、二体戻して又二体帰って来た、のだ。

骨董は特殊な物になればなるほど探すというより出逢う感じに近い。その人が必要としている物が向こうからやって来るのだ。石もそう、必要な石は降りるようにしてやって来る。人との出逢いも何時もではないが降りて来るように何処からともなく出逢う。必要な人は来る、そうでない人は去って行く。無理をしないことだ、必要なもの、人だけが残るだけのこと。自然の成り行きに任せるのがいい。無理をして手に入れたものは何時の間にか手をすり抜けていなくなる。