令和6年8月度 御報恩御講「上野殿御返事」
『上野殿御返事(うえのどのごへんじ)』 弘安三(1280)年12月27日 59歳
「仏にやすやすとなる事の候ぞ。をしへまいらせ候はん。人のものををし(教)ふると申すは、車のおも(重)けれども油をぬ(塗)りてまわり、ふね(船)を水にうか(浮)べてゆ(行)きやすきやうにをし(教)へ候なり。仏になりやすきことは別のやう候はず。旱魃にかわ(渇)けるものに水をあた(与)へ、寒氷にこゞ(凍)へたるものに火をあたふるがごとし。又、二つなき物を人にあたへ、命のた(絶)ゆるに人のせ(施)にあふがごとし。」
(御書1528㌻8行目~11行目)
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【背景・概要】
本抄は、弘安三(1280)年12月27日、日蓮大聖人様が御年59歳の時に、身延の地から富士上野の地頭・南条時光(なんじょうときみつ)殿に与えられたお手紙です。
当時、数年続く飢饉の影響もあって疫病が健治三(1277)年春から流行し、死者が続出し翌年も収まることがなく、朝廷はその影響を断ち切るために、健治四年の二月二十九日から「弘安」へと改元しました。
さらに再度の蒙古襲来が危惧されるという、日本国中がまさに内憂外患の状況を呈していたのです。
また、南条家を取り巻く環境も厳しいものがありました。この前年には熱原法難が起こり、その余波で南条家には幕府から重税が課せられ、同時に時光殿は多くの公事(公共事業)にも従事しなければなりませんでした。
さらに弘安三年の九月五日には、時光殿の弟・七郎五郎が亡くなります。これ以降、七郎五郎のことに触れられている御書は、現存するだけでも八通に及んでおり、一家の悲しみもさることながら、大聖人様がいかに七郎五郎の死去を残念に思われていたか、想像に難くありません。
そのような苦難の中、時光殿は大聖人様への御供養を欠かしませんでした。大聖人様は本抄に、金色王や須達長者の故事(※飢饉の時、国中の万民にわずかに残った穀物を施して国の危機を救った金色王の話しや、わずか五升の米しかない時、釈尊、迦葉、舎利弗、阿難、羅睺羅の五人にそれを供養し、その功徳で祇園精舎を建立したと伝えられる須達長者の故事)を引かれて、時光殿の尊い志を称えられるとともに、法華経の行者の命をつなぐ御供養に、さらに励んでいくことこそ、成仏の直道となる旨を繰り返し教示されています。
--------------------------------------------------------------------------------------------------【御文拝読】
仏にやすやすとなる事の候ぞ。をしへまいらせ候はん。
〔語句の解説〕
・やすやすと…物事をするのに、苦労や障害がなく、たやすいさま。
〔通 釈〕
仏にやすやすと成る方法があるので、教えて差し上げよう。
〔解 釈〕
ここでは、前文御文に「御心ざしの候へば申し候ぞ。よく(欲)ふか(深)き御房とおぼしめす事なかれ」と、南条時光殿が強盛な信心を貫かれる方だからこそ、この(大聖人様)法門を(これから)述べるのであり、誤解せぬようにと断られて『御供養の甚大なる功徳』を御教示されて、拝読の御文で「仏にやすやすとなる事」に続けられ、仏に成る=成仏する・甚大なる功徳を得るとは、法華経の行者へ供養することであると仰せられています。
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【御文拝読】
人のものををし(教)ふると申すは、車のおも(重)けれども油をぬ(塗)りてまわり、ふね(船)を水にうか(浮)べてゆ(行)きやすきやうにをし(教)へ候なり。仏になりやすきことは別のやう候はず。旱魃にかわ(渇)けるものに水をあた(与)へ、寒氷にこゞ(凍)へたるものに火をあたふるがごとし。又、二つなき物を人にあたへ、命のた(絶)ゆるに人のせ(施)にあふがごとし。
〔語句の解説〕
・旱魃…農業に必要な雨が長期間降らず、水涸(か)れすること。日照り。
・寒氷…寒々とした氷。寒中に張る氷。
〔通 釈〕
人にものを教えるとは、車が重くても(車輪に)油を塗って回りやすくし、船を水に浮かべて進みやすくなるよう教えることである。仏にたやすく成る方法は特別なことではない。日照りの時、(喉の)渇いた者に水を与え、寒氷に凍えた者に火を与えるようなものである。また、二つとない物を人に与え、(飢えて)命が絶えようとしている時に、人の施しに値(あ)うようなものである。
〔解 釈〕
ここでは前文の法華経の行者へ供養することの例えを、例えば車が動かずに悩んでいる人には車輪に油を塗れば動きやすくなるように、船を順調に進めるには、風と波を読めばよいように、日照りの時に喉が渇く者に水を与えるように、寒さに凍える者に火に当たるように進めるように、慈悲の心で真心から法華経の行者へ供養することであると仰せられています。
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【御妙判を拝して】
拝読の御妙判では、①『真心からの御供養』をすることの大事。②仏道修行の方法を人に教える大事。を御教示されています。はじめに当御書を賜った頃の南条家は、「わが身はのるべき馬なし、妻子はひきかゝるべき衣なし」(御書1529㌻)と窮乏生活の中にありましたが、そのような状況でも大聖人様を渇仰恋慕(喉が渇いた者が水を切望するように、仏を仰ぎ慕うこと)し、大聖人様の教えに素直に信頼して不自惜身命の実践を貫き、外護の御供養・真心からの御供養に懸命に励んだのです。
真心からの御供養の意義を総本山第二十六世日寛上人は「たとへ山のごとく財をつみ候ひて御供養
候とも、若し信心なくばせんなき事なるべし。たとへ一滴一塵なりとも信心誠あらば大果報を得べし」(松任次兵衛殿御報)と御教示されています。次に大聖人様は、この大事(御法門)を他の同志へ教えることの大事を、車・船に例えて御教示されています。信心を始めたばかりの講員は、仏道修行の方法を知りません。またご本尊様への御供養の大事を知りません。その同志に対し、慈悲の心を持って教え、そして共に努める事が大事であるとも御教示されています。また総本山第二十二世日俊上人も、「師は針の如く檀那と弟子は糸の如し」(法華取要抄註記・歴全三-一九二)と御指南されています。他の人に仏道修行を教える上で大事なことは、先ずは自分自身が正しい師匠に仕え、正しい教えを師匠より教わり、そして身をもって仏道修行に励むことが前提です。その上で、他の人へ教えることが必要となります。
では正しい師匠はどなたか。御本仏宗祖日蓮大聖人様であり、大聖人様の血脈を御受けあそばす御歴代御法主上人猊下が正しい師匠です。大聖人様の御教示・御法主上人の御指南を無疑曰信に信じ、仰せのままに正直に仏道修行に励み、そしてそのまま他の人へ育成することが、日蓮正宗の仏道修行なのです。
拝読御指南を正直に拝し、その教えのままに正直に仏道修行に励み、そして御教示の「仏にやすやすとなる事の候ぞ」との最大の大願たる成仏得道が叶えられるよう、日々仏道修行に励行していきましょう。
以上