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令和6年9月度 御報恩御講「四信五品抄」

2024.10.07 13:50

四信五品抄(ししんごほんしょう) 建治三(1277)年4月初旬 聖寿56歳

 「濁水心無けれども月を得て自ら清(す)めり。草木(そうもく)雨を得て豈覚り有って花さくならんや。妙法蓮華経の五字は経文に非ず、其の義に非ず、唯一部の意ならくのみ。初心の行者は其の心を知らざれども而も之を行ずるに自然に意に当たるなり。」

(御書1114㌻16行目~18行目)

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【背景・概要】

 本抄は、建治三(1277)年4月初旬、日蓮大聖人様御年56歳の時に、この年の3月23日、富木常忍(※)は弁阿闍梨日昭を通じて、身延の大聖人様に「どのように修行すれば諸法の理を得られるのか、五辛を食べた後に身を清めずして読経してもよいか」等の信行の心得を質問したことに対する御返書です。『四信五品抄』との題名は後に付けられたもので、「末代法華行者位並用心事」等の異称があります。なお、日興上人により御書十大部(※)の一つに選定されています。

 内容は、まず法華経を修行するには戒定慧の三学(※)を修する必要がある旨を説かれ、なかでも末法における三学は、妙法受持の一行に尽きることを明かされています。続いて末法初心の行者の位について、また、その修行法と唱題の功徳について述べられ、最後に仏法と王法との興亡関係を御教示されています。

 『本日拝読の箇所』は、妙法蓮華経の五字は法華経の肝心であり、これを唯一心に信じ行じていく意義と功徳を説かれています。

(※)四信五品…法華経『分別功徳品第十七』に説かれる法華経を修行する者の功徳を、釈尊在世の弟子に四信、滅後の弟子に五品あると説かれた。

 四信…①一念信解…仏法の話を聞いて、即座にありがたいと思い信心を起こすこと。②略解言趣(りゃくげごんしゅ)…信心が進み、説かれた教えがほとんど了解(りょうげ)できること。③広為他説…広く人々に教えを説くことができること。④深信観成(じんしんかんじょう)…深い信心を起こして、正しく心理を観ずる力が備わること。

 五品…①初随喜品(しょずいきほん)…釈尊滅後に法華経を聴聞して随喜の心を起こすこと。②読誦品…法華経を読誦すること。③説法品…自ら法を受持し、他に向かって法を説くこと。④兼行六度品…法華経を受持しながら兼ねて自他ともに六波羅蜜(㈠布施🉂持戒🉁忍辱㈣精進㈤禅定㈥智慧)の修行を行ずること。⑤正行六度品…正行として六波羅蜜の修行を行ずること。

(※) 富木常忍(ときじょうにん)

 富木五郎左衛門尉胤継のこと。下総国葛飾郡若宮(現在の千葉県市川市)に住す。大聖人様が立宗されてより早々に入信し、法門触れ頭として統率をはかり、『観心本尊抄』等の数多の御書を賜る。晩年、入道して常忍と称し、大聖人様から常修院日常と法号を賜る。

(※) 御書十大部

 大聖人様の御書中、最も重要な十編を日興上人が選定された。①唱法華題目抄②立正安国論③開目抄④観心本尊抄⑤撰時抄⑥報恩抄⑦法華取要抄⑧㈣信五品抄⑨下山御消息⑩本尊問答抄。

(※)戒定慧の三学

 仏法修行者が必ず学ぶ三つの修行のことで、戒とは防非・止悪の義で、非を防ぎ悪を止める。定とは、静思(せいし)の義で、思慮・分別を抑え、心を静めること。慧とは、照明の義で、煩悩の闇を滅し、真理を明るく照らして悟ること。

--------------------------------------------------------------------------------------------------【御文拝読】

濁水心無けれども月を得て自ら清(す)めり。草木(そうもく)雨を得て豈覚り有って花さくならんや。

〔通 釈〕

 濁った水に心は無いけれども月影を浮かべて自ら澄んでいる。草木も雨に潤って花を咲かせるのであって、覚りを得て花開くのではない。

〔解 釈〕

 ここでは、智慧や悟りを得ることの例えとして、濁った水が他の力を得て澄ませ、また草木も他の力を得て花を咲かせることを述べられます。

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【御文拝読】

妙法蓮華経の五字は経文に非ず、其の義に非ず、唯一部の意ならくのみ。初心の行者は其の心を知らざれども而も之を行ずるに自然に意に当たるなり。

〔通 釈〕

 妙法蓮華経の五字はは経文ではなく、またその義でもなく、ただ法華経一部の意なのである。初心の修行者はその心を知らなくても、唯信じて修行することで自然に妙法蓮華経の意に当たるのである。

〔解 釈〕

 ここでは、法華経の意が法華経二十八品にあるのではなく妙法蓮華経の五字に法華経の肝心があると明かされ、初心の者・信心を始めたばかりの者は、この聖意を知らずとも、唯々御本尊様を信じて御題目を唱えていくことにより、御本尊様のお力によって、その聖意が命に染まっていくことを仰せられています。

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【御妙判を拝して】

 拝読の御妙判では、法華経の肝心とは妙法蓮華経の五字である旨が明かされ、しかしこの聖意を知ることは難しいが、知らずとも、無疑曰信に唯々ご本尊様を信じ御題目を唱えていけば、「濁水心無けれども月を得て自ら清(す)めり。草木(そうもく)雨を得て豈覚り有って花さくならんや」と、濁った水が他の力を得て澄ませ、また草木も他の力を得て花を咲かせるように、御本尊様のお力によってその聖意が命にそまっていく旨を仰せられています。

 当『四信五品抄』では、信心する者が修行すべき戒定慧の三学が示されていますが、しかし大聖人様は、末法の私たちが三学すべてを行うのは難しいと仰せられ、この三学のうち信こそが大事であると御指南されています。末法時代の我々にとって、本門戒壇の大御本尊様を信じ、自行化他の信心を励むとき、諸願が成就されていくことを信じるべきです。

 御法主日如上人猊下は「私ども一同、『持妙法華問答抄』の「願わくは『現世安穏後生善処』の妙法を持(たも)つのみこそ、只今生の名聞後世の弄引なるべけれ。須(すべから)く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧めんのみこそ、今生人界の思出なるべき」との御金言を拝し、講中一結・異体同心して、お互いが声を掛け合い、励まし合い、一天広布へ向けて敢然として折伏を行じ、いよいよ自行化他の信心に励まれますよう心から願います」(大日蓮・令和6年7月号)と御指南されています。自らが諸願を成就させるべく自行に励むだけではなく、この大事を知らない家族・友人・知人にこの大事を知らすべく、下種・折伏に努め、そして一緒の信心・自行化他の信心に励行することこそ大事であり、そこで初めて諸願が成就できるのであると仰せられています。

 我々の心は濁っています。また自らの力では成長ができない花の如くです。濁った心を浄化するため、自らでは生長できない花に水を与えるべく、それが叶えられる大御本尊様・御本尊様を只々正直に信じ、正直に御題目を唱え、ご本尊様から功徳・御仏智を得られるよう、自行化他の信心に邁進していきましょう。

以上

〔御会式〕
令和6年11月4日(月) 午前11時(御逮夜11月3日(日)午後7時)


〔創立40周年記念法要〕
令和6年11月17日(日) 午後2時