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第二芸術論

2024.11.20 06:19

Facebook小西 瞬夏さん投稿記事

■第二芸術論を克服できたか  -弱者が弱者のままでー

自分はなぜ俳句なのか、ということを考えている。そして、俳句は文学なのか、芸術なのか、という問いも合わせてずっと抱えていた。

先日、上野千鶴子氏の最終講演を聞いた。

「40年フェミニズムに取り組んできたが、最後の講演は『これまで何をやってきたか、という集大成を話そう』と思っていた。だが、大震災が起こってそれでは役に立たないことに気付いた。そして、『なぜ、これまでフェミニズムをやってきたか』ということを話さなければいけないと思った。そして、それは『弱者が弱者のまま尊重される社会のため』ということだった」

「弱者が弱者のまま」というところを聞いて、はっとした。俳句は、弱者が弱者のまま、表現できる方法なのではないか。つまり、第二芸術であることに意味があるのではないか。

 あらゆる芸術の頂点というのは、一握りの芸術の神様に微笑まれた幸運な人(だからこそ過酷な人生を歩むことになるとは思うが)のものである。小説にしても詩にしても、だれでもがすぐ書けるようになるわけではない。しかし、俳句という文学は、とりあえず、始めたその日にでも作品を作ることができる。定型、季語、切字という文化遺産があるおかげで、自分を表現したり、自分の体験したことを言葉で切り取り、残したり、人に伝えたり、そしてお互いに鑑賞しあったり、そういう内面を見つめる作業がすぐにできる。もちろん、それで作品が完成する、ということではないが、とりあえず、それほど多くの条件を満たさなくても(弱者のままで)作ることができる形であると思う。そんな文学はほかにはなかなかない。

 そこから、芸術作品としてよりよい作品にしていく努力はもちろん必要であるが、句会であったり、連句の座であったり、そこに人が集い、自分の人生にその人なりに向き合い、ささやかでもその人にとっては大切な発見を切り取り、他者と共有できる。俳句とは、弱者が弱者のままで尊重される文学である。それは、弱者が弱者のまま尊重される社会の一つの形ではないだろうか。


Facebook高橋雅城さん投稿記事

戦後70年の第二芸術論

桑原武夫は『第二芸術』のなかで、「俳句は、菊花展の菊のようなものだ」という意味合いのことを述べている。第二芸術論が1946年に発表され俳壇を揺るがす大事件となった。

しかし、菊花展の菊、あるいは芸事、習い事としての俳句か、近代文学としての俳句かの、all or nothing で論じる以上その結論は出ない。

実際は、第二芸術を唱える陣営も俳壇側も疲れて(?)この第二芸術論をめぐる論議は雲散霧消してしまった。

しかし、2016年の現在、戦後70年を経て私は言いたい。そもそもall or nothingで答えを出そうとしている以上、結論を見ないのだ。

俳句というものが、いわゆる茶道や華道といった習い事、菊花展の菊などなどと完全に無縁ではあり得るはずはない。

「俳句を少々ひねります」「ああ、けっこうなご趣味ですなあ」それゆえ、俳句は「純文学」ではないのだ。

子規は平民的文学と言ったが、つくる側にとってさえも「大衆文学」であり、「けっこうなご趣味」であり、一つの結社に属するということはある流派の習い事に与することなのである。

だから、最低限言えることは、今日小説において純文学と大衆小説とがボーダレスになっているとはいえ、やはりれっきとして純文学は存在する。

その意味合いにおいて、俳句はそのような純文学とよびうる小説と同格に扱われては困るのだ、と言うことだ。

短歌についても言える。短歌は決して「平民的文学」ではない。女流ばかり並べて申しわけないが、馬場あき子、小島ゆかり、水原紫苑……、こういった歌人の作と俳句が同格に扱われてはやはり困るのだ。

つまりは、俳句は「第二芸術性」を完全に否定し得ないからこそポピュラリティーを持って来たとは確かに言えるが、それゆえに「純文学」などではなく「文壇」の一部を形づくるなんていうのはちゃんちゃらおかしい。

歌人に対しては胸襟をたださねばならないとしても、俳人に対しては、やってられねえやとネクタイを緩めるべきものなのである。

歌人に対しては、一種威厳を感じまた歌人の側としても量質のプライドを持ってしかるべきであるが、俳人に対してはそのようなことを自他に認めるべきではないだろう。俳人よ、驕るなかれ。

寺山修司は、若いころ定型詩を志すことの益を唱えている。

それだけ制約の多い中で言語表現が磨かれるという意味合いでそういう。そのことは、実際の寺山が証明して見せたことである。

青年よ、俳句を志せ。しかし、中年になってもずるずるとその表現にこだわり続けるのは、言語表現にとっての害悪以外の何ものでもない。

俳壇の、爺、婆がのさばっているのはまったく以て唾棄に値する。神野紗希よ、小説へと転身せよ!


https://www.haiku-hia.com/haiku_tsurezure/12.html 【haiku・つれづれ - 第12回

英国の芸術大学で再考する「第二芸術論」】より

小野裕三

2018年の9月から、ロンドンに滞在している。英国王立芸術大学(Royal College of Art)というところで学ぶのが目的だ。その選択を自分の意思で決めた時、頭の片隅のどこかにあの桑原武夫の「第二芸術論」のことがあった。この大学は世界的にも高く評価される教育研究機関でもあり、そんな場からあの「第二芸術論」をあらためて眺めた時、そこで見えてくるものは何なのだろう。そんな好奇心が、自分の中で湧き上がった。

そうして英国で暮らして一年半近くが経つ。結論から先に言ってしまおう。俳句は、こちらが拍子抜けするほど、英国もしくは芸術の世界で受け入れられていた。

まず、Haikuは英国に暮らすイギリス人やその他の国の人々に幅広く知られていた。名前が知られているだけではなく、もっと驚かされたのは、ある世代以下のイギリス人のほぼ全員が一度は俳句を作った経験がある、という事実だった。どうやらある時期以降、英国の小学校では授業の一環として俳句を生徒たちに作らせるようになったらしい。その結果、ある程度若い世代のイギリス人に「俳句を作ったことがあるか?」と聞くと、全員がイエスと答える。

もちろん、話は子供だけに留まらない。大人になってからも、詩のひとつの形式として俳句を作ったことがある、あるいは今でも作っている、という人たちに何度も出会った。俳句だけでなく、俳文(Haibun)にも興味を持ち、俳句と俳文を英語で書いているという人に出くわしたこともある。芭蕉やその他の俳句のアンソロジーが一般書店に並ぶのは当然としても、例えば博物館やクリスマスマーケットといった場所でもイギリス人が作った俳句の本に出会った。

あるイギリス人はこんなことを語った。「haiku」という言葉は、形容詞みたいに使われることもある。つまり、「この食べ物はhaikuだね」と言った場合、それは「この食べ物は小さいけど完璧だね」といった意味になるという。Haikuは、イギリス社会で広く認知され受け入れられ、さらには称賛されている、と言ってもよさそうだ。

ではその一方で、芸術の世界ではどうなのだろう。例えば大学内のいろんな立場の人に、こんなことを何度か聞いてみた。

「俳句を使って現代アートの作品を作ることができるでしょうか?」

答えはいつも決まって拍子抜けするほど簡単だ。

「もちろんよ。どうしてできないって思うの?」

彼らに「第二芸術論」という議論が過去に日本であったという話をしても、首を傾げるだけだろうなあ、と思う。

異文化ワークショップで虚子・三鬼・井泉水の俳句を紹介

「第二芸術論」は俳句の勝利で終わったのか?

このような状況からは、「第二芸術論」は時代遅れであり、客観的に見てその議論は俳句の勝利で終わった、と言ってしまってもいいのかも知れない。

だが、本当にそうなのか。仔細に点検すれば、それぞれに疑問点が浮かぶ。

第一に、英国の小学校でHaikuが教えられているとは言っても、実はその目的はかなり実用的なものだ。英語にある音節(syllable)の概念を生徒たちに教えるための便宜的な手段として、五七五という単純で理解しやすい韻律を持つ俳句を使っているという側面が強い。少なくとも、俳句を通じて日本文化を子供たちに理解させるのが主目的ではない。

第二に、イギリス人たちが作るHaikuを見ていると、それは本当に日本の俳句の等価物なのだろうか、と疑問を抱く。と言うのも、これは英語と日本語の性質の違いに起因するのだが、英語の音節に則り五七五の詩を作ると、大抵は日本語の五七五よりも情報量が多くなり、俳句よりもむしろ短歌に近い作品になりがちだ。

この点に関しては、米国の有名な小説家・詩人であるジャック・ケルアックが興味深い指摘をしている。つまり、西洋の言語は日本語とは構造的に異なるため、日本語の五七五には馴染まない。そこで、五七五の規則は捨てて、単に三行で書く短い詩としての「西洋流俳句」(Western Haiku)が西洋人のためにあるべきだ、と彼は提案した。実際、彼が作ったHaikuは五七五を捨てることでコンパクトになり、五七五を踏まえた英語俳句よりもむしろ本質的な部分で俳句に近づいている印象がある。

第三に、仮に現代アートの世界に俳句が広く受け入れられうるとしても、実はその背景は俳句が優れているとか進化したというよりもむしろ、「芸術」の概念自体が劇的に変化した、という面が大きい。マルセル・デュシャンやジョン・ケージを源流とする近代アートの流れは、コンセプチュアル・アートの隆盛を生み、「芸術」の歴史を不可逆に変えた。今や、浜辺に落ちているゴミを集めて並べてそれを現代アートの作品とする、といった類の手法は珍しいものではない。ここで重要なのはその作品の「文脈」であり、それゆえ、俳句がすべて自動的にアートになりうることを意味しないことは、浜辺のゴミがすべて自動的にアートになるわけではないのと同様だ。

そのように見てくるなら、「第二芸術論」が既に時代に合わないことには異論がないとしても、それは必ずしも俳句の勝利とも言えず、俳句と芸術との関係はまったく新しい視点からあらためて議論されるべき、というのが正しい見方だと思う。

日英の「詩」の根本的な差異

その新しい議論のためには、俳句を芸術全体・詩歌全体の広い視座からもう一度位置付け直す作業がまずは必要だろう。そのことを考えるにあたり、実は英国に来てからずっと感じていたひとつの違和感があったことに触れてみたい。

その違和感とは、極論すれば、そもそも「詩」と「poetry」は同じものなのだろうか、という疑問だ。

たまに感じるのだけれど、日本語にはぴったり当てはまる訳語がない英単語はけっこうある。逆もまた然り。そのようなもののひとつとして、「詩」と「poetry」の関係もあるのではないだろうか。

そんなことを考えるようになったのは、英国に来て、イギリス人たちが詩の朗読をこよなく愛するらしいという事実に気づいてからだ。詩と言えばまずは朗読するのが当たり前といったふうで、朗読者は気持ちよさそうに読むし、聴衆もそれに聞き入る。

このことは二つの側面を孕む。英国の詩は日本の詩と比べて、一つにはより公共的であり、二つ目にはより音楽的であるのではないか、ということ。

まずは一点目の「公共性」について。自分でも詩を書くというイギリス人女性と話をしたら、ひとつの象徴的な事例を教えてくれた。詩に関連する英語圏でのひとつのトレンドに、「スポークン・ワード」(spoken word)というものがあるらしい。詩を聴衆の前で話すパフォーマンス芸術のことで、90年代にはちょっとしたブームがあったようだ。ニューヨークにはそんなイベントを行うことで有名な「Nuyorican Cafe」といった店もあり、イギリスでもバーやカフェなどで詩の朗読イベントがけっこう各地で開催される。日本では、皆無ではないにしてもあまり一般的なこととは思えない。「詩のボクシング」といったゲーム性のある詩のイベントが盛り上がった時期は日本にもあったが、「スポークン・ワード」はあくまで純粋に朗読を楽しむ点が特徴だ。「スポークン・ワード」の日本語のウィキペディアでの説明に、日本ではあまり事例がなく、唯一の目立った活動として佐野元春、つまりミュージシャンの名前が挙げられていて、どうやら日本の詩人たちに「スポークン・ワード」がほぼ根づいていないらしいことが推察できる。僕が話をしたそのイギリス人女性は、「詩は人と人を繋ぐものよね」とも語ったが、どちらかというと非外交的で内向きなイメージの強い日本の詩とは何かが大きく違うように感じる。

次に二点目の「音楽性」について。詩の音楽性(musicality)のことは詩を語る際に多くのイギリス人が言及する。あるイギリス人男性に、自作の俳句の英訳を添削してもらったことがある。その時に、彼は「ちょっとそれ、日本語で読んでみてくれないかな?」と言い出した。そこで、日本語のわからない彼に日本語で俳句を朗読して聞かせると、彼は「いいね。日本語での音楽性を感じるよ」と満足そうだった。似たような経験は他の場面でもしたことがあって、どうも彼らは詩の音楽性を重視すると思える。

先述のイギリス人女性に、こんな質問をしてみた。

「文字の詩と、声の詩と、あえて言えばどちらに詩の本質があると君は思う?」

彼女は少し考えた後、「声だと思うわ」と答えた。僕自身も含め、このような答えは日本の俳人からはなかなか聞けないのではと思う。というのも、少なくとも俳句の場合、漢字や仮名を書き分けたり旧仮名を使ったり、と表記文字の選択はきわめて重要だからだ。

現時点で、俳句と芸術との関係の新しい議論の方向性は僕にもまだ見えない。だが、日本語と英語ではこのように異なって見える「詩」の風景を踏まえながら、その中で俳句をどう捉えていくかという視点が、既にここまで国際化したHaikuにとってはあらためて重要なことなのでは、と感じる。

※この原稿は2020年2月に書かれ、『現代俳句』2020年4月号に掲載されたものを転載しました。


Facebook永田 浩三さん投稿記事

しとしとと雨が降る中、千葉・成田の無着成恭さんのお寺に伺う。1927年生まれの御年96歳。 生活綴り方について調べる川嶋均さんと一緒。

無着さんは、戦後すぐ、桑原武夫『第二芸術論』に大きな影響を受けた。俳句と社会性というテーマについて、無着さんの答えは明快だった。自分の体験が、自分のからだを通して、言葉となり、俳句となる。だから、体験者が戦争や原爆をテーマにするのも当然のこと。

俳句は、二度と戻ってこない時間を詠うもの。俳句の中に、いのちの短さがある。短いいのち、だから世界は広い。いのちの尊さをユーモアを持ち、いとおしみをもって詠う。

 戦争は絶対的に悪いものだということを知っている先生がいる限り、戦争は起きない。

ひとつひとつの言葉が重い。うれしくて小躍りするような時間だった。

高校の時に、いちばん勉強ができたHさん。その後、京大に進み、デカルトやスピノザを数学や自然科学の見地から研究した。パリにも留学し、いまや代表的なスピノザの研究者になった。そんな彼女に番組に出てもらったことがある。碩学の桑原武夫さんと若手研究者との鼎談。

打ち合わせの合間に、桑原さんにのことについて聞いた。なんと桑原さんは、若気の至りと頭を掻いた。

調子に乗って、では桑原さんが自慢できる研究は何ですかと尋ねた。すると、スタンダールでも共同研究でもなく、石川啄木のローマ字日記だという。ほんとうにびっくりした。

 三好達治とも親交の深かった桑原武夫。俳句から現代詩にすすんだ三好達治による激烈な俳句批判が、第二芸術論のきっかけにあり、もうひとつは、啄木のローマ字日記に心酔するほどの激しい詩情へのあこがれが、あの戦闘的な論文を書かせたと、素人のわたしは推察する。

 そんな与太話をHさんに電話でぶつけてみる。否定されず肯定もされず。


Facebook市堀 玉宗さん投稿記事

「私にとって俳句が芸術になるとき?!」  神仏の暗がり覗く紅葉狩 玉宗

所謂「俳句第二芸術論争」なるものについて再考してみたい。今更、第二芸術論もないだろうという人もいるだろうし、俳句に興味がなければ第二芸術論って何?という方もおられるだろう。そういうことからも論争自体が俳壇の中だけのものであったことを証明しているのかもしれない。

昭和21年11月。日本国憲法が公布された同じ月に、雑誌「世界」にひとつの評論が発表された。日本のフランス文学文化の研究者・桑原武夫の「第二芸術─現代俳句について」である。短いこの評論が、戦後の俳壇に大きな衝撃を与えたことは事実であり、今も尚、ゾンビのように俳人の油断を吐いて出るお化けのような代物である。

桑原武夫は俳句作品の評価が閉鎖された狭い世界のなかで決定されている、と指摘した。そして「かかるものは、他に職業を有する老人や病人が余技とし、消閑の具とするにふさわしい」と述べた上で、「これにも「芸術」という言葉を用いるのは言葉の乱用であり、強いて芸術の名を要求するならば、私は現代俳句を「第二芸術」と呼んで、他と区別するがよいと思う。」と評したのである。その共感する場の狭さもまた俳句の本質ではあったのだが、敗戦当時の戦後思潮には古色蒼然たる芸事と見えたであろうことは想像に難くはない。それは今でも変わらない大衆文芸という俳句世界の風景である。

「風」主宰であった故沢木欣一はこれに対して全面否定するという立場ではなく、その論法は稚拙であるとしながらも、戦後から続く俳句界の閉塞性を指摘しているのは真実であると認めている。子規の俳句革新は未だ成されていないという思いが沢木にはあったのではないか。彼は社会に翻弄される俳句界に絶望してはいただろうが、俳句そのもへの信頼は揺らぐことはなかったであろう。戦争に敗れた今こそ真の俳句革新、俳句の文学性を回復するエポックとしなければならない警鐘と捉えたのである。沢木の社会性俳句への切り込みも、風土俳句への傾斜も、俳句の独立性・文学性・芸術性を奪回する歩みであり、第二芸術論争はそんな沢木が捉えた文学的にしてジャーナリスチックな出来事であっただろう。

芸術とは「美を創造するために人間が行った行為により生み出された作品」と定義するとして、顧みて現在、自分が芸術家だと自認している俳人はいるのだろうか?俳句が芸術だなんて、オコガマシイなどと私は思ってはいない。オコガマシイ俳人は目につくが、「俳句」という日本独特の、或いは、日本的なと言っていい「美」があり、「詩」があり、「芸術」があるといってもなんら差し支えないだろう。

俳句も又、俳句的美を創造している。個々の作品が一流であるか二流三流であるかという問題は、俳句が詩であり、芸術であるという本質論とは別のものであろう。言葉の奇跡を信じ、ポエジーという裏窓から世界を俯瞰し創造する。そのような再生作業は俳句という芸事にも可能であることを俳句の歴史が証明している。

芸術に第一とか第二とかいう分類を立てること自体もまた創造的であるとは思えない。それは人間性に第一も第二もないのと同じ混沌だから。俳句もまた詩という混沌なのである。詩の一つの形式なのである。厄介なのは俳句のプレゼンターが、詩人に値しないということであるのか。俳人であつて詩人でないから胡散臭くなるということなのか。このような偏見は余りに低次元なのかもしれない。然し、俳句という芸事や衆を恃むことには通じているが、謂わば孤独でない詩人、孤独でない芸術家とは一体何だろうかと思わない事もない。

現代の俳句界は「第二芸術論」をクリアーしたのだろうか?そもそも、あれは大した問題ではなかったのだろうか?詩人、芸術家とは権威・偶像を笑っているのが常のように見える。マスコミと商業化の中で踊らされている俳句界でそのような孤独な志といったものがあり得るのだろうか。自己喪失という現代の病巣は俳句世界にも浸透してはいないか。

人のことはどうでもいい。私自身が私自身のこととしてそのような詩人としてのアリバイを自問自答しているだろうか。俳諧で笑うべき現代の権威・偶像とは何であるか?それはもしかしたら、大衆文芸と呼ばれている俳句の本質である「大衆」そのものではないかと私は常々思っている。言い換えれば、私の俳句は新たな権威、新たな月並を纏っているのではないかということだ。

俳句の醍醐味は「新しみ」である。協会の役員に名を連ねるとか、同人であるとかないとか、受賞歴がどうだとかこうだとか、結社や師系がどうだとうか、そのような「あたらしさ」ではない。常に、俳句のポエジーが降り注ぐ無心の器として生きているだろうかといった事の方が私には余程、意地の張り合いがあるというものだ。私にとってはそれだけが俳句に関わっている存在意義となっている。

俳句文芸が芸術であるかないか、芸事であるかないか、そのようなことも、実は私にとって大した問題でない。私は自己更新しているだろうか。そのような作品と一体となって生きているだろうか。ひたすら、そのような事を文芸の一大事としてやっていきたい。