佐賀高橋設計室・高橋正彦さんを訪ねて
鎌倉設計工房
藤本 幸充
佐賀高橋設計室訪問及びインタビュー(インタビュアー藤本)
JR辻堂駅から南に徒歩20分、湘南海岸沿いの松林を望む団地内の一室を高橋さんは事務所として活用している。
その辻堂団地は60年を経過する団地の草分け的な存在。
当時の形をほぼそのまま残したインテリアになっている。
加えて楽器が鎮座していたり、レコードのジャケットをランマに飾るもおしゃれ。
照明器具のシェードは皿のごとく無垢板を削り出して曲面をつけ、これが自作。
代々大工職の家に生まれたと伺ったが手先の器用さはどうやらそのせいだ。
(右が高橋さん)
ホームページを拝見すると
「佐賀高橋設計室のHPにようこそ。湘南で設計活動を行っています。
光と風があふれる気持ちの良い空間を作ってゆきたいと思います」とある。
実際「気持ちの良い空間」であることが大事で、建築家に依頼することの意義もそこにあると思う。
時間をかけてプランに収斂させてゆくのが高橋さんの流儀だ。
タイムリミットはあるので途中で切り上げざるを得ない、一つのプロジェクトに延々とかかわっていられるのが理想、だそうだ。
ところで佐賀高橋設計室とあるが、佐賀さんとはつい最近まで活躍していた建築家佐賀和光さんだ。
サーファーの草分け的存在、ジャズピアニストでもある。
当初、高橋さんは、縦横の線の正確さなど図面表記にこだわる建築事務所に勤め、有名建築を見に行くこともなく、デザインにも関心が薄かった。
その後、縁があって佐賀さんの東京事務所に勤めた。
当時、設計契約は湘南の佐賀さん自邸「晴々ハウス」(藤沢市鵠沼)で行なう。
高橋さんも契約に立ち会うべく模型を持って東京から「晴々ハウス」に訪れた。
その時、ドアを開けて中に入ると高橋さんに「激震」が走った。
海からの風が縦横無尽に抜けてゆく窓、、
壁からのみならず天井からも刻々と移り変わる光を取り入れ、しかも単なる部屋の寄せ集めでない流動する空間。
大工の家系に生まれ民家の田の字型プランのごとく四角く区切られた空間ばかり見てきた高橋さんにとって青天の霹靂だったそうだ。
「晴々ハウス」建設当初の記念写真がある。ご家族のうれしそうな顔、裸で写るなんて将に佐賀さんは「湘南ボーイ」
サーフィン、音楽と公私ともに高橋さんにとって自らの手本となったのは、アアルトでもミースでも、コルビュジェでもない、佐賀和光だ。
その後佐賀事務所は自邸に移り、高橋さんは東京から湘南に通う生活が続く。
何年かたって、独立を佐賀さんから進められたが、その都度、居心地がよいので、、と断り続けていた。
そんな時、佐賀さんの訃報が仕事中に入る。逗子海岸沖でサーフィン中の心臓発作、、、、、。
深い悲しみの縁にとどまり続けるわけにもゆかず、佐賀さんが残し、宙に浮いていたプロジェクトと向き合わねばならない。
高橋さんはいよいよ独立を決意。
今まで二人三脚でやってきた経緯から、独立した事務所名にあえて「佐賀」を加えた。高橋さんも東京の自宅から海の近く、鎌倉の腰越に引っ越し、事務所も現在の辻堂団地内に移る。
その高橋さんの鎌倉の自宅は「晴々ハウス」のイメージに近く湘南の住まいそのもの。
白木と横目地を入れた白壁のインテリアで全体をまとめそこに家具的要素を加えてゆく。
(高橋さんの自宅と佐賀さんコーナー)
だが独立後の高橋さんは今までの佐賀さんと過ごしてきた湘南のイメージがありながら、「気持ちの良い空間」をさらに拡大してゆく。
例えば木製フレームに十字型の格子を中に入れた窓は外部に面して、あるいは内部の間仕切りに使用されている。
大型となると中の十字が増えてゆく。
木という素材で作られた窓は触れて優しい感じがする。
外に木々の緑が格子と重なる場合は特に効果が増す。
また部屋と部屋との境に設けられた場合、仕切りながらも開かれ、レイヤーとなって、人や景色に新たな関係性が生まれる。
白壁と木についても、今までの周囲が開かれた場所での明るい空間に、木々に囲まれ光が抑えられた場所、例えば鎌倉浄明寺のプロジェクトでの、白壁に陰影のある空間が新たに加わり、魅力を増す。
またテーブルや収納など高橋さんデザインの家具的要素も空間に加わり、「気持ちの良い空間」に参加している。
そういえば、佐賀さん時代のこんな話もあった。
網戸について。
佐賀さんは自然の風がそのまま入る気持ちよさを尊ぶ。風が半分しか入ってこないので網戸は付けない。高橋さんは建て主の気持ちを察して、佐賀さんの完成検査が終わったのち、こっそり網戸をつける。
蚊が入ってこない方の心地よさを選ぶ。高橋さんのやさしさでもある。
何でも話せる高橋さん。笑顔もさることながら気さくでおおらかな人柄、そこが彼の強みでもある。
佐賀高橋設計室として新たに出発してから25年。晴々ハウスから受けた衝撃も次第に形を変えてゆく。
設計は依頼主の要望条件によって変わり、形に「翻訳」してゆくプロセスだ。
住宅もあれば店舗もある。
建築で扱う素材の種類や形も千変万化し、「翻訳」の流儀もおのずから進化してゆく。
「苦しんで解決したことは次の仕事に生きる。自分の基準で終わらせるのではなく、相手に合わせた結果、これだ!という思いに至ることもある、、」と語る。「現場が図面と異なる事態になったとき、必死に考えて災い転じて福と、なる体験もある」とも。
ところで冒頭、「手先の器用さ」を書いたが高橋さんは木工をこなす。ナイフやスプーンなどカトラリーの制作のみならず教室を開く、先日吉祥寺のアトリエで開催中の教室を訪ねた。木に穴をあけ鳥のさえずりに似た音を出すバードコールを子供連れの家族に教えていた。腕のほどはシステムキッチンなど手作り家具にも無論反映されている。
最近完成した鎌倉浄明寺のsawvi(そうび)。
https://www.takahashi-arch.com/works.html
谷戸の緑に囲まれた環境を生かし入口から奥へ奥へと引き込まれてゆく空間構成、シルバーのガルバリュウム波板横使いと木製建具とのコントラストが美しい。写真ではその一角がわかるに過ぎない、店舗でもあるので是非、訪問し空間を体験してほしい。