生きるのは最高だ
こんばんは。Nanashunです。
今回はここ最近の感情を振り返っていきます。先ず前提として、やっぱりストレスがかかっていると、判断が鈍るというのは自分の経験上、そうらしいです。ただ結論、これといったものはありません。これは抽象的に濁しているわけでもなく、事実です。もう少し分解すると、会社のことやプライベートのこと、身体のことがこのたった2週間の間にほんと運命のように重なったことで、自分の心は抉られていきました。ポイントは「重なる」です。普段からメンタルが強い方だとは到底思ってもいないですが、少なからず一つの事象に対しては、ちゃんと向き合ってその度に立ち直ってきました。しかし、そんな自分もあれもダメ、これもダメ、良かれと思ったらそれもダメとなると、流石に縋るものも無くなっていき、結果的に心は拠り所を失っていくわけです。そして孤独を感じ、それに耐えられなくなった人がいわゆる「死」を選択するのだと思います。そうなると、自分は今孤独の真っ只中にいるわけで、耐えられなくなったら、という状態です。でもまだ耐えられるのは、生きようと思えるのは、それでも自分のことを必要だと思ってくれている人がいるからです。例えば、全てを明かすことができなくても、こういう心理状態でいることを打ち明けるだけでも、寄り添ってくれる人が会社然り、プライベート然り、病院しかりいっぱいいるからです。それだけじゃないです。まだまだいきたいライブもフェスもたくさんあるし、やりたいことも叶えたい夢もある。そうなると、まだまだ人生捨てたもんじゃないというほんとわずかな希望が自分を生かしています。
「生かしている」と言うのは、つまりもう自分で生きていない感覚です。誰かに、何かに、生かされている。申し分ないくらい、周りに迷惑をかけてでも、生きることだけ選択している感覚です。本当はこんな人間になりたくなかったし、それこそ自分は逆にそういう人の拠り所でいたかった。でも、それがまさか自分にかける言葉になるとは、やっぱり人生ってわからないなと思います。ただ、逆に言えばそうやって自分と向き合うことができるから、今度同じような人に出会った時に人に優しくできるのかもしれないですね。私事ですが、よく優しいと言われることが多くて、それもきっと人一倍傷ついて生きてきたからだろうなと最近はその傷すらも勲章に思えます。そうであるなら、今の苦しい状況もきっと勲章に変えることができる。そうやって生かされながらも、生きていく。今回はそんな決意のようなブログで終わりたいと思います。余談ですが、自分の好きなBUMPも大抵の曲のラストは明るい歌詞で終わっています。それはきっとボーカルの藤くんも自分たちと同じように傷を抱えていて、それでも大丈夫だよと言ってくれるのは、藤くん自身がその傷を乗り越えてきたからだと思います。結局、人生の最後笑えればいいのかもしれません。そう思って今は耐えながらも、生きていこうと思います。正解も不正解も言葉にならない感情もどれが正しいかなんて確かめる間もない程切羽詰まった今ですが、生きるということは最高だということを自分がこれからの人生で証明していきたいと思います。
読んで頂き、ありがとうございました。