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10月13日 主日礼拝

2024.10.13 15:25

10月13日 主日礼拝

礼拝説教

伊藤大輔牧師


使徒言行録 8章1-3節


ステファノは殺害をされる。

これをきっかけに教会への迫害が起こる。

サウロはその先頭に立っている。

なぜステファノと教会はそれほど憎まれたのか。

サウロはステファノのどこに、イエスのどこに怒りを感じたのか。

人々が怒り出した原因のステファノの説教、

ヨセフとモーセについて語ったステファノの言葉、

ヨセフは夢を解くもの

自分に正直だったもの

人から忌み嫌われようが、

忘れ去られようが

ヨセフは自分の賜物に正直だった。

モーセも神からの使命

これを忠実に果たす。

人から忌み嫌われようが

批判をされ、裏切られようがモーセはこれを続ける。

ステファノは人から憎しみをぶつけられても、冷静に自分のこれから、彼らのことを祈る。

ヨセフ、モーセ、ステファノ、

彼らに共通しているもの。

それにサウロは怒った。

彼らに共通しているものは何か?

人の目を気にしていない。

自分以外のものに力を注いでいない。

彼らは余計な力を働かせていない。

人からの評価

これに執着固執をしていない。

握り締めていない。

力が抜けているのがこの3人に共通していること。

翻ってサウロはどうか。

律法を大事にしている。

大事にする。

それは握り締めていること固執をしていること

力が入っている。

なぜ大事にするのか

それがないと自分を維持できないと思っているから、

自分自身だと思っているから、

自分以外のものを貼り付けて自分自身になっている。

ステファノは旧約聖書の登場人物を語りながらイエスについて語る。

イエスは私たちに全部備わっていると語った。

十戒の本当の解釈は握り締めることを要求していない。

神が世界を造ったのだから、何にも執着をするのと語っている。

サウロはそんな言葉は受け入れられない。

手放せば自分は消えてしまうと恐れているから、

自分を維持するため、自分の存在を守るため、

サウルは握り締めであるものを手放せと唆すような連中を許さない。

私たちの世界で残っているものは何か

執着固執で凝り固められたもの。

一時はその存在の意義を示すこともある。

だが、歴史を貫いて存続はしていない。

ユダヤ、キリスト教

2000年以上の歴史を刻んでいる。

中世の教会において十字軍、免罪符、

握り締めれば救われると解いたと時代もあった

それが宗教改革を引き起こした、

信仰のみ

握り締めなくても大丈夫。

力を入れない。

脱力

それが人類の歴史の中では存続し続けているもの。

力を込めて生きていたサウロ

後のパウロは、新約聖書のおよそ半分を記し、キリスト教の基礎を作った。

パウロの回心

神の恵みに気がつき力がぬけた。

存続するものは

何も怯えていない。

自分以外のものに支配され、固執もしていない。

本当の自分でいられ続けているもの。

力の抜けたもの。

それがこの世界で命をつなげている。

私たちは命を引き受け、

受け渡すものになっているのか?

私を見つめる時を持ちたい。