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「平和と和解の継承」 実行委員会学生代表 奥津 恵 青山学院大学 経営学部2年

2024.10.14 12:47

私が初めて英連邦戦没捕虜追悼礼拝に参加したのは、中学3年生の時でした。初めて実際に参加し、受けた印象は、昔の人が戦争で亡くなってしまったのだという事実を表面的に捉えただけでした。その後も父と共に追悼礼拝に参加し、実行委員として準備から携わるようになった頃、少しずつこの英連邦戦没捕虜追悼礼拝の意義やなぜ私たちが約80年前に起こった戦争について今もなお思い起こす必要があるのか考えるようになりました。

第二次世界大戦が終わり、約80年という年月が経った今、実際に戦争を体験した方々が、次第にこの世を去っています。昨年亡くなられた雨宮剛先生、関田寛雄先生もそのような方々です。私は自身の経験として戦争の悲惨さを語ることはできません。しかしながら、英連邦戦没捕虜追悼礼拝では実際に戦争を経験した人だからこそ語れる言葉が残されています。この残された言葉をここで途切れさせてはいけないと思います。

日本は原子爆弾を落とされた唯一の国であります。また、戦争で多くの被害を受けました。そのことは、報道や教育の場でよく耳にし、私も中学、高校でそのことを学びました。しかしながら、初めて英連邦戦死者墓地にあるお墓の1つ1つを見たときに、16歳、19歳、24歳と自分とあまり歳の変わらない人たちが亡くなっていき、ある人は娘がいるお父さんであったのだということがわかり、日本は被害者でもあるが加害者でもあるのだと気づかされました。

この気づきから、「今ここにいる私には何ができるのだろうか。」と考えました。それは、残された言葉や思いを深く心に受け止め、理解し、また次の世代へ平和と和解を継承していくことだと思います。私はこの追悼礼拝に参加し始めて数年しかたっていません。そのため平和と和解とは何であるか。継承とは具体的にどうしたら良いのか答えが出せずにいます。しかしながらこの毎年8月の第一土曜日に行われている英連邦戦没捕虜追悼礼拝にこれからも参加し続けることに意味があるのだと思います。そのように歩み続けることによって、私自身の平和と和解の継承の原点に出会いたいと思っています。「平和と和解の道のりを歩む」と私の父は言い続けていますが、私はこの道のりのスタート地点に立ったばかりです。ですがこの道のりを歩み続けることこそ今の私にとっての継承なのではないかと思っています。