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生福寺

2024.10.15 07:18

真言宗宮應山生福寺

多羅葉の便り得て実の赤さかな  高資

https://lovegreen.net/lifestyle-interior/p174054/ 【葉書の葉、多羅葉(たらよう)って知ってる?】より

葉書の葉って何の葉っぱかご存知でしょうか?日本では平安時代に多羅葉(たらよう)という樹木の葉に傷をつけて、伝えたい言葉を相手に書いて渡した事が始まりと言われたいます。今回は葉書の始まり多羅葉のお話をご紹介致します。

切手を貼って送る長方形の少し厚い紙、葉書(はがき)は、年賀状として届いたり、お便りを書いたり、お知らせをしたり、ポストカードとも呼ばれております。葉書って何だか素敵な。日本語の名前だと思ったことはありませんか?

今回は葉書の「葉」って何の葉なのか?実は「多羅葉(たらよう)」という樹木の葉が始まりだと言われています。ぼんやりと過ごす休日に頭の中を巡らせてしまうような素敵な植物のお話をご紹介したいと思います。

葉書(ハガキ)の始まりって知ってる?

葉書の始まりは「多羅葉(たらよう)」という樹木の葉の裏に傷をつけて言葉を書き、日本では平安時代に相手に渡して伝えた事が始まりと言われています。 木の葉を手にして文字を書き記す、、、イメージするだけでも素敵な光景ですね。 葉に傷をつけて文字を残すだけならば、他の葉でもいいのでは?とも思ってしまいますが、実は多羅葉(たらよう)の葉は特別な成分を含む為、傷をつけると短い時間で色が黒く変色し、すぐに文字が浮かび上がる特性とその文字が消えずに長く残る性質から言葉を保存する葉として選ばれる様になりました。 それから、説明の中に先ほどから出てくる「言葉」という文字は口に出して言った事を葉(多羅葉)に書き記した事から生まれた様子を表し名づけられました。 ということは「言葉」の葉も多羅葉の葉という事になりますね。 日本語って一つ一つに絵画の様に美しい景色が浮かび上がってきませんか?植物が由来の素敵な言葉は他にも沢山あります。 お気に入りのエピソードを探してみても楽しいですね。

葉書の始まりは、平安時代に「多羅葉(たらよう)」という樹木の葉の裏に気の枝などで傷をつけて言葉を書き、相手に渡して伝えたことが始まりと言われています。木の葉を手にしてメッセージを小枝で書くとは、イメージするだけでも素敵な光景ですね。

葉に傷をつけて文字を残すだけならば、他の葉でもいいのでは?とも思ってしまいますが、実は多羅葉(たらよう)の葉は特別な成分を含むため、傷をつけると短い時間で色が黒く変色し、すぐに文字が浮かび上がる特性や文字がそのまま消えずに長く残る性質があり、言葉を保存する葉として選ばれるようになりました。

「言葉」という文字は口に出して言った事を葉(多羅葉)に書き記した事から生まれた様子を表し名づけられました。「言葉」の中に出てくる葉という漢字も多羅葉の葉という事になりますね。

日本語って1つ1つに絵画のような美しい景色が浮かび上がってきませんか?植物が由来の素敵な言葉が他にも沢山あります。

お気に入りのエピソードを探してみても楽しいですね。

多羅葉(たらよう)ってどんな植物?

■和名 多羅葉(たらよう) ■学名 Ilex latifolia ■属性 もちのき科もちのき属 ■常緑高木 幹の高さは10m程に高くなる常緑高木です、花の時期は4月~5月に淡い黄色の花を咲かせます。多羅葉の葉は肉厚で2o㎝程の長細い楕円型をしていて葉の縁は小さなギザギザが付いています。木の葉の裏は傷つけると短い時間で黒く変色してくっきりと浮き出る性質があります。 秋には8mm程の丸い赤い実が実ります。

■和名 多羅葉(たらよう)

■学名 Ilex latifolia

■属性 モチノキ科モチノキ属

■常緑高木

幹の高さは10m程に高くなる常緑高木です、花の時期は4~5月に淡い黄色の花を咲かせます。多羅葉の葉は肉厚で2o㎝程の長細い楕円型をしていて葉の縁は小さなギザギザが付いています。木の葉の裏は傷をつけると短い時間で黒く変色してくっきりと浮き出る性質があります。秋には8mm程の丸い赤い実が実ります。

実際に文字を書いてみました

先が尖ったもので文字を書いてみました。 このように、くっきりと文字が浮かび上がります。 ペンで書いたみたいにくっきりしていますね。

先が尖ったもので文字を書いてみると、この様にくっきりと文字が浮かび上がります。

ペンで書いたみたいにはっきりと文字を見ることが出来ますね。書き始めよりも時間がたつにつれて、だんだんと文字の色は濃くなって来ます。

多羅葉(たらよう)のまとめ

多羅葉(たらよう)は傷をつけると黒くくっきりとした線が浮き出る性質から、日本では平安時代にお経を書き残したり、火であぶると黒い模様が浮きあがり、その模様で占いをしたり、特別な植物として神社仏閣で植えられ特別な樹木として大切にされていたと言われています。

後に、その性質からお経だけではなく、伝えたい相手に言葉を書き記し渡したことが、現在は行いだけが残り、暮らしに合わせて紙へ姿を変え手渡し等から切手を貼って遠く離れた人へ言葉を届ける伝達ツールとして現在も尚、葉書は姿を変えながら使い続けられています。

葉書も今では電子メールやsns等の速いスピードでの伝達手段に姿を変えつつ有りますが、時にはお気に入りの万年筆やペンを使ってゆっくりと葉書に書き記し、遠く離れたお友達や家族へ時間を交換するようなコミュニケーションも素敵ですね。


https://ameblo.jp/amenooshiwo/entry-12629407266.html 【『第5回蓮の俳句大会・蕪村号誕生の地 宇都宮』】


https://www.kanto88.net/24 【栃木霊場 - 修行の道場 - 第二十四番霊場 宮應山 生福寺】より 

【 真言宗智山派 】 本 尊:大日如来  真 言:おんばざらだとばん

御詠歌:のちのよを ねがえばまいれ しょうふくじ だいしのひかり いまもとうとき

 寺院紹介   

当寺は宇都宮のほぼ中心部に位置しているが、大通りから一筋北へ入った道路沿いのため比較的静かである。永享10年(1438)、宇都宮等綱の開基。清原高盛の祈願所として創建された。以来、醍醐光台院末の中本寺として末寺十七ヵ寺を有していた。

古文書によると、江戸時代、城主転封の際は当寺の客殿において城郭領地の引き渡し、大明神の造営等事務引継ぎが行われたという。文化11年の火災、戊辰の戦火、第二次世界大戦の空襲等により何度も堂宇を焼失し、現在の本堂は昭和49年に再建されたものである。

境内には宇都宮の鋳物師・戸室元蕃作の市指定文化財の宝篋印塔、勤皇の志士、菊池教中の墓がある。参道の与謝蕪村の句碑は平成19年に蕪村顕彰会により建立されたものであるが、蕪村は28歳の時、芭蕉の足跡を尋ね奥州の旅に出た際、寺町の佐藤露鳩宅に寄寓していた。

その折に「宇都宮歳旦帳」を編集、これまでは宰鳥と名乗っていたがここで初めて蕪村を号し、世に出て行ったと言われている。蕪村号誕生の地でもある。

https://www3.nhk.or.jp/lnews/utsunomiya/20230525/1090014997.html 【写真家としても活動する住職 カンボジア大使館に写真集寄贈】より

写真家としても活動している宇都宮市の寺の住職が24日、東京のカンボジア大使館に招かれ、世界遺産の「アンコールワット」など、世界の仏教遺跡を撮影した写真集を寄贈しました。

東京 港区のカンボジア大使館に招かれたのは、宇都宮市にある生福寺の住職、塚田宗雄さん(81)で、カンボジアの駐日大使に、10冊の写真集を手渡しました。

塚田さんは寺の住職を務めるかたわら写真家としても活動していて、これまでにカンボジアの「アンコールワット」やインドネシアの「ボロブドゥール寺院」など、世界12か国の仏教遺跡で撮影を行い、これらをまとめた写真集をことし2月に発行しました。

中でもカンボジアでは、現地の子どもたちのために私費で学校を建てるなど教育や福祉の向上にも取り組んできたことから、今回、大使館に招かれたということです。

カンボジアのトゥイ・リー駐日大使は「学校の設立などに尽力してもらい、塚田さんにはとても感謝している。寄贈いただいた写真集は学校の図書館にも送りたい」と話していました。

塚田さんは「カンボジアのために尽くしてきたが、今回、大使と初めてお会いできて光栄だった」と話していました。

https://datazoo.jp/n/%E6%A0%83%E6%9C%A8+80%E6%AD%B3%E3%81%A7%E8%8A%B1%E9%96%8B%E3%81%8F+%E5%86%99%E7%9C%9F%E5%AE%B6%E4%BD%8F%E8%81%B7/21162211 【栃木 80歳で花開く 写真家住職】より

2023年4月28日放送 5:16 - 5:21 NHK総合

NHKニュース おはよう日本 地域発ニュース

宇都宮市「生福寺」の住職・塚田さんは青春時代、プロのカメラマンを目指していた。著名な写真家のアシスタントを務めた。しかし夢半ばで挫折し実家が寺だったことから僧侶となった。ただ写真家としての夢を諦めた訳ではなかった。塚田さんは僧侶となった後も写真を撮り続け、50年間で撮影した写真は数千枚に上る。僧侶として各地を巡礼してきた傍らで仏像や遺跡を被写体としてきた。そして80歳で写真集「遙かなる巡礼」を出版。世界12か国の仏像や人々の生活を記録し仏教の遙かなる歴史を伝えている。次は日本の風光明媚な寺を写真に収めたいと意気込んでいる。