最低賃金1500円表明について思うこと
石破茂首相は、「2020年代に最低賃金平均1500円を目指す」と表明した。立憲民主党・れいわ新選組・社民党・共産党と同じ目標を掲げ、愚かにも社会主義政策を宣明したのだ。
石破氏が社会主義者であることは、これまでの言説から明らかだが、自民党の党首・首相として社会主義政策を高らかに表明したことには驚きを禁じ得ない。誰も止めなかったのだろうか。
最低賃金とは、国が最低賃金法に基づいて定めた賃金(時給)の最低限度のことだ(同法第3条)。最低賃金には、地域別最低賃金及び特定最低賃金の2種類がある。
最低賃金法は、「賃金の低廉な労働者について、賃金の最低額を保障することにより、労働条件の改善を図り、もつて、労働者の生活の安定、労働力の質的向上及び事業の公正な競争の確保に資するとともに、国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする」(同法第1条)。
厚生労働省の諮問機関である中央最低賃金審議会が、年度ごとに上げ幅の目安を決定し、この目安に基づいて、都道府県の審議会が最低賃金を設定することになっており、これに基づいて厚生労働大臣又は都道府県労働局長が決定する(同法第10条、第15条)。
使用者は、最低賃金の適用を受ける労働者に対し、その最低賃金額以上の賃金を支払わなければならず(同法第4条第1項)、これに違反すれば、50万円以下の罰金に処せられる(同法第40条)。
まず、最低賃金制度は、生計を立てられるだけの賃金を支払うよう、使用者に義務付ける制度だと誤解されている。
しかし、実際には、最低賃金制度は、会社を倒産の危機に陥れ、労働者の雇用の機会を奪う制度なのだ。
例えば、最低賃金が1500円に値上げされたため、会社を存続できないとして解雇された労働者は、時給0円×1日8時間×週6日=週給0円だ。
これに対して、最低賃金1500円よりも安くてもいいから働きたいという労働者がいて、1400円ならば雇いたいという会社がこの労働者を1400円で雇うと、この労働者は、時給1400円×1日8時間×週6日=週給67200円となり、生活費を稼ぐことができるのだが、これは最低賃金法違反となり、この会社は罰金刑に処せられる。
この会社が最低賃金1500円で労働者を雇わなければならないということは、慈善活動として100円を労働者に寄付することに他ならず、こんなことをすれば、人件費が増大するため、採算が合わず、経営を圧迫して、倒産してしまう。これまで曲がりなりにも事業を継続し地域経済を支えてきた会社は、この労働者を1400円で雇うことができないため、会社の事業を継続できず、倒産の憂き目に遭い、失業者を生むのだ。
このように最低賃金法は、会社の倒産の危機を招き、労働者の雇用の機会を奪う悪法なのだ。地方創生、日本創生の掛け声とは真逆の結果を生むのだ。
次に、未熟練労働者については、職業訓練をさせるというのが政府のやり方なのだが、職業訓練は、受託企業を儲けさせるだけだ。未熟練労働者にとって、座学で職業訓練を受けるよりも、実地訓練(OJT:On the Job Training)に勝るものはない。
未熟練労働者の中でも特に10代の若者は、「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」というような挨拶を元気よくすること、注文を受けたら復唱をすること、遅刻しないこと、休むときには事前に連絡すること(無断欠勤しないこと)、責任を持って最後まで仕事を完遂することなど、労働者としてのイロハを一から学ばねばならない。実地に学んで経験を積めば、条件の良い職場へ転職も可能になる。
会社は、最低賃金1500円に見合った労働を提供できない未熟練労働者に一つ一つ教え、育てなければならず、未経験者を雇うことは採算に合わないので、経験者を優遇することになる。
このように最低賃金法は、未熟練労働者の雇用の機会を奪うのだ。
これに対しては、最低賃金を定めなければ、生計を維持できない低廉な賃金でこき使われるではないかという批判があろう。
しかし、そういうことがあっても、一生そこで働くわけではない。未熟練労働者がそこで経験を積めば、より良い条件の職場へ転職できるのだ。最低賃金法は、未熟練労働者が経験を積む機会自体を奪う点で、弊害が大きいと言える。
さらに、最低賃金法は、伝統技術の継承を困難にさせる。例えば、伝統工芸を学びたい若者が無給でもいいから教えて欲しいと伝統工芸の職人に弟子入りを願い出た。この職人の収入では最低賃金1500円以上を支払うことができない場合には、この前途有望な若者を雇うことができず、技術の継承ができなくなってしまう。なんの技術も経験もないため、最低賃金1500円に見合った労働ができない若者に最低賃金1500円を払わなければ、伝統技術の継承ができないわけだ。
そもそも政府が最低賃金を定めることが自体が間違っている。最低賃金制度は、物やサービスの値段が需要と供給の均衡により決まるという経済法則を無視して、政府が最低賃金を決める制度であって、まさに社会主義だ。
如何に優秀な人物であっても、全知全能の神ならざる人間である以上、限られた情報しか知り得ない無知なる存在であることに変わりはなく、いくらが最低賃金として適切かなんて、誰にも分からない。最低賃金法は、不遜(ふそん)にもこれが分かることを前提に制度設計されている。
最低賃金を1500円にするためには、失業率の下限を仮定して、インフレ率をいくらまで上げればこれを達成できるかは、計算できるが、本当に1500円が最低賃金としてふさわしいかは、誰にも分からず、市場が決めるべきことなのだ。
良かれと思って決定・実行したことが意図せざる結果を生むが故に、政府が万事決定し強制する社会主義は、必ず失敗する。
資本主義は、私利私欲を追求し、利己的であるのに対して、社会主義は、平等と社会的正義を目標に掲げるため、理想主義的で正義感の強い人々は、社会主義に共感しやすい。血気盛んな若い人々が社会主義に気触(かぶ)れるのも、この大義名分のためだ。
高校時代に、たまたま書名に惹かれて古本屋で買った河合栄治郎『自由主義の擁護』(角川文庫)を読んでいたら、日教組で共産党員である社会科の先生から、「お前も教師になって日教組と共産党に入れ」と誘われた。
この先生とは、是々非々で議論をして楽しんでいたし、河合栄治郎は、ファシズム・マルクス主義・軍国主義を批判し、世間から自由主義者だとの評価を受けていたが、実際は路線が違うだけで社会主義者だったから、おそらく先生は、もう一押しすれば、私がマルクス主義者になると思われたのだろう。
大阪の小学校で日教組教育を受けて、うんざりしていたし、英国流の保守主義(真の自由主義)が一番無難で自分の性に合っていると考えていた私が、先生からのお誘いを丁重にお断りしたことは言うまでもない。
話を戻そう。
資本主義も社会主義も手段であって目的ではない。社会主義が理論的に間違っていることは経済学によって証明され、ソ連崩壊により歴史的にも証明されているが、小難しい経済理論はさて置いて、大切なのは、その手段を用いた結果に着目することだ。お若い方には、ソ連や東欧諸国よりも、隣国北朝鮮と日本を比較すれば、理解しやすいはずだ。
著しい不平等が罷(まか)り通っているのは、社会主義国である北朝鮮だ。金書記長一族やこれに忠誠を誓う党幹部のみが栄耀栄華を極め、大多数の国民は、貧困に喘ぎ、餓死寸前の塗炭の苦しみを味わっている。貧困の平等だけは実現していると言える。
著しい社会的不正義がはびこっているのも、北朝鮮だ。密告制度により誰も信用できず、拷問、投獄、強制労働が日常茶飯事で、韓国の脱北団体が風船で散布したUSBに収められたビデオを見ただけで銃殺され、国全体を恐怖が支配している。
これに対して、日本をはじめ長く資本主義が採られている国々には、自由と繁栄がある。人間自身が不完全である以上、資本主義国にも欠点があるけれども、このように結果に着目すれば、資本主義と社会主義のいずれが道徳的であるかは、明らかだ。
平等と社会的正義という大義名分を掲げる社会主義は、真逆の反道徳的結果を生むのだ。
このような主張に対しては、いやいや、平等と社会的正義を捻(ね)じ曲げたレーニン、スターリン、毛沢東、ポルポト、金一族などの指導者が悪いのであって、社会主義自体は悪くないという人がいるだろう。
しかし、一人一人の人間が尊い存在であるとするならば、その自主性・自律性を尊重すべきであって、他人たる政府や独裁者が独断で物事を決めたり、特定の価値観を無理やり刑罰をもって強制したりすることは、許されないはずだ。たとえ、それが善行であってもだ。
資本主義は、私有財産を保障し、自発的な交換を本質とする。つまり、資本主義は、強制によらない自主的な協力を本質とするから、前述した人間の本性に適(かな)う。
自らの意思で自発的に行なった以上、その結果については自ら責任を負うべきことになるからこそ、道徳心が養われ、自発的に秩序が維持されるのだ。
これに対して、社会主義は、権力を本質とし、中央政府があらゆる物事を決定し、何をすべきかを国民に命令強制するから、前述した人間の本性に悖(もと)る。
社会主義体制では、中央政府があらゆる物事を決定し、何をすべきかを国民に命令強制するので、国民は、自らの行動に責任を負わず、すべて社会の責任だと考えるようになる。国家の命令である以上、親兄弟を密告して親兄弟が銃殺されても自分の責任ではないから、道徳的退廃が生まれる。
このように社会主義は、誰が指導者になろうと、本質的に反道徳的なのだ。
ところで、今月27日の衆議院議員選挙に向けてほとんどの政党が教育無償化を公約に掲げている。この教育の無償化も、マルクス/エンゲルス『共産党宣言』(岩波文庫、69頁)に明記された社会主義政策だ。これ以上、狂った社会主義政策を増やしてどうするのだ。
例えば、維新の会によって、大阪府は、私立も含めて高校を無償化し、大阪府立大と大阪市大の合併によってできた大阪公立大学も無償化し、大阪市は塾代まで補助している。もう本当にうんざりする。やめてくれ。
教育無償化は、結局、大学全入時代において本来自然淘汰されるべき、高等教育の名に値しない大学を存続させるなど、国民の血税で教育関係者の利権を守ることになる。
社会に出て働けば、誰しも実感することだが、学歴ほど当てにならないものはない。猫も杓子(しゃくし)もお手てつないで仲良く高校や大学に進学する必要はなかろう。世界の大学進学率ランキングを見てみたら良い。上位の国々がすべて成功しているとはお世辞にも言えない。
教育の無償化よりも、本当に学びたい人がいつでも何歳になっても学べる環境をつくることが大切なのではないか。
向学心に溢れているが、貧しさ故に進学できない子供がいれば、その子供に対して支援をすれば足り、裕福な家庭の子弟まで無償化すべき理由はない。
子供に教育サービスを受けさせたければ、親はその対価を支払うべきなのであって、これが資本主義の本質たる自発的な交換だ。教育の無償化は、資本主義を歪める愚行だ。
教育の無償化は、所得制限を設ければ、ほんの少しの差で無償化の対象から外れてしまって妬ましいという品性下劣な連中に迎合した、選挙目当てのバラマキでなくてなんだと言うのか。
公約たる教育無償化の財源を確保するためには、増税をすることになるが、増税は、可処分所得を増やすことにつながらず、経済がますます低迷する。
以前にも述べたが、少子化を反転させ、経済を活性化するためには、社会主義政策である累進課税と相続税を廃止するとともに、所得税・法人税を一律10%にして、可処分所得を増加することだ。また、最低賃金制度などの他の社会主義政策も廃止しなければならない。とくに富裕層・中間層に対しては寄付などの慈善活動を奨励し、税制上これを優遇し、名誉を与えて、名誉を重んじる高貴なる美徳ある社会を目指すべきなのだ。
な〜んて考えているから、投票したい政党・候補者がない。。。苦笑
政党・政治団体とは一切関わらないようにしているから、なんら義理もない。
政治は妥協だから、相対評価でマシそうな政党・候補者にしぶしぶ投票するけど、私の選挙区の候補者は、無能や胡散臭い連中ばかりだ。やれやれ。