ZIPANG-10 TOKIO 2020旧中山道 すや「栗ハ栗ノ味デ」 「きんとんは栗のかたちにもどす」 という昔からの伝統を頑なに守る
天然自然そのままの栗の味。
木曽路の秋の気がいっぱいです。
厳選された栗と砂糖のみを使い炊きあげた、気取らず、素朴な味わい
「 栗ハ栗ノ味デ 」
「 きんとんは栗のかたちにもどす 」
という昔からの伝統をいつまでも静かに大切に守っている ~すや~
旧中山道 栗きんとん「すや 本店」
旧中山道 栗きんとん「すや 本店」コンセプト
旧中山道 「すや 本店」栗きんとん
美濃中津川、町の中を旧中山道が通っている。
木曽路の入口にあたる古い宿場町である。
苗木城跡(手前)と恵那山(奥) @kasama1211
中津川の町は、 苗木城跡と恵那山の間に広がっています。
旧中山道、写真の左手側は長野県、右手側は坂本(仮称:リニア岐阜中央駅)、恵那、
瑞浪、土岐、多治見から標高320mの内津峠(うつつとうげ)を越えると平安の「三跡」と
称された小野道風公の故郷 春日井市となり、尾張名古屋は目と鼻の先にあります。
中津川の町は、町のどこを歩いても恵那山※が見える。2191mのこの秀麗な山は、美濃と信濃とを分ける分水嶺だ。
この山の上に、刷毛で刷いたような雲が流れると、美濃路のはてに秋がはじまる。
幾筋も波打つように横たわる丘陵には、野萩が紅い花をつけ、やわらかな芒の穂が風にそよぐ。
そして広大な恵那山麓のいたるところに栗の毬が笑みほころびはじめ、
中津川新町の古い菓舗“すや”に、一年のうちでもっとも忙しい季節がめぐってくるのである。
良寛の書から拾ったという「すや」の二文字(※1)、その木曽けやきの大看板を掲げるこの店は、中津川でも、一、二の旧家として知られる家だ。
栗きんとんの箱に貼られている版画風の絵は、わらぶきの茶店を描いているが、
建物はそんな姿で江戸後期の宝暦頃から、中山道に面して立っていた。
※恵那山 日本百名山に数えられる山
標高2,191m。 中央アルプス最南端にあり、頂上には恵那神社の奥宮本宮が祀られています。中腹の「黒井沢登山口」から約4時間、「神坂峠登山口」からは約4時間30分で山頂へ。
初夏から秋は登山客で賑わいます。
そして恵那山は自然の宝庫。多くの高山植物が確認されています。
神坂峠登山口からは山小屋「萬岳荘」を経て約30分、ぐるっと360°の大パノラマが広がる富士見台高原へも行くことができます。
(注)恵那山に登るには登山装備が必要です。また、必ず登山届を提出してください。
創業は元禄年間
江戸から下ってきた一人の武士が、この宿場町に住みつき、「十八屋」の屋号で酢の店を開いた。赤井九蔵というその人が“すや”の初代である。
中津川宿の酢は、中山道でも有名だったらしく、享和二年(1802)に、中山道を大阪から江戸へ下っていった大田南畝・おおたなんぼ(※2)は、この宿場に酢をひさぐ「十八屋」があることを、『壬戌紀行(じんじゅうきこう)』の中に書き留めている。
“すや”の現在の建物は、南畝(なんぼ)が通ったときすでに建っていたわけだが、彼も、この酢屋が百年後に菓子屋に変わろうとは思ってもみなかったことだろう。
(※1)良寛のいろはの書から倣たものです。
(※2)大田南畝 おおた・なんぼ(1749-1823)
江戸後期の狂歌師・戯作者、江戸の人。名は覃。
別号は蜀山人・四方赤良。有能な幕臣でもあり、広く交遊をもち、
天明調狂歌の基礎を作った。
編著「万載狂歌集」、咄本「鯛の味噌津」、随筆集「一話一言」など。(大辞泉)
編集中記
実は、美濃中津川 栗きんとんの「すや」を取材するのは、2回目であります。
但し、1回目は、「すや」の商品展示ケースや家具を栗の木を使用してデザイン制作した
中津川から更に奥に入った付知、杣工房の主・家具職人の早川謙之輔氏を訪ねお話を聴くためでありました。
時は、1988年
紅葉の美しい晩秋であったと記憶しております。
かって、小生が発行編集責任者をしておりましたインテリア・建築情報誌「プリカーサー」のインタビューのため(インタビュアーは、一級建築士・インテリアコーディネーターの
金子妙子氏)。
森林浴の森日本100選、岐阜県名水50選、飛騨美濃紅葉33選などにも選定されている付知峡
さわりを紹介すると、
『取材当日は、小春日和の爽やかな日だった。
恵那から二駅の中津川へ。中津川からは車で氏の工房まで伺うのである。
付知の空は深かった。そして青かった。
恵那の空気は清浄と感じ、人にもそう自慢していたのに、ここの空気はさらに透明でそれはたっぷりした陽ざしの中にもかかわらず、一種、冷気を含んでいるようであった。
「杣工房(そまこうぼう)」と彫りぬかれた小さな木の案内板を見つけた。車を降りて工房へ。工房はヒンヤリとしていた。』
中略
インタビューの最後に早川謙之輔氏の作品を拝見できるところがあれば紹介していただけますかと尋ねると、建築家の白井晟一氏から依頼を受け静岡市の静岡市立芹沢けい介美術館の木工事を行ったが、少し距離がある?今日の今日であれば、これから電話で連絡して挙げるので、中津川の栗きんとん「すや」さんをご覧になられては⁉
金子氏と取材班は、二つ返事で「是非お願いします。」
「すや」さんの建築設計は白井 昱磨(しらいいくま)氏、流線型の商品ケースや木の家具は
早川謙之輔氏が制作したことをお聴きして、「秋の日は釣瓶落とし」取るものも取敢えず
早速、中津川へ向かったのでありました・・・
金子妙子氏のインタビューの様子は、またの機会に・・・
栗きんとん すや
本店 内観
早川謙之輔氏 制作による栗の木を使用した流線型の商品ケース。今も健在である。
しかし残念ながら、早川謙之輔氏は20年前に他界されました(合掌)
旧中山道 栗きんとん「すや 本店」外観
太くて大きな梁が支える伝統建築工法 すや本店
直営店舗
【本店】
〒508-0038 岐阜県中津川市新町2-40
電話:0573-65-2078
FAX:0573-65-6628
フリーダイヤル:0120-020780
定休日:水曜日(9月〜12月は無休)
営業時間:9:00〜19:00
栗きんとん すや
お菓子一覧
栗きんとん すや 「栗ハ栗の味デ」
詰め合わせ
選りすぐりのお菓子を詰め合わせできます。
ご希望に合った詰め合わせをお選びください。
詰め合わせ一例
お抹茶で色と味を楽しむ
すや 栗きんとん
すや新店舗
すや西木 甘味処「榧」 外観
すや西木 甘味処「榧」庭園 蹲
すや西木 甘味処「榧」 内観
すや西木 甘味処「榧」 自然光や庭の緑に癒される窓からの眺め
すや西木 甘味処 榧(かや)
栗という文字は、西の木と書きてという「奥の細道」の一節にちなみ、すべて栗の木で建てた店を「西木」と名付けました。軒ちかくに栗の木を 植え、庭には榧の木も入れてみました。
西木では車でもおいでいただけるよう駐車場もとり、お休みどころ「榧」ではぜんざい・冷やし白玉・そばがきなどご用意し、夏には”水まんじゅう”を冷やしております。
木曽路へおいでの節には、ぜひお立寄りください。
お品書き
季節のお品書き
すや西木
住所 岐阜県中津川市中津川1296-1
電話 0573-65-1718(すや西木)
営業時間
10:00~18:00 ※ラストオーダー17:45
定休日
1月~8月は毎週木曜日
・8月31日は16:00閉店とさせていただきます。
(定休日の場合を除く)
・9月1日~12月30日は無休
●年末年始の営業は下記の通りでございます。
12月31日 休業
1月 1日 休業
1月 2日 11:00~16:00
1月 3日 11:00~16:00
アクセスマップ
栗きんとん取扱百貨店
【東海地方】
ジェイアール名古屋タカシマヤ(直営店) 9/1〜
松坂屋名古屋店(直営店) 9/1〜
【関東地方】
(台風10号の影響により販売日開始日が下記の通りとなりました)
日本橋髙島屋 9/5〜
新宿タカシマヤ 9/5〜
玉川髙島屋 9/5〜
髙島屋横浜店 9/5〜
【関西地方】
(台風10号の影響により販売日開始日が下記の通りとなりました)
髙島屋大阪店 9/5〜
阪神百貨店 9/5〜
※販売数に限りがあります。お求めの際はお早めにお出かけを。
販売期間は店舗によって異なります。
上記以外で栗きんとんをお求めいただける百貨店もありますが、短期間販売となりますので詳しくは「すや本店」までお問い合わせください。
鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(敬称略)
紅山子(こうざんし)
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
アーカイブ リンク記事をご覧ください。
旧中山道
~中山道 妻籠宿~ 花嫁道中
中山道の「妻籠宿」
妻籠宿は中山道の木曽11宿のひとつで、鳥居峠を挟んで馬籠宿に続く山間部の宿場です。
もと板葺で二階に手摺をもつ旅籠屋形式の町家が街道に面して連続しています。本陣は、絵図をもとに復原され、脇本陣である林家住宅(重要文化財)は木曽を代表する近代和風住宅であります。
町と住民が一体となって町並保存に取り組み、歴史的環境を活かしたまちづくりに成功した先駆地になります。
妻籠 花嫁道中
木曾の花嫁さん「木曽駒に揺られてお嫁入」時代行列の中でも花嫁行列は注目の的。
晩秋の一大行事「文化文政風俗絵巻之行列」
いよいよ11月23日は恒例の「文化文政風俗絵巻之行列」の開催です。
すでに宿内には幟旗も立ち、火曜日には宿場の端に木戸が設置されました。
当日は風俗行列の雰囲気が、深まる秋の風景に溶け込んで、より一層妻籠の町並みを素敵に見せてくれるでしょう。
130名前後の人々が宿場の風俗を再現!
130名前後の人々が、宿場役人・武士・浪人・鳥追い女・無宿・早駕籠・目明し・飛脚・虚無僧・女旅・男旅などに扮して、文化文政時代に中山道を歩いたであろう旅人の姿を再現します。
この行列は、昭和43年に妻籠宿の保存工事が始まったのを記念して、この年から行われるようになり、毎年11月23日の「勤労感謝の日」に実施されています。130名前後の人々が、宿場役人・武士・浪人・鳥追い女・三度笠・早かご・目明かし・飛脚・虚無僧・娘旅・男旅などに紛し、文化文政時代の宿場の風俗を再現します。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-2 TOKIO 2020 ~中山道 妻籠宿~ 速報 「11月23日 文化文政風俗絵巻之行列『花嫁道中』開催」
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5261522/
日本武尊(ヤマトタケル)も歩いた中山道・大湫宿
木々を渡る風の音が涼やかに、旅人を癒してくれる。いつ誰が名付けたか「琵琶峠」
琵琶峠は麓からの実高80m・長さ1kmで、中山道美濃・近江路で最も高い峠です。
700m余りにわたって石畳がしかれており、頂上直下には八瀬沢一里塚が残っています。往時から木曽街道六十九次や木曽路名所図会にも画かれた中山道の名所です。
琵琶峠
瑞浪市の北部丘陵を東西に中山道が通り、街道筋には大湫宿、細久手宿、一里塚、石畳が残る琵琶峠、十三峠、弁財天の池など多くの史跡や名所があります。街道のほとんどが東海自然歩道としても整備され、四季を通じてたくさんのウォーカーが訪れます。
広重の大湫宿はここから描いたものです。
土地(大湫)について
大昔、日本列島は海の底であった。その後、火山活動によって、隆起・沈降を繰り返しながら現在の日本列島ができた。その際、瑞浪市は、土岐川を境に北に中部山岳地帯、南に古瀬戸内海の海岸の位置となる。(化石博物館があり、土岐川沿いで貝の化石が出土することからも)その後、この大湫は、周りを小さな山に囲まれた盆地となり、水はけのよくない湿地(低湿地)となった。
(読み方)湫 や 久手・・・くてorぐて
(意味)大湫・・・大きな湿地
ここからはヤマトタケル 神話 中山道について
ハイライトは、≪ 大湫(大久手)宿の復元とその作業工程 ≫
(本文にて・・・)
〈余談〉昭和の話である。
40年代始に数年松本を拠点に長野県ほぼ全域を歩いたことがあった。車だったり列車だったりだった。ある時、仲良くなった年長の地元の方が「今日は車かい~中山道、気を付けて帰んなよ」と意味深に注意をしてくれた。小生は何か気になって尋ねると、「実は山賊が出るんだよ、この間も新宿から来た長距離トラックの運転手が、路肩に止めて仮眠してたら山賊に襲われてね」それ以来、小生は途中どんなに眠くても名古屋までノンストップ。
暫くして親切に注意してくれた方に再会。その話をすると、「えぇ~っ!あの冗談を本気にしてたのか~?」と笑い転げられてしまった。当方は照れ笑いと言うか歪んだ顔つきを残すしか無かった。(苦笑)当時の中山道の夜道は、車で走っていても光が吸い取られる程真っ暗闇になる。霧でも発生しようものなら、光が拡散して孵ってヘッドライトが邪魔になり、一寸先も見えない程の状況に陥るから冗談もまともに受けてしまう。
しかし、よく考えてみたら「ススキが揺れても幽霊に見えた」類いかもしれない・・・あの頃は未だスレてなかったのかな?直ぐに人を信じる癖、と言えばカッコイイけど…単に成人化が遅れていただけじやないのか…ハイ!ご尤もで…その後、どこの土地に行っても失敗談は枚挙に暇がない。
次回の(その4)は美濃瑞浪三十三の霊場を巡礼コースとともにご紹介予定。巡礼と言えば…(小生、弘法大師様と同じ6月15日が誕生日)ということだけがせめてもの自慢?
バカ正直、鎹八咫烏メがご案内致します。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-2 TOKIO 2020 ~日本武尊(ヤマトタケル)も歩いた中山道・大湫宿~「国登録有形文化財 森川訓行家住宅主屋(丸森)はじめ伝統建築の活きる町!」瑞浪(その3)
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5118608
日本の町『犬山』木曾の中乗りさんも癒された
ここまで来られたら少し寄り道を…犬山で『木曽川うかい』を楽しもう
犬山「木曽川うかい」夕景 左の高台には国宝・犬山城
夕陽が落ちる頃、漁火を頼りに鵜匠と船頭を乗せた木の鵜舟が木曽川を下り漁場に向かう。
昔、木曽川を、木曾節に唄われた中乗りさんたちは、木曾深山の狭い急流を、1本づつにばらした木材の真ん中に乗って前後左右に飛び乗り、起用に木材を操りながら尾張藩まで届けたそうです。命懸けの仕事だったんですね・・・。明治44年JR中央線が開通するまで300年間続けられた木曾伝統の木材運搬方法です。
中乗りさんの魂は永遠に「木曾節」の流れに寄り添い或いは飛び移りながら生き続けていくことでしょう・・・
木曽のナー 中乗りさん
木曽の御岳(おんたけ)さんは ナンジャラホーイ
夏でも寒い ヨイヨイヨイ
ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ
袷ょ(あわしょ)ナー 中乗りさん
あわしょやりたや ナンジャラホーイ
足袋もそえて ヨイヨイヨイ
ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ
人はナー 中乗りさん
人は見目(みめ)より ナンジャラホーイ
ただ心 ヨイヨイヨイ
ハー ヨイヨイヨイノ ヨイヨイヨイ
木曽のナァー 中乗りさん
木曽の名木 ナンチャラホーイ
ひのきにさわら ヨイヨイヨイ
ねずにナァー 中乗りさん
ねずにあすひに ナンチャラホーイ
こうやまき ヨイヨイヨイ
(木曾節抜粋)※やはりこれは入れないと!「木曾五木」の節を追加しました。
中乗りさんたちは木曽川の、命も落としかねない急流を考えると(現在、日本ライン下りとして木の観光船で下ることが出来る)犬山のゆったりとした流れに辿り着いた時はきっと、ゆりかごに揺られているような気分だったに違いない・・・
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020「日本の町『犬山』木曾の中乗りさんも癒された犬山のゆったりとした木曽川の流れで 『木曽川うかい』を楽しむ」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6234898
平安の「三跡」と称された小野道風公の故郷 春日井市
昭和56年(1981)松河戸町に全国的にも珍しい書の専門美術館
「道風記念館」が開館し、小野道風公を始めとする貴重な書作品が収蔵・展示されています。
道風記念会館
玄関前には道風公の銅像と石碑、そして柳の木が立っている。季節になると前を流れる庄内川の河原から蛙が遊びに来るそうですよ。道風記念館近くの観音寺では、毎年11月3日に行われる「道風祭」は関係者が集まりお詣りをする。さらに隣の道風公園に移り、小野社に祝詞をあげる習わしです。
春日井市には、平安時代の能書小野道風(894~966)がここで生まれたという伝承があります。この伝承を裏付ける資料として最も古いものは南北朝時代成立とされる『麒麟抄』で、「道風者尾張國上條ニシテ生マレ給ヘリ」とあります。
その後、尾張藩の国学者である天野信景(1663~1733)は『塩尻』に「春日井郡松河戸の村民伝云、松河の里は道風の生れし地なりと云云」と記しています。また、誕生地と伝えられる現在の春日井市松河戸町には、尾張藩の儒学者である秦鼎(1761~1831)撰文の「小野朝臣遺跡碑」が文化12年(1815)に建てられ、「松河戸の村民はみな道風がここで生まれたということを伝えている」という内容が刻されています。