遍照光院 生福寺
ぬばたまの闇のうつつを結びけり 高資
真言宗智山派宮應山生福寺
ぬばたまは、単に黒いから夜などにかかるのではなく、日の出を象徴するヒオウギの赤い花から夜を象徴するぬばたま、そして、再び、実生から赤い花が咲くという生命の循環が天文の現象にも深く関わってい意味深長です。
ひあふぎやかはたれ星を戴ける 高資
https://minamiyoko3734.amebaownd.com/posts/19535339 【檜扇の由来】
https://minamiyoko3734.amebaownd.com/posts/19530835 【檜扇(射干) A leopard flower】
ここに咲くこれからを咲く蓮華かな 高資
遍照もまづ足もとの蓮の花 高資
https://ooedophoto.blog.jp/archives/19667456.html 【24番 遍照光院 生福寺 】より
宮應山 遍照光院 生福寺(くのうざん へんじょうこういん しょうふくじ)
宗派:真言宗智山派 開基:宇都宮等綱 創立:1438年 所在地:栃木県宇都宮市仲町2-17 最寄駅:JR宇都宮駅 ご本尊:大日如来 駐車場:あり 納経料:300円
JR宇都宮駅から徒歩10分、宇都宮市中心街にある寺院です。
市中にある寺院という印象で、限られた境内にRC造3階建ての本堂と墓苑がありました。
室町時代に宇都宮第14代当主宇都宮等綱が開基しました。
この頃はまだ混乱が続き、宇都宮家は将軍家を巻き込む家督争いがありました。
当山開基の等綱はその後この地を追われ、奥州白川(福島県)で41年の生涯を終えます。
文化11年(1814)の大火で焼失、戊辰戦争(1868年)でも焼失。
明治維新当時の宇都宮藩は新政府軍に付き、土方歳三を含む旧幕府軍に焼き討ちされました。
その後明治政府が復興しますが、1945年の宇都宮大空襲で全焼。
現本堂は昭和49年(1974)、大師堂は昭和51年(1976)に再建されます。
本堂は3階建てで仏殿は最上階にあり、上がってみると結構な高さです。その高い場所で読経し、2階の納経所を訪ねました。
日焼けしてお元気そうな御坊さんが、満面の笑顔で迎えてくださいました。
宇都宮は陸軍師団と中島飛行機工場があったので、空襲されこの辺は焦土となった。
戦後復興の過程で敷地が狭くなり、仕方なく3階建ての本堂にした。
檀家さんの高齢化で、3階の仏殿は対策を考えなければならない。この様な話を聞かせて頂きました。その上で、当山のお守りと沢山のお供物を頂きました。
戦後の復興事業は全て信徒の寄進で行い、これは空海の教えに依るところだそうです。
なので戦後から30年後の復興は、信徒や檀家にとっては嬉しい共同事業だったでしょう。
市中の近代的な寺院という印象でしたが、歴史を手繰ると様々な思いが想像できます。
山門は無く、見慣れた石灯籠がありました
これは秩父霊場で見つけた、旧徳川霊廟(芝増上寺)から寄進されたものでした
本堂 昭和49年(1974)再建 最上階に立つと、かなりの高さに感じます
西国三十三観音霊場 拝む老婆とにこやかな大師像
弘法大師(空海)と興教大師(覚鑁)像 銅製宝筐印塔と不動明王
銅製の宝筐印塔は珍しく、平成9年に復元されました
当寺のお守りと沢山のお供物を頂きました
山門近くに咲いていた彼岸花