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絶滅危惧

2024.10.16 08:28

https://www.museum.kyushu-u.ac.jp/publications/annual_exhibitions/PLANT2002/03/03.html 【滅び行くフジバカマ -百年後には秋の五草に?】 より  

フジバカマは川原に自生する植物ですが、川原の開発のために絶滅危惧植物になっています。

このほかに、秋の七草の中で、キキョウも絶滅危惧植物に数えられています。

キキョウの自生環境は草原です。

人が野焼きや草刈りで草原を維持しなくなったことや、開発し続けたことが、キキョウが絶滅しつつある原因です。

この他にも多くの野生植物が、自生地の開発や草原の遷移、乱獲などにより、絶滅が危惧されています。

その数は1665種類に及び、日本の野生植物の約24%に達しています。


Facebook錦織法子さん投稿記事

母国語を大切にできない国は滅びるという話を聞いたことがあります。

ウィトゲンシュタインは、「私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する」と述べています。

しかし、私たちを取り巻く環境に目をやると、スマホの普及により、「言語の限界」にも気づけない仕組みの中で危機感を感じることなく暮らしている人があまりに多いことに気づきます。

一見便利さを享受しているように見えますが、語彙の少ない子供たちのスマホありきの生活は、「便利」さと引き換えに何か大切なものが奪われていくような漠然とした不安を感じてしまい ます。

何をすれはばよいのかを考える過程で学校教育の危うさにも気づくことになり、ますます、なんとかしなければ!!という危機感をつのらせています。

藤塚さんと出会い、この国を母国として生きていく人の基本として、先ずは「言葉の力」を知り、「言葉」を大切にする文 化を取り戻さなければならないと考えるようになりました。

言葉の持つ力を知ることは、豊かな人生を送るきっかけとなり、その実体験は文化の継承という豊かな尊い活動に繋がっていくものと考えます。

義務教育がここを疎かにしている のならば、少しでも取り戻す機会を持てるように、と、このセミナーを企画しました。

このセミナーの3つの柱

①私とあなたは見ている世界が違うことを理解する

②自分の気持ちを丁寧に言語化・言葉にする

③言葉は多面体なので色々な意味があることをわかった上で、伝えることを諦めない

何度参加しても、新たな気づきを体験します。

世界を見てもこんな豊かな言葉を使う国は他にありません。

国語を守ることは暮らす社会を守ることにつながるだけでなく、私達個の存在を守ることにも繋がるのです。

多くの人に参加いただきたくご案内いたしました。


Faceb加藤隆行さん投稿記事【違う、っていい】

「違」という字があります。意味はさからう。そむく。規則や命令を破る。

この字で熟語を作ると違反、違法、違約、違憲だから「違う」って「悪いこと」、「ダメなこと」だと思ってました。

一方、人と出会った時「同じ」部分があると、共感できます。安心できます。

だから人は共通の部分を探します。

初めて会った人と共通の話題が見つかると盛り上がります。一気に打ち解けます。

だから「同じ」って「いいこと」だと思っていました。

「同じ」が良くて「違う」が悪いなんとなくこんなことが自然と刷り込まれていたりするものです。

特に我々日本人は髪の色も目の色も「同じ」「同じ」が当たり前の中で生きています。

考え方、価値観、ものの見方それらが「同じ」ほうが安心するのは確かだと思います。

理解できないものには「恐れ」を感じることは生物としての本能だからです。

でもその「恐れ」、本当でしょうか?

違いを「恐れ」だと感じると、相手は敵に見えますが違いを「楽しい」と考えると

相手は自分を高めてくれるステキな人に見えます。

これもカウンセリングで良くある風景シリーズですが「変わってるね」「なんか考え方がちがう」と小さい頃に言われたことがずっとトラウマになっており人に合わせよう合わせよう

人と同じになろうとして生きている人が相当数います。

個性を押さえ込んで自分の感情も感じないようにして他人に正解を求めて生きている人。

「違い」が「悪い」だとカンチガイしてしまった人。

でも、そんな「他者と違う人」は実は私たち全体を成長させてくれる人です。

「違い」があるから、その「差」が伸び代なのです。「違い」があるから、その「幅」が広がりなのです。「違い」とは「チャンス」で「可能性」です。

自由に生きている人人と人をつなぐ人豊かさにあふれている人群れずに自分らしく生きている人 そんな人たちは必ずこの考え方を採用しています。

「同じ」は安心「違い」は可能性「違い」を悪いものとせず「同じ」と「違い」の

両方を味方につける。それができれば世界に敵はいなくなります。

アナタはいつでも高め合う仲間を手に入れられます。ということで、長年、腹を立てて

「ブッコロス(# ゜Д゜)」と感じている隣のダンナさんや奥さんとの価値観の「違い」を

ぜひ楽しんでみてください。すべてが「新しい発見」になります。

え、ムリって?そこをなんとか(^ω^;)


Facebook相田 公弘さん投稿記事「相田みつをの二つの魅力」志賀内泰弘

https://www.facebook.com/yasuhiro.shiganai

相田みつを美術館館長・相田一人さんをお招きして講演会を開催しました。

その時、相田みつをさんの息子さんである相田一人さんから、お父さんの意外なお話を伺いました。会場のスライドに若い頃の相田みつをさんの書が映し出されます。

広く知られている文字とは、まったくかけ離れた作風です。ひと言でいえば達筆。

相田みつをさんは、二十代の頃からすでに全国の書道大会で、トップの実績を持っておられました。

それがなぜ、作風が変わったのか。

相田みつをさんは、書が書道家たちだけの物でなく、一般の書の世界を知らない人たちにも楽しんでもらえるようにしたいというのが夢だったといいます。

そこで、二つのことに心掛けて、その後の独特な書体の作品を作り上げました。

一つは、「だれにでも読める文字」もう一つは、「だれにでもわかる言葉」

思わず、「そうだよなあ」と、うなづいてしまいました。

書道を習っている友人から書道の展覧会に招待されたことがあります。

「どうだった」と聞かれて困りました。どの作品も、達筆すぎて読めないのです。

読めないから意味もわからない。

この瞬間、「ハッ」としました。

一見、誰でも書けそうに見えるのが、相田みつをさんの作風です。

じゃあ、「書け」と言われて、誰が書けるのか。

相田みつをさんは、1枚の書を書き上げるのに、黙々と何枚も何枚を書き続けたそうです。

その積み重ねの末、その後の作風を完成させた。誰が見ても、「相田みつを」とわかる書体を。ゴッホやドガ、モネは、誰が見てもその人の絵だとわかります。

それと同じ、書のスタイルを築かれたのです。

私が文章の勉強を始めた時、ある「文章の書き方」の本にこんなことが書かれてありました。

「どんな文章が名文か。簡単なことを難しく書くことではない。それは、難しいことでも、小学生にもわかるように、平易に書くことである」と。

今でもそれが、文章を書く上での基本になっています。

しかし、これがまた難しい。

「だれにでも読める文字」「だれにでもわかる言葉」ここに、心を人に伝えることの基本があると思いました。

さてさて。

ある時、栃木県の友人から、お菓子の最中(もなか)の手土産をもらいました。

足利市にある「香雲堂本店」という和菓子屋の「古印最中」です。

箱を開けると、1枚の書が出てきました。パッと見てわかります。まぎれもない相田みつをさんの書です。

若い頃、お店の包装紙に書を書いていたことがあると聞いていたので、「これもその一つだな」とすぐに理解できました。それは・・・。

* * * * *

ひとつのこと でもなか なか思うよう にはならぬ ものです

だからわたしは ひとつのことを 一生けんめい やっているのです    香雲堂主人

* * * * *

ニヤニヤしてしまいました。もうお気づきでしょう。二行目に「もなか」という言葉が隠されています。なんというユニークな遊び心。これも相田みつをさんの魅力の一つだなと思いました。格言とか、ことわざの多くは、人を厳しく諌めるものです。

でも、相田みつをさんの詩には、実に人間臭くて優しいものがある。

* * * * *

「つまづいたって いいじゃないか にんげんだもの」 に代表されるように。

* * * * *

ますます、相田みつをさんのファンになりました。