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ジェット機で飛ぶ精神とかしわ餅

2024.10.16 09:53

連想するのは「端午の節句」


Facebook草場一壽 (Kazuhisa Kusaba OFFICIAL)さん投稿記事

4月4日 ·幸せの日

 「幸せの日」というのはあるとは知りませんでした。4月4日、今日です。

3月3日の「桃の節句」と5月5日の「端午の節句」のほぼ中間であることから、この日は、女の子の子(し)と男の子の子(し)が歩み寄った日で、「子合わせの日」ら「幸せの日」になったともいわれて、こどもの幸せを願う日だそうです。

「あんぱんの日」でもあるそうで、これは木村屋のあんぱんが明治天皇に献上された日にちなんでいるそうです。

毎日、なんらかの記念日です。

二十四節気では、今年の「清明」に当たります。清明(せいめい)とは万物が清らかで生き生きとした様子を表した「清浄明潔」という言葉を訳した季語です。花が咲き、蝶が舞い、空は青く、風は光り、万物が喜んでいるような季節ですね。いのちの清々しさを感じます。間もなく万緑の季節が来る予感・・・。

ところで、日本の文化の特徴のひとつに「みなし」とか「みたて」というものがあります。あるものをほかのものになぞらえることで、落語で扇子や手ぬぐいでいろんなものを表わすようなものです。

日本庭園の石や盆栽もそうですね。

見なしのように「聞きなし」の文化もあり、ウグイスは「ほーほけきょ(法、法華経)」、ホトトギスは「てっぺんかけたか(天辺欠けたか)」。「ぶっぽうそう(仏法僧)」はなんでしたか・・・。ごく当たり前になじんでいますが、私たちの独特な文化でもあります。「見なし」も「聞きなし」も自然に寄り添う、自然に耳を傾ける姿勢のひとつです。

 春の言葉は・・・まどろむ、うとうと、うららか、ほのぼの、のんきでのどかで、おおらかで・・・。幸せの日が春のただなかとは納得です。


Facebook相田 公弘さん投稿記事「幸せセラピー」斎藤一人

あのね、しあわせって気づきなの。自分がしあわせだということに気づかないとね。

そうじゃないと、いつまで経ってもしあわせになれない。

満たされていることに気づかないから、イライラしたり、怒ったり、悩むの。

そういうときに人間っていうのは、毒を吐くんだよ。その毒が部屋の空気を重くするんです。

そこに来た人は、その空気に触れて、「重いな。何かイヤな雰囲気だな」って、感じるんだよ。生まれてきてよかったと思う。今、ここが最高だって思う。そうすると、心に灯がともる。その灯で、人の心の灯をともすんです。

☆「幸せセラピー」斎藤一人 著 ロングセラーズより

あたりまえになってしまっているけれど、あたりまえじゃないことに気付いた時、幸せを感じることができますね♪こうして息をしていること、それだけでも有り難いことです。

※ここまで「魂が震える話」より

※斎藤一人さんのお話に関連して、小林正観さんのお話にこんな件(くだり)があります。

こういう実験があります。

一升瓶に普通の心理状態で息を吹き込み、そこにハエを入れると40分位で窒息死します。

ところが激怒した状態で同じ実験をすると中のハエは3分位で死んでしまいます。毒死です。

人間が怒った時は自分で気づかないだけで毒気を吐いているのです。

私たちは体調が悪い時、よく愚痴や泣き言を言いがちです。本人は病気ゆえに愚痴をこぼしているように思っているでしょうが、実は不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句(私はこれらを五戒と呼んでいます)という否定的な感情が肉体を蝕んでいるらしいのです。

私と親しいある外科医の話ですが患者の家庭環境を分析した結果、怒鳴りあっている環境で生活している人と、穏やかな言葉が飛び交う家庭で生活している人とでは、明らかに前者のほうが病気になる確率が高いということが分かったと言います。

宇宙の方程式からすれば先ほどの実験のように「ばかやろう」「つらい」「悲しい」といったネガティブな言葉が体内の水の細胞を破壊し、それが病気を招く原因となります。言葉の持つ力は大変なものです。何よりも大事なのは笑って愉快に生活すること。

その為に私たちが発すべき言葉は うれしい、楽しい、幸せ、愛してる、大好き、ありがとう、ついている、の7つ(これを7福神ならぬ「祝福神」と呼んでいます)です。

そうすれば健康になるし、幸せになれるし、つまりは自分の人生に大変得になるということになります。


FacebookHideaki Ogasawaraさん投稿記事

【 心屋 仁之助(心理カウンセラー)の ありのままの自分に⭕️をつけよう ver25 】

他人を許すことは、自分を許すこと 誰かに何か嫌なことを言われたり、されたり・・・、

それによって自分が傷つけられたり・・・、そんなことって結構ありますよね。それが自分の人間関係の範囲内であれば、それを引きずるのではなく、早く許してしまったほうが自分のためでもあると記されていました。(※凶悪犯による極悪非道な事件等については、到底こんなふうには言えませんし、会社内の不正・不祥事等については当然この限りではありません・・・)

「許す」ことをしないと、そのマイナスのエネルギーが自分自身に降りかかって、相手ではなく自分に悪影響が出るのだそうです。

また、我々は人のことを 「なぜ、許せないのか?」ということについて興味深い記載がなされていました。それは、自分が「許せない」と思った他人の性格や出来事というのは、大なり小なり自分自身が持っている部分なのだということ・・・。自分はそこに反応しているんだそうです。相手に「失礼なことがあって許せない」と思うなら、自分にも同じような失礼な部分があるのだとか。自分自身はそれに気づいていて、失礼の無いように気を使っている・・・、なのに相手は気を使っていないから腹が立つのだそうです。 なるほど、でしょ・・・。

ですから、何かについて「許せない」と思うことは、それに反応する部分を持つ自分も「許せない」ということに繋がるのです。一生そんなことをしていては、気づかずに自分を責めてばっかりの人生になってしまうわけです。「他人を許すことは、自分を許すこと」なのです。 許せないような出来事が起こったときは、自分の中の同質の部分に気づくための学びであり、自分が更に成長するときなんです。 

このことを理解すると、「許せない」 ということがグッと減るような気がしませんか・・・。自分の人間関係内のことなら、チャッチャと許して、終わらせましょう。

☘️相手を許すとき、自分もまた許される☘️

人に「罪のなさ」を見たとき、あなた自身の隠された罪悪感が解放されます。周りの人を許せたとき、私たちはそれを自分自身にも「投影」します。

逆もまた真で、自分自身を許せるようになると、周りに対しても寛容になります。

しかし、私たちが最も許しがたい人物ランキングで、ぶっちぎりの一位なのが、「自分自身」です。だから、周りを許した方が、簡単なのでしょう。

「相手を許すことは、誰のためでもなくて、自分自身のため」なわけです。