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浅川芳直さん

2024.10.17 07:43

https://www.sal.tohoku.ac.jp/jp/propose/11.html 【11 浅川芳直さん 哲学倫理学合同研究室】より

難解だった印象が一気にクリア。

「高校の文化祭に、母校のOBであり、当時まだ東北大学文学部で教鞭をとられていた哲学の大家、野家啓一先生が講演にいらっしゃったんですが、その時の話がとても面白くて興味を惹かれました。それまでも背伸びしてニーチェなど哲学の本を読んでいましたが、正直よくわかりませんでした。しかし野家先生による『科学哲学』に関するお話はこれまで感じていた哲学の難解さとは異なりとてもクリア。特に、知識とは何かという認識論の中で出た〝人間の関心に応じて知識はつくられていく〟という言葉を新鮮に感じて、その体験が東北大学文学部で哲学を学びたいと決意するきっかけとなりました」。

そう語るのは現在、東北大学大学院文学研究科で博士課程後期に籍を置く浅川芳直さん。文学部卒業後の進路として大学院に進学した理由は「学部の4年間では哲学を学びきれないから」というもの。この思いは入学直後の段階からすでに抱いていたという。その後、先生方のたくさんの教えに刺激や影響を受けたという浅川さんだが、特に印象的だった言葉があるという。

「昨年度で退官された文化人類学の沼崎一郎先生による文化人類学概論の講義に出たことがあるのですが、その際に沼崎先生がおっしゃった〝私がこれから論文にしようとしてモヤモヤ考えていることを講義する。大学の講義とはそんなものだ〟という言葉に感銘を受けました。〝大学は定まった知識を消費する場所ではなく、知を生産し、検証する場所なんだ〟と。人文系の研究、特に哲学の問いは、モヤモヤしていて一見答えがなさそうに見えることも多いです。でも逆に言えば、答えがなさそうな問いに対して、どうやったら答えにたどり着けそうか、そのアプローチを考えることが魅力だと思います」。

人生に寄り添う俳句との出会い。

大学院に進学して哲学を究める一方、浅川さんの人となりを語る上で欠くことができないものに俳句がある。作句を始めたのは、音楽や詩歌づくりなど多様な学びを取り入れた幼稚園に通う5歳の時。

「人生で初めて詠んだ句は〈三重の塔の庭には柿がある〉でした。たぶん正岡子規の『柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺』に影響されて、柿と書けば俳句っぽくなるだろうと考えたんだと思います」。

その後、俳句結社「駒草」に入門し、俳句に親しんでいた祖母経由で投句を開始した。そして学業の一方で俳人としても成長しながら東北大学文学部に入学。平成29年には当時仙台在住の小説家・歌人のくどうれいん氏とともに俳誌『むじな』を立ち上げた。

「まだ見えていない東北の若手俳人を可視化するという目的が主でした。『むじな』での活動をきっかけとして多くの人との出会いがあり、創作の刺激にもなりました」。

浅川さんは令和2年に第8回俳句四季新人賞、令和3年度宮城県芸術選奨新人賞、令和4年に第6回芝不器男俳句新人賞対馬康子奨励賞を受賞。令和5年12月に第一句集『夜景の奥』(東京四季出版)を上梓、同句集で令和6年、第15回田中裕明賞を受賞した。現在は河北新報朝刊コラム『秀句の泉』や、共同通信俳句時評『俳句はいま』(全国地方紙配信)への執筆、さらには宮城刑務所俳句クラブ講師と同所文芸誌『あをば』の俳句選者など精力的な活動を行っている。

身体での体験がさまざまな学びに。

浅川さんは東北大学入学をまさに目前にした頃に東日本大震災を体験。入学式など節目となる式典は行われず、なだらかに大学生活が始まったと当時を振り返る。

「公共交通機関の復旧の時に定期券を買いそびれて、自宅から約一時間自転車をこいでキャンパスまで通っていました。その道程では心の中で薄っすら五七五をつぶやいたこともありました。俳句は屋外に出て動きながらアイデアを得たり作句することも多く、その意味では身体を使った体験が大切です。また身体を使って得られた情報は知識の基礎であり、感動の基礎だと思います。詩歌も学びも、情報のインプットからアウトプットを生むプロセスが、不思議でもあり不可欠でもあります」。

体験したことと感じたこと。震災の経験は当然のことながら俳句にも反映された。

一本は海に吼えたる黄水仙浅川芳直

「後年『むじな』で震災と俳句という勉強会をやった時に、KADOKAWA『俳句』誌の当時の編集者が聞きに来てくださって、それをきっかけに令和4年の一年間、時評を担当しました。この体験も自分の活動の幅を広げることにつながりました」。

一方〝身体が大事〟ということでいえば、幼い頃から続けた剣道では学部4年時に学友会剣道部の主将を務めた。インカレでは団体戦ベスト16進出を果たし、現在はコーチとして剣道部での活動を継続している。俳句と剣道。一見、対極にあるようなことも浅川さんにとってはともに身体で体験してきた貴重なことと映る。

これからの自分に思うこと。

浅川さんは現在、富士通と東北大学が共同設置した『発見知能共創研究所』の一員としても研究に携わっている。

「ひとことでいえば『因果関係』についての研究ですが、富士通製の人工知能を使って物質の特性から自然界や人間の社会活動などに関する膨大な情報と情報を照らし合わせて因果関係を解明し、さまざまな社会問題の解決に資することを目的とするものです。物理学者の先生にも話を聞ける好機なので、このプロジェクトの成果で論文が書ければいいなと思っています」。

最後に哲学と俳句の『因果』について浅川さんに伺ってみた。

「僕自身の実践意識となると難しいところですが、俳句も哲学も現実のモノを対象にしたい、人間にとっての世界の見え方に迫りたいという思いがあります。哲学の場合は、人間の認識を丁寧に開いていくようなところがありますが、俳句の場合は逆に折り込んでいくというのが大きな違いでしょう。極端な言い方をすれば、何をやっても俳句になるし、何をやっても哲学になるという言い方はできると思うんです。ただ、僕の生き方を、哲学・俳句との三体関係で、因果という説明フォーマットに落とし込めるのかはわからないですね。因果的説明の納得度は高いですが、因果だけが現象の説明のすべてではないとも思いますから」。

自分自身の興味によって知識は育まれていく。だからこそ浅川さんはこれからも哲学と俳句に寄り添っていく。

浅川 芳直

Yoshinao Asakawa

2014年3月、文学部哲学専攻卒業後、東北大学大学院文学研究科に進学。卒業論文は「哲学的自然主義における意味と存在論 ー初期クワインの「意味」の否定についてー」。