命の花を咲かせる
Facebook相田 公弘·さん投稿記事「老樹」 坂村真民
よくわたしは樹齢何百年といわれる木に会うと、悲しくはないかと聞くのです。
そうすると彼等は必ずこう答えてくれます。
悲しくなんかありませんよ。一しょうけんめい生きているものには喜びだけがあって、悲しみなんかありませんよ。
わたしの葉を噛んでごらんなさい。生き生きしているでしょう。
朝は朝日を受け、夕べは夕日を受け、こうして立っていますと、自分が老いていることさえ忘れてしまいます。
春夏秋冬いろいろの鳥たちがやってきて、いろいろの話を聞かせてくれます。
肌は老いても心だけは若木と同じです。
Facebook自分の神話の歩き方~天に使ってもらう人生にする。投稿記事
【命の花を咲かせるシンプルな教え】
自分らしく生きよう、人生を輝かせたい。そう思った時、人はたいがい「やりたいこと」を探します。「私は何がやりたいんだろう」「私にむいていることは何?」「私の使命は?」と職業や資格などに意識を向ける。
でも・・・・、そうやって探している「やりたいこと」は、木にたとえたら花の部分。
これはDoing・・・ 肩書とか職業【何をするか】です。
ちなみに、実の部分はHaving・・・【何を手に入れるか】収入や資産、大きな家や車、賞賛、フォロワー数などなど、Havingは、Doingからくる、【結果】にすぎません。
もちろん花や実も大切です。全く必要ないわけではない。
でも花が咲き、実を結ぶためにも、心から幸せに満たされるためには、花を咲かせようとする前に、自分はいったい何の樹なのか・・【Being】が大事なのでは。=自分が本来どんな人で、何を愛してやまないのか、何が大切で、何を心地よく感じ、何に幸せを感じるのか。大切なのは何をするか以前に【どうあるか】
自分の個性や自分が望む幸せの形まずはそれらを理解する必要がありませんか?
そこを知らずに花や実を追いかけると、本質を見失います。
興味を失い、職種や資格や肩書に囚われたり、中途半端で続かなかったり、・・そして、そんな自分にがっかりして、また別の何かを追い求めてしまうかもしれません。
秋が深まる直前、街はキンモクセイの香りに包まれますね。キンモクセイは今が旬。
咲こうとすればするほど命が輝きそのおかげで私たちも楽しませてもらえる。
でも、仮にあなたは春に香り高く咲く沈丁花(じんちょうげ)だとしたら・・。今の時期には咲かない。それは沈丁花という花の命の計画通り。
今、咲いていなくても全く問題はないし。それが沈丁花にとっての正解です。
自分が沈丁花であること、秋は咲く時期ではないことをわかっていれば、焦ることはない。
ゆったり構えて「今はキンモクセイさんの出番ねー、うーん良い香りー、癒されるわー 素敵ー」と・・・、素直にその姿や香りを楽しみ、春にしっかり咲くためにこの時期にすべき準備に励むことができる。
でも、自分がどんな花なのかを知らずに、「ただ花を咲かせなきゃ!香りを放たなくっちゃ!
このままの自分じゃだめ なんとかしなくては」と焦り、やみくもに頑張っていると、
咲き誇るキンモクセイを見て焦り、香りを楽しむどころか匂いをかいだ途端にイラついてしまうかもしれません。
不安は妬みに変わり、「何よ、あんたばっかりいい香り出しやがって!」と嫉妬し、批判し貶めようとしたり、「咲けない私はダメなんだ・・・」と自分を責め裁いたり。
自分に集中することができなくなってしまう。
そうしているうちに季節がめぐって、秋や冬にすべき準備が整わず、春になったのに、咲き誇れない・・・・マイナスループに陥る人は、たいがいこのパターン。
せっかく頑張っているのに、もったいないと思いませんか?
・・・でも、もしもあなたにこの状態があてはまるなら、本当は大丈夫なんです。
・・・続き、全文はこちらをどうぞ▼
https://www.jibunnoshinwa.com/?p=12688
https://note.com/emo_matsuishi/n/nfe3745e7981f 【#274 AIが俳句を解釈したらこうなった。 「命二つの中に生きたる桜かな」松尾芭蕉】より
命二つの中に生きたる桜かな
松尾芭蕉
"In the life of two, lives the cherry blossom, ah!"Matsuo Basho
解説:
この俳句「命二つの中に生きたる桜かな」は、松尾芭蕉によって作られた作品です。この句は、桜(さくら)の花の美しさとそれが象徴する生命の尊さ、そしてその儚さに深く触れています。以下、この句の風物詩、表現手法、そして伝えられる情緒や感情について詳しく説明します。
風物詩
桜は日本の春の代表的な風物詩であり、その美しさは多くの人々に愛されています。桜の花は、生命の再生と美しさを象徴すると同時に、花が散ることで生のはかなさも象徴しています。この句では、桜が単なる自然の美しさ以上のもの、すなわち生命そのものやその循環を表していることを示唆しています。
表現手法
「命二つの中に生きたる桜かな」という表現は、桜の花がただ美しいだけでなく、生命を内包しているかのような強い生きる力を持っていることを強調しています。ここでの「命二つ」というフレーズは、桜自体の生命と、それを見る人の生命を指していると解釈することができます。このように、自然と人間が互いに関わり合い、共鳴する様子を表現しているのです。
情緒や感情
この句は、桜の花を通じて、生命の輝きとその短さ、美しさとはかなさを同時に感じさせます。桜の花が満開になる短い期間は、生の盛りとその後の静けさを象徴しており、人々に深い感慨や感情を喚起します。また、「命二つの中に生きたる」という表現は、人と自然との深い結びつき、生命の尊さを讃えるとともに、その儚さに対する哲学的な思索を促します。
この俳句は、春の訪れと共に現れる桜の美しさが、人々に生命の尊さとその短さを思い起こさせることを描いています。芭蕉は、自然界の一部としての人間の存在を思慮深く表現し、自然との調和の中で見出される生命の真実を詠んでいます。この句からは、生命の循環とその中での個々の存在の価値を感じ取ることができます。
英訳:
This haiku, "命二つの中に生きたる桜かな" by Matsuo Basho, delves into the profound beauty and fleeting nature of life, symbolized through the cherry blossoms. Below is a translation and explanation that seeks to capture the poetic essence and the deep connection to Japanese nature and culture conveyed in the original text.
In the life of two, lives the cherry blossom, ah!
Seasonal Tradition
The cherry blossom, or sakura, is a quintessential emblem of spring in Japan, beloved for its stunning beauty. It symbolizes not only the renewal and vigor of life but also its transient nature through the quick scattering of its petals. This haiku suggests that cherry blossoms represent more than mere natural beauty; they embody life itself and its cycles.
Expressive Technique
The phrase "In the life of two, lives the cherry blossom" emphasizes that the cherry blossom possesses a vibrant life force, seemingly encapsulating life within itself. The "life of two" can be interpreted as referring to both the life of the cherry blossom and the life of the observer. Thus, it portrays the interplay and resonance between nature and humanity, highlighting a deep connection.
Emotion and Sentiment
This haiku evokes a poignant awareness of life's brilliance and brevity through the lens of cherry blossoms. The fleeting period of full bloom symbolizes the peak of life, followed by the inevitable quiet, stirring deep emotions and reflections in the observer. Moreover, the expression "In the life of two, lives" celebrates the sacredness of life and our connection to nature, while also inviting philosophical contemplation on the ephemeral nature of existence.
In this haiku, Matsuo Basho captures the essence of spring's arrival with the cherry blossoms, prompting reflections on the preciousness and impermanence of life. The poem eloquently expresses the human condition within the natural cycle, pondering the truth of life found in harmony with nature. Through this verse, one can appreciate the cycle of life and the value of each individual existence within it, encapsulated by the transient yet profound beauty of cherry blossoms.