Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

黒髪へんろ道 kurokamihenro-michi

第20番札所 閻魔王堂(えんまおうどう)

2024.09.21 11:10

●入り口


黒髪山正面登山道を下りてきて、林道を横断して住吉城址脇をトラバースして下ります。

小路の民家や一ノ鳥居が見えてきます。

道標に従い、右手の小路へ入り、30m先の堂宇です。


●札所堂宇


●安置仏


本尊(中央)

閻魔王:石造

脇尊1.(背後の棚上中央)

不動明王

脇尊2.(背後の棚上)

弘法大師:4尊


●歴史

堂宇前の解説板には、天正10(15829年頃に朝鮮から200人が運搬してきた、とあります。

しかし、朝鮮半島には閻魔王の文化は無く、様相にも疑問が残ります。

石像の右肩に残る「天正10年」は、竜造寺勢から攻められた伊万里勢が、

住吉城の後藤貴明を頼って逃げ伸びて来た年です。

伊万里家利の嫁は、後藤貴明の娘です。

住吉城の近くには「伊万里屋敷」という地名も残ることから、

この閻魔王像は、伊万里一族が移住後に彫った「安着記念像」と、考えることもできます。


●漢字


この漢字を、ガイド本巻末のチェックシート「12番」の所に、順礼の証として、書き写していきます。


●近くの見どころ・施設


1.住吉城址

場所

閻魔王堂の背後の山林

時期

1532年~1613年

由緒

始まりは武雄後藤家17代純明の頃に、武雄領内の戦乱を避けて居城を武雄から移した

1930年には、島原の有馬仙岩勢に攻め込まれたが、奇襲戦で追い返した戦場でもあった

終わりは江戸幕府の「1国1城令」で、20代茂綱が武雄塚崎城に戻り、廃城となる

現在は,本丸を囲む竪堀跡や大手口跡が残る 


2.住吉城址駐車場

場所

閻魔王堂入り口から東へ100m下る

設備

車50台分の駐車場と公衆便所

黒髪山正面登山道の駐車場となっている


3.古寺跡「ふってらあと」

場所

札所の南東500m、市道(2車線)の左手

時期

不明~1672年

由緒

定林寺(88番札所)の開山地で、1673年に蜂ノ巣村(22番札所)移転までこの地にあり

1965年頃に、仏具「五鈷杵」が出土した

寺跡に残る墓碑は、武雄後藤家家臣:牟田六兵衛の墓石

牟田六兵衛は島原の原城戦で働き、君主:鍋島綱茂の逝去で追腹


第21番札所への道案内