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一号館一○一教室

ベートーヴェン作曲『交響曲第8番』

2024.10.18 14:17

この曲をつくらせたのは
「楽聖」のふたりの子どもだった!?


617時限目◎音楽



堀間ロクなな


 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、ピアノ独奏曲や室内楽曲からオペラ・宗教曲まで幅広い分野で傑作を残したが、かれを史上最高の作曲家としたのはやはり九つの交響曲であったろう。このうち、八つはおおむね青年期の12年間に作曲され、そのあと12年間のブランクを挟んで、初老期にもうひとつがつくられたという経緯を眺めると、最後の合唱を導入した第9番のみ別格の地位にあり、第1番~第8番はたがいにつらなりあう交響曲の一大山脈と見なすこともできそうだ。



 そこで、もしその八つの交響曲について人気投票を行ったとするなら、もちろんひとによって選択は分散するだろうし、同じひとでも年齢によって変化もするだろうが(かく言うわたしも、かつては第3番や第5番を選んだけれど、いつしか第6番や第7番のほうに惹かれるようになった)、しかし、おしなべて票が集まらないのは第1番、第2番と並んで第8番だとはたいていのファンがうなずくところではないか。初期の習作はともかく、交響曲山脈の掉尾にあって到達点のはずの第8番の人気が落ちるというのはなんとも不思議な話ではある。



 その理由をわたしなりに勘案してみると、第3番から第7番まではそれぞれまったく別の外見ながら、強靭な意思のもとに音楽のドラマが一分の隙もなく組み立てられている点では共通するのに対して、第8番はどこかタガの外れたひと筆書きのような印象に面食らわされるせいだと思う。1812年、ベートーヴェンが41歳のときにつくりあげたこの曲だけがどうして趣を異にするのか? そんな疑問をかねて抱いていたところ、最近、福島章の著作『ベートーヴェンの精神分析』(2007年)に想像もしなかった回答を見出した。



 精神科医師で音楽への造詣も深い福島はこのなかで、幼いころ父親から虐待を受けアダルト・チルドレンとして人生を出発させたベートーヴェンの精神的遍歴と作曲活動の関係を解き明かしていくのだが、とりわけショッキングなのは、かれには人妻とのあいだにできたふたりの子どもがいたという報告だ。ひとりは、あの有名な「不滅の恋人」の手紙の相手とされるビルケンストック伯爵家の出身で実業家の妻のアントニエ・ブレンターノが、1813年3月8日に産んだ男児カール。もうひとりは、やはりベートーヴェンと親交のあったハンガリー貴族出身で当時はシュッタケルベルク男爵夫人のヨゼフィーネが、同年4月9日に産んだ女児ミノナだという。この事態について、福島はつぎのように解説する。ちなみに、文中の《エリアン状況》とは、他人が所有する女性に対して強い愛情を自覚して、それを奪い取ろうとする心理を意味している。



 霊長類学からの示唆によれば、ヒトのオスは本来、乱交性(雑婚性)の動物であり、男性ベートーヴェンが二人の女性に同時に心を動かされていたとしても、それは人間性の自然から遠く離れた《異常》な行動とはいえない。むしろ、人間性の自然に忠実だったベートーヴェンらしい率直な行動であった。

 また精神分析学的に考えれば、アダルト・チルドレンとして育ったベートーヴェンには、前章で《エリアン状況》と呼んだ特異な心理が働くことがこれまでも多かった。彼は《誰のものでもない女性》よりも、親友なり知人など、他の《誰かに所有されている女性》に心が動かされることが多かった。これは、彼が幼児期に体験し通過すべきエディプス・コンプレックスを十分に卒業できていなかったためである。



 こうした議論に対して、ベートーヴェンを「楽聖」と崇める日本のメディアは背を向けているものの(福島の著作もあまり評価されなかったようだ)、ヨーロッパの研究者たちのあいだではすでに定説となりつつあるらしい。



 もとより、わたしにはその当否を判断できるだけの見識がないのだけれど、ただし、ひとつの重大な証拠だと思えるものはある。福島の指摘するとおり、ベートーヴェンがアントニエとヨゼフィーネの双方の妊娠を知ったと推定されるタイミングで、それまで筆を進めていた交響曲第7番をいったん棚上げにして、新たに第8番を一気呵成に書き上げたことだ。なるほど、そうした背景のなかに置いてみると、このタガの外れたような作品からは父親となった男の歓喜を爆発させた高笑いが聞こえて、いまのわたしの耳には他のどの交響曲よりも天才の生々しい人間臭さが伝わってくる気がする……。



 なお、ベートーヴェンの血を受け継いだふたりの子どもは、いずれも出生の秘密が公にされることなくそれぞれの家族の一員として生涯を送った。男児カールは幼いころにかかった病気がもとで重度の障害を負ったまま39歳で死去し、また、女児ミノナは音楽の才能を発揮してピアノ教師などをしながら独身で83歳の天寿をまっとうしたという。



 【追記】

 わたしの知るかぎり、上記したようなベートーヴェンの高笑いが最も壮大に鳴り渡る『交響曲第8番』のレコードは、ハンス・クナッパーツブッシュが北ドイツ放送交響楽団を指揮したライヴ録音(1960年)である。