マリリン・モンロー談『マリ・クレール』インタヴュー
芸術家は
狂気の縁に立っている
619時限目◎本
堀間ロクなな
マリリン・モンロー(本名:ノーマ・ジーン・ベイカー)は、マスコミの取材に応じることにひときわ慎重だったというから、フランスのファッション誌『マリ・クレール』1960年10月号が掲載したインタヴュー記事には特別は価値があるだろう。クリストファー・シルヴェスター編『インタヴィーズ』(1993年)所収。
このなかで、「生きていくために闘っていたというのが最初の記憶ね。生まれたばかりで、まだベビーベッドのなかの赤ん坊だったときから、生きるために闘っていたの」と語りはじめたマリリンは、自己の波瀾に富んだ人生を支えてくれたのは読書だったことを強調する。20世紀フォックスと契約を結んで映画界に乗りだしたころの回想だ。宮本高晴訳。
そうこうしているうちに、まあなんとか名前を知られるようになってきた。でも撮影以外のときに私が何をしているか、誰も知らなかった。試写会にも、プレミアにも、パーティにも出なかったから。理由は単純で、学校に行っていたのよ。私は高校を出てないでしょ。そこで、昼間はあれやこれや映画の仕事が入っているし、夜間にUCLAに通いはじめたの。文学史とアメリカ史のコースをとって、本もたくさん読むようになったわ。すばらしい作家の小説なんかをたくさん。〔中略〕でものぞきにやってきたような男の子たちは私をスターの卵と見ようとしていた。セクシーで、軽薄で、頭のからっぽな。
このインタヴューが行われたのは、そんなマリリンが『ナイアガラ』『紳士は金髪がお好き』『百万長者と結婚する方法』(以上、1953年)でスターの座をつかみ、最大のヒット作となった『七年目の浮気』(1955年)のあと、アクターズ・スタジオで演技術を学び直して再出発し、『お熱いのがお好き』(1959年)でゴールデングローブ賞の主演女優賞(ミュージカル・コメディ映画部門)を受賞したタイミングだった。また、私生活では元プロ野球選手のジョー・ディマジオとの結婚生活の破綻後、『セールスマンの死』で知られる劇作家アーサー・ミラーと再婚。こうした歩みを振り返って、彼女は語っている。
ライナー・マリア・リルケの『若き詩人への手紙』という本にはとても力づけられた。あれを読まなかったら、いつか本当に頭がおかしくなっていたでしょうね。私のような芸術家が自分に誠実であろうとすると――芸術家なんてごめんなさいね。でも私は芸術家をめざしているんだから。たとえそんなことを言うと笑う人がいてもね。だからごめんなさいなの――で、芸術家が自分に誠実であろうとすると、ある狂気の縁に立っているように感じることがある。でもそれは本当の狂気ではなくて、ただ自分のいちばん真実の部分を表に出そうとしているだけなのね。そしてそれはとてもむつかしいことなの。よくこんなふうに思うことがある。「生きるということに誠実でありさえすればいい」と。でもそんなにたやすいことでないのね、これが。
ひとかけらの虚飾もない、実直な心が吐きだした言葉だろう。それにしても、ハリウッドのセックス・シンボルと20世紀初頭のオーストリアの高踏的な詩人との組み合わせには意外の念を抱いてしまう。『若き詩人への手紙』のどこにそこまで力づけられたのか、むろん知るよしもないが、わたしはあらためてこの本を読み返してみて、たとえばつぎのような個所が彼女を正気に引き止めたのかもしれないと推測している。
「そこでは時間で量るということは成り立ちません。年月は何の意味をも持ちません。そして十年も無に等しいのです。およそ芸術家であることは、計算したり数えたりしないということです。その樹液の流れを無理に追い立てることなく、春の嵐の中に悠々と立って、そのあとに夏がくるかどうかなどという危惧をいだくことのない樹木のように成熟すること。結局夏はくるのです。だが夏は、永遠が何の憂えもなく、静かにひろびろと眼前に横たわっているかのように待つ辛抱強い者にのみくるのです。私はこれを日ごとに学んでいます。苦痛のもとに学んでいます。そしてそれに感謝しています。忍耐こそすべてです」(高安国世訳)
マリリンとリルケのあいだに交わされた美しい対話。もはやわたしにつけ加える言葉はないけれど、インタヴュー記事の結びの部分はどうしても抜き書きしておきたい。G・Bのイニシャルは聞き手のジョルジュ・ベルモンを指す。
G・B あなたの人生のいまのこの段階で、マリリン・モンローであるということをどう感じられますか。
M・M あなたは、あなたであることをどうお感じになって。
G・B 満足なときもあるし、不満なときもありますが。
M・M 私の気持ちもまさにそのとおりよ。で、あなたおしあわせ?
G・B そうですね。
M・M わたしもそうよ。まだ34歳だし、人生はまだまだでしょ。まだ時間があってよ。仕事の上でも、個人的な生活においても、もっと優れた人間に、そしてもっと幸福な人間になれるだけの時間がね。それが私のいちばんの目標。私はのろまだから、うんと時間がかかるかもしれない。少しずつ目標に向かって進んでいくなんてさえないことかもしれないけど、そういうやり方しか知らないし、少なくともこういう気持ちにはさせてくれる。なにはともあれ、人生には希望がまるでないわけではないと。
マリリン・モンローが睡眠薬バルビタールの過剰摂取によって不慮の死を遂げたのは、この記事が世に出てから2年足らずのちのことだった。