男女共同参画社会形成の狙い
下記の記事によると、広島県が行った調査では、「「男の子は男らしく、女の子は女らしく育てたほうがよい」に男性の6割が賛成し、女性の7割が反対」したそうだ。
自治体のアンケート調査の質問の仕方は、いつもこれだ。このような結果が出ることをあらかじめ予想して、意図的に質問を作っているのではないか。
例えば、「女々(めめ)しい男性に育てたいですか」、「雄々しい女性に育てたいですか」と質問したらいい。
また、「女々しい男性とお付き合いしたいですか、生涯の伴侶にしたいですか」、「雄々しい女性とお付き合いしたいですか、生涯の伴侶にしたいですか」と質問したらいい。
いずれの質問についても、男女ともに「いいえ」と答える人が多いはずだ。
男女共同参画施策の総合調整等を担当している広島「県わたしらしい生き方応援課の佐伯美香課長は「外部から性別に応じた役割分担を押しつけられ、男女共に生きづらさを感じている人がまだまだいる」と指摘。「男らしく、女らしく育てたほうがよい」という考え方について、「子どもたちが性別にかかわらず自分の望む人生を歩む上では、そうしたしつけは無くしていくことが望ましい」と話」しているそうだ。
しかし、これこそ公権力による一方的な価値観の押し付けでなくて、なんだと言うのだ。「男は男らしく」・「女は女らしく」という生き方・価値観がよいかどうかは別として、これを否定する権限は、国にも広島県庁にもない。
幸福追求権(憲法第13条後段)、思想・良心の自由(憲法第19条)及び親の教育の自由(憲法第26条第1項)を弾圧するな。
これは、まさに社会主義の手口だ。「男らしく、女らしく育てるか」・「男らしく、女らしく生きるか」は、親や個人の自由に委ねるべき事柄なのに、個人の私生活にズカズカと足を踏み入れ、公権力を用いて一方的に生き方・価値観を決定し、強制する。これぞまさに「思想統制」だ。
人類の恩人であるウィンストン・チャーチルも、「社会主義は、すべてを所有し、すべてを計画し、すべてを分配し、かくてその政治家と官吏が個人の日常生活を決定する全能国家に、基礎を持つ思想である」と述べている(1950年1月21日BBC放送)。
「人間」などという抽象的な生き物は、存在しない。この世にあるのは、男と女だ。男から男らしさを奪い、女から女らしさを奪ったら、いったい何が残るというのか。
女々しい男と雄々しい女だ。その結果、少子化が進み、同性愛も増えるだろう。
1999年の男女共同参画社会基本法(平成十一年六月二十三日法律第七十八号)に基づく社会主義政策である男女共同参画社会形成の真の狙いは、日本人から「男らしさ」・「女らしさ」を奪い、日本人を男でもなく女でもない雌雄同体の「なめくじ人間」に改造して少子化を推進し、倫理的に健全な男女の別を基礎とする有史以前から続く日本文化・日本文明を根底から破壊し、日本を弱体化させることにある。その方が家畜として支配しやすいからだ。
この破壊工作は、もうすでに目に見える効果を上げている。日本から愛国心や尚武の気風がすっかり失われてしまったのだ。
2021年の調査によると、国のために戦うかという問いに「はい」と答えた日本人は、世界最低の13%にすぎない。
愛するもののために、換言すれば、己の命よりも大切なもののために、男らしく戦おうとせずに、すぐに白旗を揚げ、国外逃亡する意気地(いくじ)なしばかりとなり、家畜として支配しやすい状況がすでに出来上がっている。
すなわち、日本侵略の下地が完成しているのだ。
残りの87%の日本人は、ロシア軍と必死に戦うウクライナ兵たちを見ても、「私ならさっさと白旗を揚げる」のに、「私ならさっさと国外に逃げる」のに、バカな連中だとせせら笑っていることだろう。
この点、司法試験予備校の伊藤塾塾長で弁護士の伊藤真(いとう まこと)氏や弁護士の橋下徹(はしもと とおる)氏は、お為ごかしに次のように述べている。
「私は攻められたら戦わずに白旗をあげるべきだと考えています。・・・私は国家が国を守る ために戦うことによってかえって国民の被害が拡大すると考えています。・・・反撃して大きな被害を招くよりも武力による反撃をせずに白旗をあげるほうが、被害が少なくて済むという判断です。」(伊藤真・神原元・布施祐仁『9条の挑戦:非軍事中立戦略のリアリズム』(大月書店)の伊藤真「第1章 憲法9条の防衛戦略」)
※ 大月書店は、日本共産党御用達の出版社の一つ。
※ 伊藤真氏は、朝鮮大学校と密接な関係があるらしい。下記の記事によると、「伊藤塾の教材を、朝大は使っています。 直接伊藤真さんが朝大に持ってきてくれるんです。 法律学科創設20周年記念行事にも伊藤真さんは参加して、挨拶をするくらい、在日朝鮮人に対する理解のある人なんだと思います。」とあるからだ。
https://note.com/ilkun_syoshi/n/na74881588b5d
物怖(ものお)じせず、勇ましいことを世間では「勇気」という。しかし、そうではない。困難や危険に直面し、逃げることを恐れることを「勇気」というのだ。国を守る気概がない怯懦(きょうだ)な者に国防を語る資格はない。
白旗を揚げて敵の侵略を許せば、民族自決権と自由を奪われ、圧政に苦しみ、恐怖に支配され、動物や奴隷の如く生きるしかない。
国外逃亡を図れば、帰るべき国を失い、かつてのユダヤ人の如くディアスポラとして世界中に離散し、定住先を見つけることができたとしても、その国で少数民族として苦難の人生を歩み続けることになる。
日本人をこのような悲惨な目に遭わせたくて仕方がないのだろう。
日本が憎くて憎くて仕方がなく、日本をぶっ壊したいと思うのは自由だが、だからといって外患誘致が許されるわけではない。
国籍離脱の自由が保障されているのだから(憲法第22条第2項)、破壊工作なんぞに現(うつつ)を抜かさず、憎い日本からさっさと出て行ったらどうだ。
反日日本人には日本国籍があるだけに、外国人迷惑ユーチューバーよりもタチが悪い。スパイ防止法を制定するとともに、国籍法に国籍剥奪規定を設けるべきだろう。
社会主義政策である男女共同参画と国防は、一見すると無関係のように思えるが、このように密接に結びついているのだ。決して騙されてはならない。