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紅く色づく季節

海顧録

2024.10.24 12:44

【詳細】

比率:2:1

現代・ファンタジー

時間:約45~50分



【あらすじ】

眼下に広がる黒い海。

そこはかつて美しい海があったと言う。



【登場人物】

メル:汚染された『死の海』を見つめる女。


洋太:(ようた)

   大学生。『死の海』を美しい海に戻そうとしている青年。


瀬那:(せな)

   大学生。洋太と同じゼミの生徒。




●海岸・昼


洋太:(M)その昔、僕の目の前に広がる海は美しい姿をしていたらしい

   海水は透き通り、太陽の光を反射し、輝いていたとか

   泳ぐ魚は食すことも出来て、鮮度が良ければ調理の必要もなかったそうだ


洋太:……それが今ではこのありさまか……


洋太:(M)僕の目の前に広がるもの。それは、『海』と表現していいものか

   海水は濁り、太陽の光を吸収し、粘度の高い波が寄せては返している

   ふと、片手に持つ研究用のサンプル回収キッドにチラリと視線を送る

   僕のこの研究はいつかこの海を元の美しい海に戻すために役だつのだろうか

   未だに何の成果も得られていないこの研究は意味があるのだろうか

   ここ最近付き纏ってくる憂鬱な感情を振り切るために軽く頭を振り、目の前の現実に目を戻すと……


     洋太の目の前。防波堤に身をかがめて水面を見つめる女がいる。


洋太:おい! 何をしている!

メル:っ!

洋太:(M)あの海だったものへと防波堤から身を乗り出し、触れようとする人間がいた


洋太:(メルの元に駆け寄り)何してるんだ! 死にたいのか!

メル:……貴方は?

洋太:あっ……僕はこの海の調査をしている学生です

メル:そう……

洋太:貴女は?

メル:……ただの旅人よ……


     少しの間


洋太:……先ほどはすみませんでした……

メル:え?

洋太:初対面の方に対して取るべき態度ではありませんでした

メル:大丈夫。気にしてない

洋太:あの……

メル:なに?

洋太:旅人であるならばご存知ないと思いますが、この海は危険です

メル:危険?

洋太:えぇ。見てわかるように、この海は汚染されている。ここで生られる生物はいません

   触れれば生物の命を奪う。まさしく『死の海』です

メル:……そう……ここはこんな風に変わってしまったのね……

洋太:以前のこの海をご存じなのですか?

メル:えぇ……

洋太:(食い気味で)どんな海だったんですか!

メル:え?

洋太:この海はその昔どんな姿をしていたんですか?

   『死の海』になる前のこの海はとても美しかったと聞きました。この目の前の海からは想像もつかないくらいだったと

   だから知りたいんです! この海の本来の姿を!

メル:……

洋太:あ……す、すみません……

メル:(吹き出す)

洋太:え?

メル:面白いわね

洋太:面白い?

メル:この短時間で怒ったり、落ち込んだり、子どものようにはしゃいだり。表情がコロコロと変わる

洋太:……すみません

メル:そんな不服そうな顔しないで。自分の気持ちに素直なことは悪い事じゃない。本当にこの海が好きなのね

洋太:好きというか……憧れに近いのかもしれません

メル:憧れ?

洋太:この海は本当に美しかったと聞きます。僕はそれが見てみたい

   だから、貴女の話は研究対象の新しい情報が知れるかもしれないんです

   好奇心が抑えられなくなるのは当然です

メル:そうね。それは研究者として当然の感情だわ。気分を害したのならごめんなさい

   (小さく微笑んで)……この街にもまだ光はあったのね

洋太:え?

メル:なんでもないわ。そうね、きっと私は貴方が知らないであろうこの海の昔の姿を知っている

洋太:教えてください!

メル:でも、今日はもうダメ

洋太:え?

メル:この時間から話していたら、きっと夜になってしまう

   夜の海は危険よ。近寄れば『人魚様』に食べられてしまうかもしれない

洋太:え? 『人魚様』を知っているんですか?

メル:(微笑んで)じゃあ、またね。今度ここで会ったらいろいろ教えてあげる

洋太:え? ちょっと!

メル:あぁ、追いかけて来ちゃダメよ? 諦めの悪い男は嫌われるわよ?

洋太:っ!


    メル、立ち去る。

    その後ろ姿を見送る洋太。


洋太:……不思議な人だ……


洋太:(M)振り返ることなくこの場を立ち去る彼女を、僕は見送るしかなかった

   もしかしたらこの『死の海』について新しい情報が手に入るかもしれない期待

   それが僕の足をそこに留まらせていた

   だが、彼女の姿が見えなくなってふと気が付く。彼女が言う「また」は来るのだろうか





●大学の研究室・夕方

    パソコンに向かいデータ作業をしている洋太と瀬那。


瀬那:はぁ? 港で旅人にあった?

洋太:あぁ

瀬那:そりゃまた変な旅人だな~

洋太:瀬那もそう思うか?

瀬那:あぁ、もちろん。『死の海』なんて、見ていて不快になるものをわざわざ見に来ているなんて、変人か好奇心旺盛なアホかの二択だからな~

洋太:……何か言いたげだな

瀬那:別に~

洋太:研究対象の現地での調査は大切だ

瀬那:はいはい

洋太:……それで

瀬那:ん?

洋太:どう思う?

瀬那:あ~、その旅人さんについて?

洋太:あぁ。本当に昔の『死の海』について知ってると思うか?

瀬那:どうだろうな。知っているかもしれないし、知らないかもしれない

   知っていたとしても、すでに俺たちが知っている内容かもしれない。その話だけじゃあなんとも言えないな

洋太:『人魚様』を知っていた

瀬那:え? 『人魚様』ってあの『人魚様』のこと?

洋太:あぁ

瀬那:それは間違いない?

洋太:「夜の海は危険。近寄れば『人魚様』に食べられてしまう」って言っていた

瀬那:……それは、けっこうなことだな……

洋太:あぁ

瀬那:『人魚様』が人を喰らう話って二百年くらい前の話だろ? しかも、今じゃ語られていない

   そんな昔の、しかもこの地域限定の話、ただの旅人が知っているわけじゃない

洋太:正確には二百五十年前だ

瀬那:……相変わらず細かいな

洋太:研究対象に関わることだろ。正確に覚えておく必要がある

瀬那:流石、洋太。

洋太:今、この街に伝わっている『人魚様』の話は『人魚様』が人を喰うと言う内容はない

瀬那:「今の『死の海』が出来てしまったのは、その昔、海の神様である『人魚様』に仕えていた神子姫が逃げ出したから『人魚様』はお怒りになり、村の人々の命の元だった海を『死の海』に変えてしまった」

洋太:そう。だけど、古い文献を紐解けば、内容はがらりと違う

瀬那:「ある年、海の神に捧げる予定だった生娘が村か逃げ出した。贄はいなくなり、海は荒れ、『死の海』となった

   それ以降、贄が捧げられる予定だった夜になると海の近くにいる人間を手あたり次第襲うようになった」だっけ?

   洋太からその話を聞いた時はマジでびっくりしたよ。そんな話、じいちゃんから聞いたことないし

   教授も驚いてたな。お前が持ってきた文献も年代的に当時の物だって判定されたし

洋太:口で伝える伝承なんてそんなもんだよ。どんどん内容が変わっていってしまう

瀬那:まぁ、伝言ゲームみたいなものだしな

洋太:僕が見つけた文献だって本当のことを書いているかはわからない。あれが本当に当時のことを書き記したものだなんて証拠はどこにもない。ただの御伽噺の可能性ものある

瀬那:そりゃそうだ。でも、お前がその説を推すってことは、やっぱり真実味がどこかにあるんだろ?

洋太:……ただの勘だよ

瀬那:洋太の勘なら信じるに値するな!

洋太:……瀬那

瀬那:だが、いつも言ってるが、その話は……

洋太:他の奴にはするな、だろ。教授にもことあるごとに言われている

瀬那:あぁ。なんだかんだ言って、たかだか言い伝えでも、この神子様逃亡説から『死の海』が出来たと信じている奴らは多い

   なんなら、神子様を憎しみの対象にしている宗教団体すらあるらしいからな

そんな人間にとって神子様はいなくはならない存在だ。己らの生きる目的がそこにあるからな

洋太:あぁ

瀬那:そんな奴らが自分たちの信じていたものを失ったときどうなるか……火を見るよりも明らかだ

洋太:……気を付けるよ

瀬那:そうしてくれ。まだまだ洋太とはいろいろ語りたいんだ

洋太:わかった

瀬那:よろしくな。さて、そろそろ俺は帰るかな

   今度その旅人さんから話を聞けたら俺にも教えてくれ


洋太:(M)その言葉に「あぁ」なんて軽く返事をしたが、彼女に会える保証なんてどこにもない

   瀬那と別れ僕も帰路につき、あの時意地でも聞くべきだったか?

   なんて自分の性格的に実行不可能そうなことを思っていた





●海岸・朝

    一人、『死の海』を見つめるメル。そこにいつもの採集キッドをもって現れる洋太。


メル:……

洋太:うそ……だろ……

メル:(洋太の方を振り向き)ん? あぁ、昨日の研究者さん。おはよう

洋太:おはよう、ございます……

メル:どうしたの?

洋太:いえ、また会えるとは思っていなかったので

メル:あんなに『死の海』の話に食いついていたのに?

洋太:そうですけど……昨日の今日で……

メル:(微笑んで)それで?

洋太:え?

メル:どうする? 貴方の研究の邪魔になるのであれば私は帰るけれど……

洋太:話を!

メル:……

洋太:話を聞かせてください!

メル:(吹き出して笑い)やっぱり、研究者さんって自分の好きな事には一直線なのね

洋太:……すみません

メル:別に謝ることじゃないわ。いい事よ

洋太:はい

メル:じゃあ、私が知っていることをお話したらいいのかしら?

洋太:お願いできますか

メル:わかった。でも……

洋太:でも?

メル:ここではダメ

洋太:え?

メル:……近すぎるから、いろいろと

洋太:近すぎる?

メル:そうね。あの丘の上に行きましょう

洋太:丘の上って……あの公園ですか?

メル:そう。見晴らしがいいし、海も見えるでしょう?

洋太:そうですね。じゃあ、そこで

メル:えぇ、行きましょう


   メル、洋太去る。

   物陰から瀬那が現れる。


瀬那:(舌打ちし)気づかれたか。でも、まぁ、いい。あれが、洋太の言っていた旅人

   まさかと思ったが……久ぶりじゃなですか、ヒコ





●海の見える公園

   ベンチに座り、海を眺める洋太とメル。


メル:う~ん……風が気持ちいい~

洋太:そうですね

メル:それで? 何から話しましょうか?

洋太:貴女が知っている全てのことを

メル:全てって……随分と欲張りなのね

洋太:研究者、なので

メル:あら、さっきのことちょっと根に持ってる?

洋太:いえ、別に

メル:そう。じゃあ、貴方から質問して

洋太:え

メル:だって、私は貴方が何を知っていて、何を知らないのか知らないもの

   だから、貴方から聞いてもらう方が貴方の知りたいことを聞いていくには一番でしょ?

洋太:確かに

メル:ね? じゃあ、どうぞ

洋太:では、えっと……貴女が知っているこの海の話って、どれくらい前の物なのかわかりますか?

メル:どれくらい……そうねぇ、三百年前とまではいかないけれど、それに近いくらい前のことは知っているわ

洋太:三百! 

メル:えぇ。その頃はこの海も他の土地の海と同様に水は透き通り、魚が泳いでいたそうよ

洋太:……その頃は、この海も「生きていた」んですね。そんな時代があったんだ

メル:そうね

洋太:なら、いつ頃からこの海は『死の海』になってしまったのかも知っていますか?

メル:……大津波があった時と聞いているわ

洋太:大津波?

メル:えぇ、大津波が押し寄せ海が荒れに荒れた年。海の神にその怒りを沈めてもらうべく生贄に少女を突き出した

   少女を海に投げ入れた翌日、この海は『死の海』になった、と聞いたわ

洋太:なんだって!

メル:っ! 急に大きな声を出してどうしたの?

洋太:そんなのどこにも書かれていないし、伝わってもいない!

メル:……歴史なんてそんなものでしょう? 

洋太:でも、違いすぎてるんです

   「今の『死の海』が出来てしまったのは、その昔、海の神様である『人魚様』に仕えていた神子姫が逃げ出したから。『人魚様』はお怒りになり、村の人々の命の元だった海を『死の海』に変えてしまった」

   これが今に伝わる話です。この話は文献でも残っていて、それを基に『死の海』の研究を進める研究者も多い

   これが根本から違っていたとなると……

メル:求めている真実に辿り着くのは難しいでしょうね

洋太:……

メル:何故、急に海が荒れだしたの? 

洋太:……え?

メル:そこに人為的な「何か」はないかしら?

洋太:……貴女は……

メル:なに?

洋太:……貴女は、何者なんですか?

メル:ただの、旅人よ

洋太:なら……


    洋太のスマホが鳴る。


洋太:あっ

メル:鳴ってるわね

洋太:すみません

メル:どうぞ


    洋太、電話に出る。


洋太:もしもし

瀬那:洋太! 今、どこにいる?

洋太:今? いつもの港だけど……

瀬那:よかった。無事だった

洋太:何かあったのか?

瀬那:実は今来たら研究室が荒らされてて

洋太:研究室が?

瀬那:資料は散乱してるし、研究室のパソコンは破壊されてるしで……一応警察に言って対応してもらったんだけど……

洋太:(食い気味で)瀬那は?

瀬那:へ?

洋太:瀬那は無事なのか?

瀬那:もちろん無事だよ。じゃなかったら、お前に電話なんかかけてないって

洋太:そ、そうか

瀬那:あぁ。って、わけで、数日研究室には入れないそうだ

洋太:わかった

瀬那:まぁ、どっか空き部屋でも借りれるように教授たちに交渉するよ

洋太:ありがとう

瀬那:洋太

洋太:ん?

瀬那:気を付けろよ?

洋太:え?

瀬那:昨日も言ったと思うけど、お前は危ない情報を持っている

洋太:危ないって……正式な文献に書かれていたことでもないのに?

瀬那:それでもだ。今回のこれだってそいつらの仕業かもしれない

洋太:まさか

瀬那:絶対にないとは言いきれない

洋太:……

瀬那:……昨日言っていた「旅人」だっけ? そいつにも気を付けろよ?

洋太:え?

瀬那:彼女と会った翌日にこれだ。これも無関係とは言いきれないだろ


    洋太、メルを見る。

    海を見つめるメル。


洋太:……瀬那……僕は……

瀬那:じゃあ、用件はそれだけだ。臨時の研究室が借りられたらまた連絡するよ

洋太:……わかった


    洋太、電話を切る。


洋太:……

メル:? どうしたの?

洋太:……なんでもありません……

メル:そう……

洋太:……

メル:今日はもう終わりにしましょうか

洋太:え?

メル:貴方の目に迷いがある。そんな時に新たな情報は毒にしかならない

洋太:それはっ!

メル:情報と知識は人間を溺れさせるわ。この海みたいに。落ちてしまったら戻れなくなる

洋太:……

メル:(フッと微笑み)そんな顔しないで

洋太:え?

メル:私は当分この街に居る予定よ。この海に来てくれればいつでも会えるわ

洋太:……

メル:じゃあね


    メル、去る。

    その後ろ姿を見送る洋太。


洋太:……嵐のような人だ……

  (息をつき)とりあえず、家に帰ってデータをまとめよう。そんでもって、明日瀬那に彼女の……

   ……あれ? そういえば、瀬那に「旅人」が女性だって言ったか……





●海の見える公園・夜

    海を見つめるメル。

    街灯のない道から瀬那が現れる。


瀬那:……

メル:……そろそろ来ると思った

瀬那:こんばんは。こんな時間に女性が一人でなんて危険ですよ

メル:えぇ、そうね。「夜の海は危険。『人魚様』に喰われてしまう」からね

瀬那:はい

メル:そういう貴方は危険ではないのかしら

瀬那:そうですね

メル:……

瀬那:……

メル:貴方は……

瀬那:(被せて)貴女に、一つ忠告がありまして

メル:……何かしら?

瀬那:これ以上、あいつに近寄るのは止めていただきたくて

メル:あいつ?

瀬那:しらばっくれなくても。わかっているでしょう? 今、貴女の頭の中に浮かんだ彼ですよ

メル:……

瀬那:彼はとても良い人間です。研究熱心で真面目だ

メル:そう

瀬那:でも、少し好奇心が過ぎることがある

メル:……

瀬那:知らなくてもいい知識は人間にとっては毒ですよ

メル:誤った知識もね

瀬那:えぇ。過ぎたるは猶及ばざるが如しです

メル:……

瀬那:『人魚様』は神でなくてはならない

メル:……

瀬那:人間は神を崇め、奉るべきです

メル:……昔から少しも変わらないのね。その傲慢さ、反吐が出そう

瀬那:おや? やはり気が付いていましたか

メル:まさかとは思ったけど、見間違うはずがない

瀬那:(フッと笑い)その昔、貴女を助けて差し上げてた恩は忘れていないようですね、ヒコ?

メル:っ! その名前は捨てたわ。私が人でなくなったあの時に

瀬那:(鼻で笑う)

メル:……貴方も同じでしょう

瀬那:それは違いますよ

メル:え?

瀬那:私は捨てていません。生まれ変わったんです。あの日、あの時、あの瞬間に

メル:……

瀬那:受け入れなさい、ヒコ。こうやって神になったもの同士、また手を取り合って……

メル:『化け物』の間違いでしょう

瀬那:……これだけの年月を重ねてもなお神であることを受け入れるつもりはないと?

メル:当たり前よ。死ねない身体なんて……『化け物』以外のなんだというの?

瀬那:……残念です。ですが、私は気が長い。貴女のことは気長に待ちましょう

   だから、今は彼に手を出して欲しくないんです

メル:……

瀬那:彼は過去の事実を知るべきではない

メル:……何故?

瀬那:私の勘です。彼は我等の今後を左右する特別な存在となり得る

メル:私と貴方を一緒にしないで

瀬那:(フッと笑い)その強情さ、いつまでも変わりませんね

メル:……

瀬那:でも、忘れないでください。あの時も、そして今も、私は物事の中心にいる

   あの時は小さな村だったけれど、今は違う。あの時以上の力を持っている

   ……従わないのであれば、あの時のように貴女の目の前で殺してあげますよ

   その昔、私と貴女の仲を邪魔した彼のように

メル:お前っ!

瀬那:(微笑んで)今日はそれを伝えに来ただけです。では

メル:待ちなさい!

瀬那:努々忘れることなかれ、我らは同族ですよ

   どれだけ時が経とうとも、どれだけ嫌悪しようとも。一度は愛し合った……ね?

メル:……

瀬那:それでは

   

    瀬那、去る。


メル:……私は……





●洋太の部屋・夜

    机に向かい、資料を読み漁る洋太。


洋太:(M)港で彼女と別れた晩。僕は一心不乱に祖父の家の蔵の書物を漁った

   彼女が言っていた「人為的な何か」とはなんなのか。正式な資料にはどこにも書き記されていない事実

   でも、もしかしたらここにならあるんじゃないかと思ったのだ

   誰も知らない『人魚様』のことが書かれた日記があったこの蔵なら

   読み終えたもの、無関係だと思っていたもの、全てに目を通す

   なぜだかわからない。でも、「真実を知らなければ」と心臓が早鐘を打つのだ


洋太:これじゃない……これも違う……

   (ため息をつき)諦めるか……次っ……

   っ! これは……





●大学の仮の研究室・朝・数日後

    ドアが開く音。


洋太:……

瀬那:おはよ……って、どうしたどうした?

洋太:え?

瀬那:ちょっと見ない間に何があったよ? 

洋太:あぁ……悪いな、資料とかの持ち出しとか全部任せて

瀬那:いや、それはいいんだけど……

洋太:……旅人がいなくなった

瀬那:え?

洋太:一昨日会ったっきり、何度港に行っても会えないんだ

瀬那:それは……

洋太:……

瀬那:仕方ないんじゃないか?

洋太:……え……

瀬那:だって、彼女は旅人って言ってたんだろ? 旅人は文字通り旅する人だ

   また違う土地に旅立っていったんじゃないかな?

洋太:……そんなはずは。まだ話の途中で……

瀬那:旅人なんてそんなもんだろ。何か目的があって彼女も旅をしているんだろうさ

   それを一所にとどめようなんて……

洋太:なぁ、瀬那……

瀬那:なんだ?

洋太:僕は、旅人が女性だって、お前に言った記憶が無いんだが……

瀬那:……

洋太:何故、女性だと分かった?

瀬那:……勘だよ

洋太:勘?

瀬那:ほら、俺の勘がよく当たるの、お前だって知ってるだろ?

洋太:……

瀬那:どうした、そんな顔して

洋太:……


    洋太、研究室を出て行こうとする。


瀬那:おい!

洋太:……帰る

瀬那:来たばっかりなのに?

洋太:瀬那。僕は、今初めてお前のことが恐ろしいと思ったよ

瀬那:……

洋太:頭を冷やす。じゃあ


    洋太、研究室を出ていく。


瀬那:……やっぱり、彼は危険だなぁ。真実に辿り着かれたら、困るんですよ……

   私も、あそこも、『人魚様』も





●海岸・朝

    メルを捜しに来る洋太。


洋太:(切れた息を整えながら)くそっ! ……いないか……どこに行ったんだ……

   (海を覗き込み)……二百五十年前の出来事に少し近づけたと思ったのに……

メル:あまり海面に近づかない方がいい

洋太:っ!


    勢いよく振り返ると、そこにはメルの姿があった。


洋太:たび、びと……

メル:……本当はもう会うつもりはなかったんだけどね……

洋太:どうして……

メル:貴方はもうこの海を知らない方がいい

洋太:何故!

メル:貴方のために

洋太:僕は知りたいんです!

メル:身にすぎた知識はその人を狂わせるわ

洋太:『人魚の肉』

メル:っ!

洋太:「大津波が押し寄せ海が荒れに荒れた年。海の神にその怒り沈めてもらうべく生贄を突き出した。生贄を海に投げ入れた翌日、この海は『死の海』になった。」

   貴女はそう言った。それが事実であったとするならば、逃げ出した神子なんてものは存在していない

   生贄は捧げられている、それなのにこの海は『死の海』となった。いろいろおかしいんです

メル:……それは……

洋太:そして、ことあるごとに出て来る『人魚様』。これの関係性はなんなのだろうと

メル:……

洋太:訳が分からなくなった。貴女の言う通り情報の海に溺れ、息が詰まり、死にかけました

メル:ほら、だから……

洋太:(食い気味に)だから、原点に立ち返りました

メル:原点?

洋太:そもそも、『人魚様』とは何なのか

メル:あ……

洋太:今まで『死の海』のことばかりに焦点を当てていたから疎かにしていました

   『死の海』に必ずついてまわる、『人魚様』の存在を。調べて、いろいろなことがわかりました

   どれも伝説や伝承の域を出はしませんが、この世界には様々な『人魚』の話がある

メル:……ダメ………

洋太:人を惑わすもの、人を喰らうもの、そして、人に喰らわれたもの

メル:ダメ!

洋太:……

メル:……

洋太:千年以上昔のこと。この国には人魚の肉を食べれば不老不死の力が手に入ると言われ、その肉を食べさせられた人がいた

   その人はその肉を食べてからゆうに八百年は生きたとか

   そして、それ以降、人魚の肉を欲する者は後を絶えなかったそうです

メル:……

洋太:約二百五十年前。この街でも『人魚の肉』を食べた者がいたのではないですか?

   人魚は海の神の遣いだという話もある。神の遣いがたかだか人間ごときに捕まったとなれば、神が怒り、急に海が荒れるというのもわかる

メル:……貴方は、御伽噺を信じるの? 

洋太:僕は研究者です。真実に辿り着けるのならばどんな事でも材料にする

メル:……

洋太:『死の海』を作ったのは僕たちの祖先。身の程を知らず、神の怒りに触れてしまった哀れな人間の……

瀬那:それは違うな


    瀬那、物陰から出て来る。


メル:っ!

洋太:瀬那……

瀬那:あれは神々が愚かなんだ。自分たちだけ人間から搾取して、我々にはなんの恩恵もないなんて

   不平等極まりないじゃないか

メル:……貴方はまだそんなことを……

瀬那:想定外だったなぁ。洋太、お前は思っていたよりも柔軟な人間なんだな

   御伽噺や口伝を信じ、仮説を立てるなんて

洋太:瀬那、お前……

瀬那:ヒコ、貴女にも忠告したはずですよ。もう彼には会うなと

メル:……

瀬那:よほどあの時と同じ思いをしたいと見える。十吉の血を浴びただけでは足りないか?

メル:お前っ!

洋太:……瀬那、お前は一体……

瀬那:本当に残念です。貴方とはいい関係でいたかった。我らのもとに引き込むことは出来なくともこの地を守る礎となってくれると思っていたのに

   そこの化け物の絆されるとは……ヒコは娼婦の才も持っているようですね? 

   次々へと男を誑かして

メル:っ!

洋太:瀬那!

瀬那:私は本当のことを言ったまで。ねぇ、二百五十年以上も生きている『化け物』のヒコ?

メル:……

洋太:……え?

瀬那:おやおや、肝心要の自分の正体は教えていなかったんですね。じゃあ、私が教えて差し上げましょう

メル:やめて……   

瀬那:洋太、この女は『化け物』だ。二百五十年前、『人魚様』に肉を喰い不老不死の力を手に入れたな

メル:黙れぇ!


   メル、瀬那に掴みかかるが易々とかわされる。


瀬那:変わりませんねぇ。その愚かさ

メル:くっ!

洋太:どういう、ことだ?

瀬那:調べたのでしょう? ならば、もうわかっているはず。私の口からその事実を聞きたいのかな?

   それとも……この女から?

メル:黙れ!

瀬那:口が悪いですねぇ。貴女はその言葉しか言えないほど下等なものになったのですか?

   

    瀬那、メルの方を振り返り素早く踏み込み距離を詰め、腹を殴る。


メル:かはっ!

洋太:瀬那!

瀬那:邪魔されても面倒ですからね。少し大人しくしていてください

   ヒコが言えなかった己の正体、私から彼に伝えましょう

   どこまでかぎつけたのかは知りませんが、貴方も知りたいでしょう?

   二百五十年前、この地で何があったのか

洋太:……瀬那……

メル:……やめ……

瀬那:二百五十年前、とある漁師が海で見たことがない生き物を捕獲してきました

   上半身は女性、下半身は魚。私はすぐにそれが伝承にある『人魚』だと分かりました

   そして、これは天の神々からの贈り物だと

洋太:天の神?

瀬那:当時、この村は海の神の機嫌に左右されていました。海が穏やかな時には村は豊かになり、逆に機嫌が悪い時には村から多くの犠牲者を出した

   人間を殺すのも生かすのも神々の機嫌次第だったのです

洋太:それと、その『人魚』に何の関係が?

瀬那:『人魚』の肉を食べれば不老不死の力が手に入る

   そして、それは神々の力を手に入れるための足掛かりになる。そう言われていました

洋太:……だから、食べたのか……

瀬那:えぇ。村で最も優れた存在である私が。でも、『人魚』の肉が安全なものか保障などない

   伝承は残っていたとしても、人間にとっては毒であるかもしれない

   だから、私が口にする前に確かめる必要があった。でも、無作為に村の人間を選べば反感を可能性もある。

   であれば、どの村人からも疎まれている存在。死んでも誰も悲しまない存在が必要だった

   それが、そこにいるヒコです

メル:……だま……れ……っ!

瀬那:昔はこんなに反抗的ではなかったのに。あんなに慕ってくれていたのに……ねぇ?

洋太:……慕っていた人間を毒見役にしたのか?

瀬那:えぇ、そうです。慕ってくれていたからこそ、私の役に立つのは光栄なことでしょう?

洋太:……そんな……間違ってる……

瀬那:……貴方には理解できないでしょう。何でも恵まれているこの時代に産まれ、ぬくぬくと生きている

洋太:それでも! 間違ってる!

瀬那:……あぁ、なるほど

   ヒコ、貴女がコレに肩入れした理由がわかりましたよ。コレは十吉に似ている

   ……消したくなる

洋太:……っ……

メル:逃げ……て……っ!

瀬那:何も持っていないくせに理想だけ口にして……皆の心を乱して……やはり、私の勘は正しい

   死ねっ!

   

    瀬那、洋太に向かって体当たりをする。


洋太:っ! 瀬那っ!

瀬那:意外と体力あるんだな。研究してばかりのお前なんて一押しで海に押し込めると思ったのになぁ!

洋太:瀬那! お前、正気に戻れ!

瀬那:(笑い)私が正気ではないと言うのですか? これが私です

   貴方の前に居た『瀬那』は本来の私ではない。いい加減に気付きなさい!

洋太:……っ……

瀬那:(嬉しそうに笑い)いつまでもちますかね?

洋太:やめろっ!

瀬那:……そういうところも十吉にそっくりです……

洋太:だれ……だ?

瀬那:あぁ、私の村にいた男でね。私のことを友だと言っていた。憎まれているとも知らずにっ!

洋太:っ!

瀬那:ほら、あともう少しで貴方もアレと同じ道をたどる

洋太:くっ!

瀬那:疎ましかった。なんの努力もせずに村の奴らの心を揺さぶるアレが

洋太:……瀬那……

瀬那:だから、捨ててやったよ。この海に!

メル:……

瀬那:無様でしたね。波に攫われ、成す術もなく消えていくアレは。アレはただの人間だった!

   愚かな人間だった! 選ばれた私とは違う!

メル:あぁぁぁぁぁぁ!

   

    メル、力いっぱい瀬那に体当たりをする。


瀬那:っ! あっ!


    瀬那、体制を崩し『死の海』へと落ちる。


瀬那:あ、あぁ! たす、助けてくれ! 水がっ! 死の水がっ!

メル:……貴方がやってきたことでしょ? 気に入らない者を『死の海』へと沈める

   どう? 今の気持ちは?

瀬那:たすっ、けっ!

メル:貴方が沈めてきた人はみんなそうやって懇願したでしょう? 今度は貴方の番

瀬那:あぅ! あぁ……

メル:海に帰りなさい。そして、『人魚様』に懺悔しなさい

瀬那:あぁ……ヒコ、あなたをっ……許さっ……

メル:許してもらうつもりなんてない

瀬那:……待って、いるぞっ……


   瀬那、海に沈む。


メル:……そうね……私も行きつく先は……

洋太:旅人さん……

メル:……ごめんなさい。私たちの醜い過去の清算に付き合わせてしまって……

   危ない目にも合わせてしまった……

洋太:……貴女は本当に……

メル:えぇ、二百五十年前。『人魚』の肉を食べた人間よ。無理矢理ね……

洋太:……

メル:ここが『死の海』になったのは貴方が推察したことと、あいつが話していたことが原因で合っているわ

   科学が発展したこの時代に神なんてものを信じるかはわからないけれど、確かに『人魚』の肉を喰い、私と十吉さんがこの海に捨てられた日からこの海は『死の海』になった

   傲慢な人間たちの行いが神の怒りに触れてしまったの

洋太:神々の怒り……

メル:だから、残念だけれど、この海を元の海に戻すことは出来ない。例え、過去の過ちの象徴である私がここに沈んでも……

洋太:……死ぬつもりなんですか?

メル:……わからないわ……

洋太:旅人さんはどうしてここに戻って来たんですか? 

メル:……この目で見なければと思ったの。もう一度この街を。私が暮らしていた村の未来を

洋太:……

メル:あの日、海に捨てられた私は沖に流され見知らぬ土地の見知らぬ人たちに救われた

   そこで私は初めて、一人の人間としての生活を送ることの幸せを得られた

洋太:……

メル:とても、幸せだった。この不老不死の力のせいで一所に留まることは出来なかったけれど……

   そのおかげでいろいろと旅をして、知識も見分もものの考え方も、私自身の在り方についてもいろんな新しい事が増えていった

   だから、ここに帰ってきて、もう一度昔のことと向き合おうと思ったの

洋太:……旅人さん……

メル:まさか、こんな結末が待っているなんて想像もつかなかったけど……

   

    メル、海に背を向け歩きだす。


洋太:あ! どこに行くんですか?

メル:わからない。でも、ここに居たら、貴方に迷惑をかけることだけは確かだわ

   あいつの言っていた組織がなんらかの行動を起こしてもおかしくないし、あいつが本当に死んだという確証もない

   この海ならあいつを殺してくれると思ったけれど……私たちは『不老不死』だから……

洋太:……それなら、僕もこの街を出なくてはいけないですね。多くを知りすぎました

メル:あ……

洋太:そんな顔しないでください。幸い、僕にはもう家族はいません。身軽なんです

メル:……ごめんなさい……

洋太:謝らないでください。きっとこれはきっかけなんです

メル:きっかけ?

洋太:そう、神様が己の知識や見分を広げなさいと、僕にチャンスをくれたんです

メル:……

洋太:僕もこの街を出ます。そして、この海を元の海に戻す研究を一から進めてみます

   確かに、この海は神々の怒りに触れてしまったことが原因なのかもしれない

   でも、そこに他の自然的、人的な要因が無かったとは言いきれないですから

メル:……そう

洋太:確かにこの街はその昔、大きな過ちを犯した。それは事実です

   でも、次の世代のためになんとかしようとしていた人たちもいた。僕の祖父の蔵にあった日記がその証拠です。あれがあったから、僕は疑問を持つことが出来た

   だから、僕も次の世代に残すために行動しなくては

メル:(優しく微笑み)本当に、貴方は十吉さんに似ているわ


洋太:(M)そう言って旅人は優しく微笑んだ。初めて見た彼女の優し気な微笑みだった

   



―幕―




2024.10.24 HP投稿


七枝様、メイロラ様、穂村一彦様、菜乃花月様主催シナリオイベント『ハロモン』参加シナリオ


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