やがて旅は終わりを迎える。
Naoyaです。
二十四節気は今日で最後の24番目の節気、大寒を迎えました。文字通り、一年でもっとも寒い時期。季節の果て、冬のピーク。日本の季節の移ろいの旅も最終章となりました。そして、水瓶座のシーズンのスタートです。
昨年の1月末からオウンドメディア「森羅万象の聲」をスタートさせましたが、一年前の二十四節気の大寒の日にプレオープンということで、僕がひとつ記事を投稿しました。あれからちょうど一年が経ちました。
数日前の夕方前、うちの近所を歩きながらぼんやりと空の色を眺めていました。
ブルーから徐々にピンクがかったオレンジ色へのグラデーション。何気に眺めていたのは、ちょうど日没の方角の西の空でした。そのときの空の色や光の加減、漂う空気に一瞬だけ春めいたものを感じました。もちろん暦の上ではまだ春ではないですし、かなり寒かったのですが、明らかに暗闇の季節のピークは過ぎていて、ほのかに春の気配が過ぎったのです。
昨年12月の京都滞在のとき。お世話になっているセラピストの先生と話していたら、感覚的な判断が大切だという話題になり、頭で理解しようとしていたり、詰め込んだ知識だけで判断しようとするばかりだと、正しい判断はできなくなるという話になりました。
たとえば、どんなに知識や情報を詰め込んだ人であったとしても、頭でしか理解できていないと、頭で考えたことや知識の枠に自分の感覚をはめ込んで判断しようとしてしまい、感覚はどんどん鈍っていき、やがて使えなくなっていくというわけです。
感覚的に「こうだ!」と自分がキャッチしたことがあったとしても、それが詰め込んだ知識や収集した情報とはちょっと違っている場合、自分の感覚に自信が持てなくて頭で考えてしまうでしょう。そして、自分の感覚を信じずに「正しくない」という判断を下すのです。もしくは、知識や情報ばかり先行してしまうと、後追いで自分の感覚的なものをそこにはめ込まなくてはいけない…という感じになるかもしれません。現代の日本人はそういう傾向の人が多いです。
暦というものはあくまでも季節の進行を把握するための目安であって、季節というものはその目安だけに収められない領域で移ろっていると感じています。
もしかしたら、すでに僕が春の気配を感じていても、まだまだ寒くて春っぽさなんてないという人がいるかもしれません。あるいは僕と同じように感じている人もいるかもしれません。どれが間違いで、どれが正解でということもありません。
この「森羅万象の聲」は、季節の移ろいや天体の動きのようなつかみどころのない「大いなるもの」の中から、言葉にすらなっていないものをつかみ取って言語化している場です。それぞれがそれぞれの肌感や嗅覚、視覚で季節の移ろいを感じるインスパイアが生まれたらいいなと思っています。
自分の感覚を信頼することはとても大切です。ただし、ひとりよがりにならないように注意しなければいけません。ひとりよがりの感覚は、現実と乖離した自分だけの妄想や思い込み、あるいはファンタジーになってしまいます。主観と客観のバランスが必要です。
大寒を迎えて、立春の前日の節分までで二十四節気が一巡となります。こうして季節を巡る旅がまたひとつ終わりを迎えます。そして、立春からまた新しい旅が始まっていくのです。この「森羅万象の聲」は当初、二十四節気の一巡で終わらせようと考えていたのですが、また新たな気持ちで続けていこうと思います。
何気なく過ごしている日々も、ちょっとした季節の変化の積み重ねです。これから春に向けて、いろんな変化を触れることができます。自分の感覚で微細な変化をキャッチしてみてください。