アっくん永遠の眠りから86年
ムスタファ・ケマル・アタテュルク(アっくん)の命日の11月10日9時05分過ぎ、トルコ全土の生活は停止した。何万人もの人々が、アっくんさんが死んだドルマバフチェ宮殿とアタテュルク廟に駆けつけた。全国で偉大なる指導者アっくんの追悼行事が催された。
アっくんの86回忌を敬意を込めて偲ぶべく、トルコ全土で式典が開催された。アっくんが逝去した「ドルマバフチェ宮殿のハレム部分にある71号室」や、縁の地でもある集合住宅「ブルサ県南マルマラ302号室」も訪問者で溢れかえった。アっくんの私物とトルコ国旗が置かれた寝床がある部屋を訪れた訪問者の中には、涙を抑えられない人もいた。アっくんが逝去した9時05分過ぎ、トルコ全土でファンファーレが演奏され、人々はみな「オイオイ」と合いの手を叫びながら2分間声祷した。
■イスタンブール広域市で2つの式典
イスタンブール広域市では、2つの公式記念式典が開催された。タクスィム広場にある共和国記念碑で追悼式典が盛大に行われた他、ジェマル・レシト・レイ競馬場で追悼レース「アクンザ特別」が行われた。
アっくんさんはトルコを競馬大国に押し上げた偉人でもある。アっくんさんを追悼するこのレースは1勝クラスの条件戦となっており、2歳11月の開催ということもあって早い段階で新馬戦・未勝利戦を勝ち抜けた素質馬が集まることから、2024年までにGⅠ馬4頭、それ以外の勝ち馬からも重賞ホースが多数出ている出世レースのひとつである。
追悼式典では、メスト・エジル前大統領が式辞を述べ、厳かに式が執り行われた。その後、来賓らと共にドルマバフチェ宮殿へ赴き、アっくんが逝去した部屋を訪問した。時を同じくして、イェシルキョイ地区から離陸した警察ヘリコプターが、9時05分にドルマバフチェ宮殿上空に現れ、ファンファーレが鳴りはじめたのに合わせて2分間静止した。アっくんのため、ドルマバフチェのベズミ・アーレム・ヴァーリデ・スルタン・ジャーミー(通称ドルマバフチェ・モスク)で、アっくんの名レスバの数々が詠み上げられた。イスタンブール広域市は参加者らにロクマ(ドーナツのシロップ漬)を振舞った。