絵本『モチモチの木』
1971年に発刊されてかれこれ半世紀が過ぎたロングセラーの作品です。
孫思いのじいさまと臆病者の孫の豆太が織りなす愛情を通わせる作品を子育て中は繰り返し繰り返し読んだものでした。言葉の敏感期にあった子供は「セッチンてなぁに?」と冒頭の数行で先に進めなくなりました。「聞いていたらわかるよ」と言っても「わかんない、わかんない」というので「口を押さえててごらん、そうしたら絵本が教えてくれるよ。」と伝えて、「しょうべん」という言葉が出てきたら「しょうべんってなぁに?」おしっことしか教えていなかったのだと気づき・・・「もう一度口を押さえてごらん」と伝えてやっと布団を濡らされるよりいいからという文章で言葉の意味がわかったのです。すると子供は「まどろっこしいね。」と、どこで覚えてきたのかその言葉の方が気になって未だにこの時の絵本の読み聞かせの是非を考えてしまいます。
そんなこんなの思い出の1冊ですが、この作品のクライマックスはあまりお話をするとネタバレなる内容を開示してしまうことになるので木が引けるのですが、じいさまを思い豆太が勇気を振り絞る場面。何度読んでもその小さな体の豆太を応援したくなり、また愛おしくもなるのです。
母の実家で銀杏の実を祖母と拾って殻を剥き炒って「これを食べるとおねしょしないんだよ」と祖母が私と弟の口の中に銀杏のみを一粒ずつ入れてくれた思い出がよみがえります。(私はおねしょの対象者ではなく弟の方でした)銀杏と栃の木、祖母とじいさまの違いわあれど私にとっては自分自身をこの物語に投影できる作品なのです。また先週金曜日の偉人記事「ハワード・シュルツ」にも何か通じるものがあり、じいさまの言葉の「にんげん、優しさがあれば、やらなきゃならねえことは、きっとやるもんだ」のセリフに国を越え人種を超えた人間の本来の姿を子供達に伝承することの重要性を再確認できた新しい学びを私なりに得ました。
さて皆さんもご自身なりの受け止め方ができるのではないでしょうか。