「千曲川旅情の歌」について
最近、島崎藤村の代表的な詩「千曲川旅情の歌」をしみじみ読みました。
さて、この詩は『小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ』の一節が有名ですね。音読すると気持ちが良いです。昔、誰かから「母音の使い方が秀逸だからだよ」と聞いたことがあります。ひらがなで書くと「こもろなるこじょうのほとり くもしろくゆうしかなしむ」となります。最初の節は「お行」の印象的な使い方から始まり、すぐに次の節で「う行」の印象的な使い方に移ります。
では、詩の前半を紹介します。
『小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ 緑なす繁蔞(はこべ)は萌(も)えず 若草も藉(し)くによしなし しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ) 日に溶けて淡雪流る
あたたかき光はあれど 野に満つる香(かおり)も知らず 浅くのみ春は霞(かす)みて 麦の色わづかに青し 旅人の群(むれ)はいくつか 畠中(はたなか)の道を急ぎぬ
暮れ行けば浅間も見えず 歌哀(かな)し佐久(さく)の草笛(くさぶえ) 千曲川いざよふ波の 岸近き宿にのぼりつ 濁り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む』
否定的な表現が多いのが特徴ですね。ざっと現代語に直してみます。
「小諸城址のほとりで、白い雲を眺め、悲しくたたずむ旅人がいる。緑のハコベラも芽を出していないので、草を敷いて腰を下ろそうにも、下ろせない。暖かい光はあるけど、野原を満たす春の若草などの匂いは感じられない。日が暮れて浅間山も見えなくなり、佐久地方の草笛の音が哀しく聞こえる。千曲川の岸に近い宿屋に入り、濁り酒を飲んで、しばらくの間 旅愁を慰める」。
きっと主人公は、何かで疲れていて、感傷的な気分なのでしょう。「あ~、こんな旅をしてみたい」と思います。
後半も良いですよ。その一部を現代語に直して紹介します。「昨日も何ごともなく過ぎてしまった。そして今日もまた同じように過ぎてゆく。どうして、あくせくして生き、明日のことばかり思い煩うのか。この小諸城は何を語り、千曲川の波は何を答えようとしているのか」。
今日の切り絵は、「千曲川旅情」です。
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