【劒持奈央】VOL.① 聖なる性とパートナーシップの伝道師の家族に起こった事件から辿り着いた愛とは?
彼女と出会ったのは、2019年のことだった。紹介でご縁が繋がり、彼女のセラピーを受けたことをきっかけに、交流を重ねてきた。彼女のハートは限りなくオープンで、こちらのハートもひらいて光に照らされるような感覚になる。まさに花のような女性だ。
彼女は15歳の時にうけた性的暴力の経験から、長年にわたり自他を否定し、うつや摂食障害など苦しんできた過去がある。何度も壁にぶつかりながらも、根底にある愛を信じ、性やパートナーシップの探求をしてきた彼女。 まさに真剣に今を生きている。
今まで「性」のことを中心に語ってきた彼女だったが、今回、劒持家に起こった事件は、性の根底でもある深い愛と気づきを感じさせてくれた体験だったのだと聞き、会いに行った。 彼女は、いつもと変わらぬ笑顔で「あきちゃん」とハグをしてくれた後、ゆっくりと話し始めた。彼女の息子「トントン」の身に起きた事件のことを。
その出来事を通して、彼女が観た世界はどんな世界だったのだろうか?彼女が言う愛とはどのようなものなのか?この記事を受け取る人たちが自分の感情を感じ、改めて自分に出会う機会になれば嬉しく思う。
(取材:はぎのあきこ)
彼女の目線から今回の出来事を語る
今回、トントンに起きた事件は、私たち家族にとってとても大きな出来事でした。
―改めてトントンに起こった事件について、経緯を聞かせてください。
ゴールデンウィーク明けの日でした。トントンがお腹を壊して、ゴールデンウィークの疲れもあったし、私たち夫婦もその前の日に喧嘩をしていて波動が荒かったこともあって、学校を休むことにしたんですね。
「海岸にシーグラスを拾いに行きたい」とハナ(彼女の娘さん)が言うので、家のすぐ近くのいつも行っている海岸にハナとトントンが拾いに行きました。その時ね、ハナが海で転んでちょっと怪我をしたみたいなんですよ。
帰ってくる道の途中で、知らない「おっちゃん」に会い、トントンがいつものように「こんにちは」と声をかけたら、そのおっちゃんがハナの怪我を見て、コンビニで絆創膏やジュースも買って、処置してくれたと聞きました。
私が迎えに向かった時に、ちょうど、おっちゃんも入れて3人がいて、事情を聴いておっちゃんにお礼を言いました。その時、おっちゃんからは、明らかにお酒の匂いがしましたが、お昼からお酒を飲んでいる地域の人も良く見かけていたし・・・。
みんな優しくて、子どもたちもすごく可愛がってもらっていたので、「その一人かな」という認識でした。
ー地域の人たちと近い距離感で交流があるのですね。
そうそう。だから、子どもたちは「優しくしてくれたんだよ」と言っていました。でも、お酒も飲んでいたから、家に帰ってから子ども達に「知らない人にはついて行っちゃダメだよ」とは伝えたんです。
その日は「パパちゃん学校」という、パートナーのひでちゃんが自宅でハナと一緒にお勉強をする日で、学校のお友達も来る予定でした。 でも、その前にハナの習い事の振り替えがあり、私も一人でゆっくり内観をする時間をもちたくてカフェに行こうとしていたんです。
その日は、そんな風に変則的な日だった。「パパちゃん学校」の時間が迫り、トントンが「お友達を通学路まで迎えに行く」と言い、下まで迎えに行ったんですね。以前はその様子を上から見ていたのですが、その日は習い事に送っていくこともあって、何かバタバタしていて見なかった。
ひでちゃんは、仮眠をしていて、それぞれの状況を伝えましたが、後から聞けば、聞いていなかったみたいです。その頃、トントンは、マンションの下に降りたときに、また「おっちゃん」に会ったらしく、「ご飯食べにおいで」と誘われてついて行ったようなんです。
―そこで、一人でついて行った。
そうそう。おっちゃんは、焼きそばを作ってくれて、それを食べさせてくれていたようです。最初は良かったんだけれども、トントンが言うには、黄色い飲み物(おそらくお酒)を飲むと豹変し、何度も殴られて倒され、足で踏みつけられたり、最後には首を絞められたりしたようです。
その時に、トントンが死んだふりをしたみたいで、それを見て殴るのをやめたようなんですよ。そして、おっちゃんは「寝てくる」と言い、その場で寝たそうなんです。その間にトントンは逃げようとしたんだけれど、出られなかった。
何もできなくて怖かったし、多分足もすくんでいたんだと思います。しばらくして、おっちゃんが起きてきて、血だらけの子どもがいることに驚き、「どうしたんだ!」と慌てて「すぐ助けに来てください」と自ら110番したみたいです。
―記憶にない。
そうなんです。全く覚えていなかった。そこで、トントンが警察に学校の名前と自分の名前を言って、まず学校に警察から連絡があり、そこから私の方に連絡がありました。その時点では警察もよく分かっておらず、怪我をしたのか、怪我をさせられたのか。
でも「今、保護したから大丈夫なので来てください」って。
―トントンはどれくらいの時間いなかったんでしょう?
2時間くらいの間の出来事です。私は予定通りカフェに行っていて、ひでちゃんは、パパちゃん学校をやっていました。ハナは習い事から帰り、「トントンまだ帰ってきてないね」と言っていたけれど、普段トントンは近所の公園で遊んだり、近くのお家に遊びに行ったりはしょっちゅうなので、そんなに違和感がなかったんです。
相手への怒りはなかった
罪悪感に気づき、事実に立ち戻る
―想像していたより短い時間の中で起こったのですね。電話を受けた時はどんなお気持ちだったんですか?
ただただ状況がのみ込めずに驚いて、ドキドキしていました。「何が起こったんだろう」「トントンがどういう状況なんだろう」って。上半身裸と聞いていたので、性的な虐待があったんじゃないかとすごく不安だったし、怖かったです。
その時に「ハナはどうしたんだろう」とか、娘の顔も浮かびました。すぐにひでちゃんに電話をしたら「ハナはいるよ」と。それで、説明して一緒に警察に行くことになりました。
―トントンは血だらけだった?
顔が腫れあがっていました。内出血して、真っ赤になっていて、耳や目も。まるで別人になっていました。首を絞められた痕は1ヶ月以上取れなくて、最後まで首に残っていました。やっぱりね、それを見る度に胸がキューっとなりました。
―トントンを見て、奈央さんはどんな反応をされたのでしょう?
そうですね。その時、まず「会えてよかった」「本当に生きててよかった」と思いました。あの時は、自分がショックとかどうこうより、トントンの気持ちに一番寄り添いたくなりました。
「トントンがどんだけ怖かったんだろう」と思い、「怖かったでしょう」と言って、なんかもうずっと抱きしめていました。
―トントン自身はどんな様子だったのですか?
私たちが子どもに「手を出す」ということはまずないので、トントンは殴られるのも初めてで、怖かっただろうし、警察の雰囲気にも圧倒されて、縮こまっているような感じでした。以前に通っていた森のようちえんでは、喧嘩はよくあって、ギリギリまで蹴ったりしても止めずに見守ります。
そこから、子どもたち自身が知り学ぶことが大きいので。でも、今回は大人からのパンチです。それは初めてですからね。 「踏みつけられた」と聞いたときは、《尊厳を踏みにじられた》という感じがして、自分の子どもがそうされたと想像すると苦しいし、きつかったです。
でも、ひでちゃんの淡々としている態度に助けられて、私がパニックにならずに済みました。
―ひでさんは淡々としていたんですね。
はい。本当にいつもと変わらなかったんです。エレベーターの中で警察官が来て、トントンに会う前に色々状況を聞いていた時も、「やつ(トントン)はいつもそんな感じなんですよ(笑)」と言っていたりして。警察では、結構な大事になっていたから、周りは彼の言葉に笑えず、みたいな。
「とにかく会わせてください」と言って、会った時も、冷静でしたね。私は、その彼の冷静さに助けられた面は多々あります。
―お二人とも相手への「怒り」は湧いてこなかったのでしょうか?
はい。そうなんです。
―「怒り」が出てきたけれども、結果として「怒り」がなくなったのでしょうか?それとも、「怒り」自体が出てこなかったのでしょうか?
「出てこなかった」ことが事実です。「なぜ、怒りが出てこなかったのか?」ということを、パートナーのひでちゃんと考えてみました。というのも、私たちが普段から怒りが無いのかというと、そんなことは全くないんです。
どちらかと言えば、怒りを抑えず、私もストレートにぶつけてきましたし、ひでちゃんと喧嘩もします。 それなのに今回怒りが出てこなかったのは、やっぱり、そうやってひでちゃんと《パートナーシップに向き合って、ここまでやってきているから》それに尽きるなと思ったんです。
ー「パートナーシップに向き合ってきたこと」が今回、怒りにつながらなかったことに関係している。
はい。それに、私の《15歳の時にレイプをされた体験から、長年かけて私の中の罪悪感を消化してきたから》なのだということに辿り着きました。 それがなければ、今回の出来事に対しても「被害者」の立場でいただろうと思います。
可愛い子どもが誘拐されて、ぼこぼこに殴られて帰ってきた、その可哀そうな子の母親として、「被害者と加害者」という構図の中で「こんなにひどいことされた」「あいつは許せない」と言っていたと思うんです。
―一般的には、「なんて奴だ!」とおっちゃんに対して怒り狂ってしまいそうな状況です。
そうですよね。もちろん、今回「おっちゃん」が起こしたことというのは、無抵抗の子どもを殴るという「罪」であることは事実です。もちろん、トントンは傷ついていますから、それはなかったことにはできず、罪は罪として、私自身も「そうだよね」と納得の上で直視しています。
ーそうですね。誘拐、暴力という「罪」です。
ただ、その事実を認めた上で、「そこに私の感情が引きずられることがない」ということなんです。これもまた、誤解されてしまうので、もう少し補足してお話すると、トントンに対する私の気持ちというのは、感情を抑えつけたり、冷淡になっているわけではないんです。
今でもあの時を思い出すと、胸が締め付けられ、何とも言えないような感覚になり、込み上げるものがあります。 死んじゃうんじゃないかと思い、すごく不安で怖かった。頭が「わーっ」となりそうなくらいです。でも、「それ」は「それ」としてあるんです。
―ひとつの出来事を捉える視点が別々にいくつも存在しているような感覚なのでしょうか?
そうです。「トントン」という存在と同時に、私や娘のハナちゃん、夫のひでちゃんだったり、おっちゃんだったり、それぞれの存在との間で起こったものがあって、そこに良い悪いのジャッジがなく、すべてが同時にあることを、「ただ観ている」というのが今の自分なんだと思います。
それに、相手への怒りというより、今回のことで言えば、「私が目を離したからだ」「私が見ていればよかったのに」と思ったし、「私は、そんなトントンが大変なことになっている時にカフェに行ってたよね」という罪悪感や、「ひでちゃんは、何をしてたの?!」とパートナーを責めたりもして、そんなことを、過程の中で全て経験しました。
―自分やパートナーを攻撃した。
そうそう。学校の先生から電話が来た時に、「お母さんは何してました?」と聞かれた時に、学校の先生は全く責めるつもりで言ってはいないのに、勝手に自分で「私、責められてる?」とか思うわけです。
そんな風に自分が「被害者意識」に偏りかけて、次に「ひでちゃんは一体何をしていたの?」と彼に責任転嫁をしたんですね。彼は私のその言葉にすぐ反応して、「え?それ僕を責めてるよね?」と返してきました。
そこで、「ああ、私、やってるね」と気がつき、「この罪悪感は要らないよね」と、お互いに確認し合ったんです。
―責めることで違う方向に向いている意識をお互いに確認し合ったんですね。
そうです。善悪の極に偏らず《真ん中に立つ》ことをすれば、《ただ事実だけを認め、受け入れられる》んですよね。だから、ちょっと立ち止まって、「何かを責めることで、事実から逃げたくなる自分」に気づいて、余計なことを省き《「ただただ、そうだった」ことを認める》。
そんな事を重ねていっただけなんです。 恐らく、事実を見ないで、おっちゃんに「アル中(アルコール中毒)になって、子どもにそんな酷いことをして、あいつは何てやつなんだ」と矢印を向けることも簡単にできます。
でも、それは全部、事実の外周りをぐるぐると回っているような感じなんですよ。 それが良い悪いの話ではなく、先ほどお話したように、私自身が15歳からずっと事実の外側をぐるぐる回る経験をしてきて、「それは遠回りだ」と知っているから、「もう要らない」と思った。
だから、その《事実の真ん中に立った》。それだけなんです。