【劒持奈央】VOL.② 聖なる性とパートナーシップの伝道師の家族に起こった事件から辿り着いた愛とは?
前回記事はコチラ→「彼女の目線から今回の出来事を語る」
レイプ「被害者」として罪悪感を持ち続けてきた過去と、見ないようにしてきた「事実」
―15歳の時のご自身の体験が、今回につながっているとお話されていました。どのようにつながっているのでしょうか?
はい。私は15歳の時にレイプされたという経験があります。その頃の私は、女優になりたかったのですが、ある男性から声をかけられて「CMに出ない?」というおいしい話について行ったんです。そして、暴行を受けた私は長年、その「騙されてついて行った自分」を許せなかったんですね。
私は「被害者」になるしかなく、もう何も受け入れられなかったんです。 と言うのも、私が私自身に対して「バカみたいじゃん」「こんな風に騙されやがって」と思っていたわけです。そんな自分を隠したかった。自分に対する「屈辱を受けた」ような感じでした。
―尊厳を踏みにじられたような、そんな感覚。
はい。つまり、私は私の意思で「ついて行った」ということが認められず、その事実を見ないようにしていました。 その代わりに、この屈辱を晴らすには「女優になるしかない」。そんな信念と言うか、脅迫観念みたいなものが生まれましたが、その前提をもって、がむしゃらにレッスンに通ったりしていたので、苦しかったですね・・・。
結果的に言うと、自分を許せたときに、女優になる必要がなくなりました(笑)
―「騙された自分」「自らついて行った自分」を責めていたんですね。
そうです。すべて《罪悪感》です。自分を責める罪悪感って誰もが持つでしょう。でも、それって《一見「受け入れているかのような」蓋をするところ》なんですよね。私は《見て見なかったふり》を何年間もやってきました。
―どれくらいの間、「見て見ぬふり」をされていたんでしょうか?
15年くらいでしょうか。というのも、そのことが分かったきっかけとなった出来事がありました。一つ目は、2012年に東日本大震災のボランティアへ行き、そこで古市佳央さんという方との出会いです。
古市さんは、高校生の時にバイク事故で重度の火傷を負い、見た目が全て変わって人生がどん底に落ちたところから這い上がった、というストーリーを持っています。
ボランティアでご一緒した時に、私の15歳の時のお話をしたら「奈央ちゃん、それみんなの前で話せる?」と、古市さん主催の講演会で初めて、自分の人生ストーリーを20分間お話する機会をいただきました。
ー運命的な出会い。
そうなんです。その講演の原稿を考える時に、自分の幼少の頃からの人生をしっかり振り返ったんですね。そうしたら、初めて「私が騙されてついて行った」という事実に気づいたというか、思い出してしまったんですよ。
「パンドラの箱を開けた」ような感覚です。
―そこで気づいたんですね。
そうです。そこで初めて、《罪悪感を持っていた自分》とか《騙されたということを隠してきた自分》を知りました。
それまでの自分が、その事実は言わずに、「私はレイプに遭いました」という被害者の立場をとって、みんなから「大変だったね」とか、そんな注目を得ていたんだということに気づいてしまったんです。
―直視するのは、とても厳しいものだったのではないですか?
はい。「わー!!」ってなって、「なんだ?これは!」と思いました。《私が自分で人生を仕立て上げた》ということを突き付けられました。罪悪感から抜けるには、自分が自分を許すしかなくて、《事実をそのまま受け止める》ってことなんだと思うんです。
私も、実際に「事実」をねじ曲げましたよね。そうすると、全部が曲がるんです。でも、あまりにも辛いとやっぱり事実を曲げちゃうんですよ。もちろん、実際に被害にも遭っています。
「それ」は、「それ」なんだけども、その事実に、私は色んなことを紐付けて「私はこんなにかわいそうな人なんです」とすることで、自分を保っていたんです。
ー事実から背くと、全てが曲がってしまう。
はい。被害を受けた事実だけを見て、「自らついていった」という事実を見ないようにして、被害者意識と罪悪感を持ち続けていたけれど、どんなに情けなくても、恥ずかしくても、正面からどちらの事実も見た時に、そのまま受け入れて初めて、《真っ直ぐな人生》だと思えるんです。
「被害者」から長年かけて「自分の真ん中に立つ」ことを繰り返してきたからこその今
―「事実」を見ないようにすることが、自分を「保つ」には必要だった。
そうなんです。それも、私が《私を守ってきた愛》だということも気づいたんですよ。その講演会が34歳だったので、約20年という月日をかけて、その罪悪感を握りしめ、自分を守り生きていたということです。
自分が「それが自分の人生だ」と受け止められた時に、初めて《真っ直ぐで自分に嘘のない人生が始まる》から、やっぱりいくつかの事実を真正面から見るということがまず最初のステップだと思います。
そうすれば、それから後は、「罪悪感を持ってます」とか、「被害者意識を持ってます」という自分にも気付けるようになる。《事実を見る》ところに立てないと、気付くことすらできないんです。
―講演会で、「事実」を見たんですね。
はい。そこで気づいた以上は、講演会で「嘘はつけない」。けれども、「人前でその自分を話す」ことに葛藤はありました。原稿に「騙されてついて行きました」と書いた時、そこで初めて「レイプされたかわいそうな子」だけの側面だけではない、《自分の全てを出せた》ような感覚を味わいました。
それこそが《陰と陽が「同時」に存在する》という真理への気づきで、これを受け入れた時に初めて、赦しの境地に辿り着けるのだと思います。
過去を振り返ってあんなことがあったけれど、「あの出来事のおかげで、こんなに今幸せです」というのは、「同時ではなく、時間軸がずれた上での陰陽を受け取る」ことなんです。
ー「あの出来事があったからこそ、今がある」というのは、よく耳にしますし、そう思います。
はい。これも大事なことなんですが、「陰」と同時に生まれていた「陽」を見過ごしていると、いつまでも表面的に蓋をしてしまいます。 自分にとって一番根っこの事件があった時にも、実は「陰陽が同時にあった」ということを受け取りきれていなかったので、それこそ被害者意識を持ち続けたままずっと生きていたんです。
私は、その時の講演会で初めて《陰陽同時にある》ことにまず気づきましたが、実はそこから深められてはいませんでした。 それが、《本当の意味で消化できた》のは多分、今回トントンの身に起こった出来事があったからなんです。
ーその時に陰陽が同時に存在しているのだ、と気づくことが大事なんですね。
そうなんです。この体験は、「陰陽はいつも存在する」という真理に対するリアルな実感を伴って、私を《統合》に向かわせてくれました。
―「統合」というのは?
今回のトントンに起こったことを、やっぱりその15歳の時の自分と重ねました。「ついて行った」ことと「暴力」を受けた体験は、親子で一緒なんですよ。そこで私がトラウマを抱えていれば、今回も感情を引きずられていたと思いますが、講演会での気づきや、パートナーシップを深める体験をしてきたおかげで、わだかまりは全くなかった。
だから、あの15歳の時の一種の「カルマ」が私の中で「もう終わってる」と一つ気づかせてもらえました。「ありがとう」という気持ちにもなれました。人生の階段を登っていく過程でいろんなことが起きては自分の中で昇華して、また登っていきます。
今回の出来事も、その流れの中の一部分なんです。 自分を許せたから云々ではなく、私のこの15歳から今47歳の間、24年かけて、この「赦し」に向かってきたのだということなんです。
息子の痛みを「親として気にかけている」ことも事実だし、「今のところ見えない」のも事実
―ストイックに自分と向き合っておられる印象です。
パートナーシップを通して、「性の探求」も、ひでちゃんと2人で何度もぶつかり合いながらも、「愛を忘れない」でやってきたからこそ、今回、同じ空気感で同じ方向を向けたんです。そこで、どちらかが「戦う」姿勢になっていたら、結果として今回のようにはならなかったはずです。
それに、そのおっちゃんの背景を垣間見た、ということが一つあったんです。私は優しい「おっちゃん」を知ってるわけではないのだけれど、子どもたちが感じた優しい一面と、お酒飲んで怒りが出てしまう二面性があったという「事実」。
すべてが「そのまま」だったんです。 だから、「怒りがあったのではないか」と自分から拾おうとしても、その感情は出てこないんですよね。実際に真実は分からないけれども、私たちは最初から計画性を持ってやったとはどうしても思えなくて。
―確かに、人間は多面的で、様々な側面で捉えることができます。奈央さんの世界の中で、おっちゃんは「そうだった」と。
そうそう。
ートントン自身は、すごく怖い思いをしたと思うのですが、その後はどんな様子で過ごしてきたんですか?
そのことについては、本当にみんな心配をしてくれていて、私たちも気にかけているのですが、トントン本人は変わらず元気なんですよ。パワーアップした感じさえします。でもね、とは言っても、私も経験したから分かりますが、やっぱり細胞に刻まれてる「痛み」はあるはずなんです。
ただ、そこに「フォーカス」すると、それを増強させることもあると私自身、身をもって経験しています。トントンに「今でも辛いの?」と、本当は「何かしんどいことがあるでしょう?」と多分多くの人がそう思うのだと思います。
実際に今、明らかにトントンが怖がっているとか、眠れなくて困っているとか、小さなことでも何かしらの行動に表れているのだったら、「必要なケアをしていこう」と思っています。ちょっとしたトントンの動きで、「あの時のことがあったからかな?」とか、結びつけやすいんだけれど。
―そういう視点も持っている。
はい。もちろん、親として「気にかけている」ことは事実だし、「今のところ見えない」というのも事実。今回のことをバネに「生きていける力がこの子にもある」とさえ感じています。もちろん、今後何があるのか分からない。
自分も経験してきたような「トラウマ」や「フラッシュバック」があるかもしれない。そりゃあ、自分が経験してるだけあって「どこかで抱えてないかな?」と思いますよ。心配をしていない訳ではない。でも、それは「その時に対応していこう」とも思っています。
―どちらの事実も同時進行でそのまま持っていけばいいですよね。
そうですね。本人にしか分からないことでもあるから、親であっても、外からどうこう言うことじゃないと思っています。
それに、私も「現時点」で、おっちゃんに対する激しい感情が、これだけ聞いてもらっても出てこないということは、トントンも、きっと「今は出てこないんだな」と思えました。