火に堪へし銀杏の実る高さかな
Facebook船木 威徳さん投稿記事【 いちょう 】
言いたいこともあるでしょう。不満や、不安。やりきれない想い。前に進めない、自分の現状だったり前からの性格やうまく行かないパターン。
でも、それでも、生きていればこそ。生きていれば、まだ、行動できる。
天災や大火事で一瞬にして命を落とされた方々の声を、私は聴いた気がします。精一杯、生きるしかないのです。
それさえ叶わなかった人たちの想いを聴いてきたから。
銀杏を見上げているだけでなぜか分からないのだけど、この世で果たせなかった想い、
何千人、何万人の方々の想いを感じられてならなかったのです。
https://ekoin.or.jp/history/ 【回向院 | 歴史の中で庶民と共に歩んできたお寺 > 開創】より
日本一の無縁寺の誕生
回向院は、今からおよそ360年前の明暦3年(1657年)に開かれた浄土宗の寺院です。
この年、江戸には「振袖火事」の名で知られる明暦の大火があり、市街の6割以上が焼土と化し、10万人以上の尊い人命が奪われました。この災害により亡くなられた人々の多くは、身元や身寄りのわからない人々でした。当時の将軍家綱は、このような無縁の人々の亡骸を手厚く葬るようにと隅田川の東岸、当院の現在地に土地を与え、「万人塚」という墳墓を設け、遵誉上人に命じて無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を執り行いました。このとき、お念仏を行じる御堂が建てられたのが回向院の歴史の始まりです。
この起こりこそが「有縁・無縁に関わらず、人・動物に関わらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くもの」として現在までも守られてきた当院の理念です。
聖観音像(両国)
万霊供養塚の上に立つ新しい風をイメージに平成14年に安置された聖観世音菩薩立像
その後の繁栄
無縁寺・回向院は一方、境内堂宇に安置された観世音菩薩や弁財天などが江戸庶民に尊崇され、様々な巡拝の札所にもなりました。また江戸中期からは、その地の利が尊ばれて全国の有名寺社の秘仏秘像の開帳される寺院として、境内は毎年のように参詣する人々で殷賑をきわめました。
そして江戸後期になると勧進相撲の定場所が当院に定められ、明治末期までの七十六年間、いわゆる“回向院相撲”の時代を日本相撲史上に刻したのです。
帆掛け舟型の海難供養塔
明暦大火の供養塔
回向院の歴史はこのように見ると一見隆盛一途をたどったかのように受け取られがちですが、当院自体も度重なる大火に被害をこうむり、明治の廃仏毀釈、大正の大震災、更には第二次大戦下の大空襲などによって、幾度か存亡の危機に立たされたのです。
しかし、その時その時の歴代住職は檀信徒の浄信にささえられ、由緒あるこの寺院の法灯の絶えぬよう骨を惜しまず身を砕き、その度ごとに一大危機を乗り切ることが出来ました。その根本は、申すまでもなく、御仏の御加護、万霊のお力によるのであり、開祖法然上人、また開山上人に対する報恩の念のひとしお深くされる由縁です。
https://www.youtube.com/watch?v=mD3kspeqHQc
https://yaguchiten.exblog.jp/21429079/ 【両国 回向院の大銀杏】より
両国駅を大通りに出ると信号を渡った正面に回向院というお寺がある
寺らしくない建築で、ここには鼠小僧の墓があるそうだ
僕は両国の隅田川に行った帰りに駅に向かう途中で、やたら目立つ銀杏に
目が行ったので暇つぶしに行って見たのだ
入ってすぐのところと猫塚がある場所に大銀杏が二本立っていた
猫塚は猫以外にも動物供養の為に作られたそうである
そして二本目の猫塚がある場所に立つ大銀杏
これで一本の銀杏だから恐れ入る。両方ともかなり樹齢があるようだ
https://ameblo.jp/shiohime25/entry-10729465035.html 【銀杏並木は 火よけの木】より
おはようございます。和文化おもてなしコーディネーターしおひめです。
今日は 暦では 大雪…。いつ雪が降っても良いぐらい東北は、寒いです。
先日、東京に行った時表参道の銀杏並木を目にしました。
今日は銀杏並木について触れてみたいと想います。
昔、日本人の家は木の特長を生かした木造建築の家が多くみられました。
木造建築の家は 火災に弱い造りになっています。
江戸時代に起こった大きな大火「明暦の大火」(一六五七年)この大火で江戸の町の六割が焼失したと言われています。
この大火以来、江戸の幕府も庶民も何とか火災を防ぐために智恵が出されたのが火災に強い木 銀杏の木を植えることでした。
~和文化&おもてなし@世代を超えて伝えたい和の心ブログ~ -銀杏並木 水を噴くといわれる銀杏の木
銀杏は燃えにくい樹木です。江戸時代の人たちは銀杏が「火事の時に水を噴く」と言われるぐらい火に強いことに目をつけていました。
そして、神社や寺院の道路に銀杏の木を植え並木道を造り始めました。
もし火事が起きた時には神社や寺院に逃げ込めば水を噴く銀杏の木が 火をせきとめ
守ってくれるという考えがあったと言われています。
現在でも、銀杏の木の特長を生かした火よけの地として靖国神社等が残っています。
近くのお寺でも 銀杏並木があります。
銀杏並木は、私たちの目を楽しませてくれることばかりではなく、火をよけて 人間の命を守ってくれる木。ここにも植物との共存があります。
本日もご訪問 ありがとうございます。