発見された未発表newワルツの謎
先日ある方からご一報をいただきこのニュースを私も知りました。
この発見者は、ニューヨーク市のモルガンライブラリーの学芸員
ロビンソン・マクレラン氏によって約100年ぶり に2019年に初めて発見されました。
手稿譜は、10.16cm×12.7cmの小さな原稿に書かれた短いワルツでした。専門家の鑑定の結果、この曲はショパンの作品である可能性が高いことが明らかになって来ました。
作曲年は推定1830年から1835年とされました。
私の感想は、ショパンは書きかけで途中で放棄したスケッチだけの曲や、プライベートな人に贈った未発表の短い曲がたくさんあったことは私自身の考察からも推測でき、ショパンは自分に不本意な曲や自分が満足しない作品は発表しないようにしていました。そして、ショパンは亡くなる直前に親友のグシマーワにこと細かに出版に関する指示をしました。ショパンの指示でニューョークへ行ったフォンタナにも幻想即興曲を隠しておくように命じていました。この曲はショパンにとっては呪わしい退屈な夜会の時間潰しに即興的にそのつど変えて弾いていた嫌な思い出の不完全な曲だったからです。しかしフォンタナはショパンの死後、ショパンの作品整理を生涯していました。お金に困っていたフォンタナは売る曲が無くなり、この幻想即興曲をショパンとの約束を破り、フォンタナが校訂して発表しました。
フォンタナはショパンの筆跡の真似が誰よりも上手いところがショパンに気に入られていました。ショパンがパリへ行ってから書いた曲の中にはショパンが最後まで完成できないとき、ショパンはフォンタナに構想だけ指示をして、最終的にまとめるのはフォンタナの役目でした。勿論、発案者はショパンですからショパンが作曲していましたが、ショパンはフォンタナなしでは一人の手書きで書き上げることが困難でした。
ショパンの死後はニューヨークでショパンの作品を演奏してショパンの曲を広めたのもフォンタナでした。その後はフォンタナは自分の役目が終わったかのように生活の借金苦と病気に苦しみフォンタナは自殺という残念な死を遂げました。それらのことから、今になってニューヨークの美術館でショパンの作品が発見されても不思議なことではないのです。この美術館にはあらゆる分野や芸術家のコレクションが所蔵されています。どういった経緯でショパンの作品がこの美術館に眠っていたのかは分かりませんが、富裕層のオークションで海を渡って来たのか、それとも、ショパン自身がニューヨークへ行ったフォンタナへ宛てて送ったことがあったのか、フォンタナがこの曲の手稿譜を持ってニューヨークに渡ったのかは想像でしかわかりません。苦しそうに始まるテーマからは、ショパンの暗い心境が窺がえます。激しい感情の側面とユダヤ人の民族的なマズルカの郷愁的なスケッチが現れ、ショパンの人生のテーマのような二面性を表す苦悩が繰り返され短く幕を閉じます。多くを語らずとも短い間にショパンの人生観が凝縮されています。それ故にとてもプライベートな感情を表していて誰かにこの曲を贈ろうと思っていたが辞めたと仮に推測したとしたら、かなり親密な相手への贈り物だったと想像します。
そのため、この曲は、
短い曲だから弾いてみようなどと侮ると、短いが故に演奏者の技量や音楽性や人生までもが露わになってしまう恐ろしい仕掛けがあります。ショパンの心の声が私の心に聞こえて来るようです。(Pianist由美子UNOの演奏で動画がございます。)
それでは、この辺で〜😄✨🍀💖
またPianist由美子UNOピアノコンテンツで
お会い致しましょう。(*^^*)💖
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