安保が閉ざした平和創造の道/高良鉄美さん 日本国憲法 私の思い
ネットで偶然みつけた新聞記事
2013年6月6日 赤旗新聞
4.28政府式典に抗議する「沖縄大会」共同代表
高良鉄美先生だ(*^▽^*)
5年前の記事か…
2013年4月、主権回復式典の様子が
テレビで流れ、
それを見た瞬間、瞬時に
私は、マジで腰が抜けたしね⤵
そして、怖かった(涙)
何とも言えない恐怖を感じた(涙)
そんな自分にも驚いた!
日本、日の丸
何か怖いんよね…
「沖縄人民党の歴史」
この本の三章には、私の伯父の事も実名で記されている。
第三章 サンフランシスコ体制の始動
一 サンフランシスコ「平和」条約の発効とたたかいの新たな展開
1 軍事的植民地的支配の固定化
2 第五回党大会 琉球人民党第一回代表者大会
3 第一回立法院議員総選挙と宣誓拒否
4 条約第三条の撤廃をめざすたたかいと第一回メーデー
5 ビートラーの反共声明と笠利村での選挙二 労働法をかちとるたたかい
1 恒久基地の建設と労働者
2 かちとられた労働法
3 警察予備隊募集反対のたたかい
4 武力による土地奪還
三 圧制下での抵抗闘争と奄美の返還
1 雑誌「平和」事件
2 天願事件と植民地化反対闘争
3 第二回メーデー
4 琉大事件
5 全沖縄労働組合協議会の結成
6 奄美の返還と第六回党大会
これら、今になっても どうなってるの?
私の伯父が、奄美から沖縄へ渡ったのは1951年3月末。
1954年、軍事裁判にかけられ沖縄から追放されている。
軍事裁判の記録さえも未だ見つかる状況ではない沖縄。
私の伯父の場合は、米軍基地で働いていた事もあった。
だからといって、核の存在をどこまで知っていたかは不明。
ただ、アメリカは朝鮮戦争で原爆投下もあり得ると言ったよね…
伯父は、反米でもなかった。
米軍基地では、人種による賃金差別があった。
で、何に抵抗したか…
1952年、琉球大学へ入学。
その琉球大学では何があったのか…
それが、いつしか沖縄の闘いとやらは何だか…
2014年沖縄県知事選では、高良先生の名前もあがっていた。
社民党県連、共産党県委、社大党、生活の党県連、県議会会派「県民ネット」の県政野党5団体でつくる11月予定の知事選に向けた候補者選考委員会は1日、那覇市長の翁長雄志氏(63)と琉球大学法科大学院教授の高良鉄美氏(60)の2氏を軸に選考を進めることを決定した。2日の連合沖縄を皮切りに各団体の関係する市民、平和、女性団体などから意見を聴取する。6月上旬にも候補者を最終決定し、本人へ出馬要請する見通しだ。
選考委は候補者に求める基本姿勢を4月にまとめ、米軍普天間飛行場返還問題をめぐる仲井真弘多知事の名護市辺野古移設埋め立て承認の撤回を明記。保守系でありながら辺野古反対を明言する翁長氏や、憲法学者として平和運動に積極的に取り組む高良氏を候補者として絞り込み、「オール沖縄」の枠組みで知事選に臨む動きを本格化させた。
1日の選考委では5団体とオブザーバー参加の県職員労働組合が無記名による投票で最大2人を投票。最終的に4人の名前が挙がり、得票数の多かった順に翁長氏、高良氏の2氏を軸に調整する。投票では社民党県連委員長の新里米吉氏(67)、沖縄平和運動センター議長の山城博治氏(61)の名前も挙がった。
会合後に会見した選考委座長を務める新里米吉氏は「ある程度想定される人が高い支持を得たと感じている」と述べ、関係団体に加えて辺野古移設に反対の立場をとる保守系関係者とも意見交換する考えを示した。
2014年5月2日 10:22
https://ja.wikipedia.org/wiki/2014年沖縄県知事選挙
7月22日までに県議会野党の社会民主党沖縄県連、日本共産党県中央委員会、沖縄社会大衆党、生活の党県連、県議会会派の「県民ネット」の5団体でつくる知事選候補者選考委員会が那覇市長の翁長雄志に候補を一本化。
最終選考に残っていた高良鉄美琉球大学法科大学院教授に翁長で一本化する方向性を伝えた。
8月3日には名護市長の稲嶺進と同市議会の稲嶺氏支持派市議団15名(会派「仁の響」8名、「ニライクラブ」4名、無会派3名 = いずれも無党籍)が翁長に出馬要請、同11日には前述の選考委員会を構成する野党5団体が合同で正式に出馬要請した。
9月10日、那覇市議会定例会で正式に立候補を表明した。
また、翁長の市長辞任にともない県知事選と同日に行われる予定の那覇市長選挙には後任として副市長の城間幹子が出馬する公算。
一方、現職の仲井眞弘多に対しては早くから3選続投に向け自民党県連所属議員らが秋波を送り、知事は7月26日には自民党県連からの出馬要請を正式に受諾した。
8月7日、記者会見で出馬表明。
27日までには党本部が推薦を正式決定し、河村建夫選挙対策委員長が推薦状を手渡した。
地域政党である政党そうぞう代表で元郵政民営化担当相の下地幹郎はかねてから翁長に強いライバル心を持っており、そうぞうの代表を辞職・離党して政党の推薦を受けずに無所属で立候補することを表明した。
そうぞう及び同党と政策協定を結んでいる日本維新の会(選挙投票日時点で維新の党)は下地を支援する方針と伝えられていたが、日本維新の会幹事長の松井一郎大阪府知事は8月6日、党本部としては下地を推薦・支持しないと府庁で記者団に明言した。
(なお、維新・沖縄県本部の担当者は沖縄タイムスが8月15日に開いた座談会で下地氏支援の意向を表明している)
下地は沖縄普天間飛行場について、最近出した政策集の中で、暫定的に嘉手納統合や辺野古移設を認めた上で、将来的には県外移設を目指すと訴えていたが、出馬に向けた記者会見では「私が知事になったら6カ月以内に県民投票を実施して、承認か撤回かを明確に決める」と述べた。
公明党は、従来から県内で辺野古移設に反対の姿勢をとっており、辺野古移設を進める仲井眞知事の支援には慎重な構えを崩していない。
これに対し仲井眞、翁長両候補を支持する陣営から公明党の協力を求める声が送られていたが、党県本部は最終的に自主投票を発表した。
県連所属国会議員が0人となるなど影響力の低下が著しい民主党は一時、県連代表の喜納昌吉が鳩山由紀夫元首相に出馬を打診し断られた。
7月29日の会見で海江田万里代表が「まだ党が誰を推すか決まっていない」と強調。辺野古移設については「『今現在』はそれが党の到達点だ」と発言するなど、対応を巡り逡巡している。
8月15日に沖縄タイムスが開いた政党代表者の座談会でも、今後独自候補を擁立する考えを示し、その後9月16日には県連が常任幹事会で喜納本人の擁立を決定し出馬要請、喜納も出馬に意欲を示した。
民主党幹部は支持母体の連合が翁長支持を決めたことなどから、党本部として公認しない考えを示し、22日馬渕澄夫選対委員長が県連側に通達したが、喜納は24日には正式に出馬表明会見し、最大争点の辺野古移設に反対の姿勢をとることを強調したうえで、党本部から処分を受ける場合でも出馬することを明言した。
喜納は26日に再度党本部を訪れ、枝野幸男幹事長、馬渕選挙対策委員長に支援を要請したが、党本部はこれを拒否。
枝野は「辺野古移設は党の苦渋の選択」としたうえで、辺野古移設に反対の姿勢をとる喜納の公認は認められないと述べた。
さらに出馬を強行する場合は離党するよう伝えたが、喜納は会談後、記者団に再度出馬の決意に変わりがないことを述べ、党本部は10月14日の常任幹事会で喜納を除籍とする処分を決定した
2014年の沖縄県知事選
公明党沖縄県本部は、自主投票だった。
「辺野古には利権がらみはない!」
と、言い切る人もいたけど…
そう言った人は、誰に一票を投じたの?
誰を応援したの?
※ネットで見かけた書き込みのスクショ
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