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日本基督教団 板橋大山教会

2024年8月11日 礼拝説教

2024.11.02 13:15

「神さまの家族」 マタイによる福音書12章46~50節

今日は、「神さまの家族」についてのお話です。

 イエスさまは、ユダヤ人の大家族にお育ちになりました。当時のユダヤ人社会は、モーセの十戒を始めとする何百何千もの律法が人々を苦しめていました。裕福な人々は律法を守ることができましたが、貧しい人々は安息日でも働かざるをえませんでした。律法を守らないと、死刑にされることさえありました。

 イエスさまはそのような状況下で、「神さまを愛すること」と「隣人を愛すること」の二つが最も大切であり、他の律法は時と場合によって守らなくてもよいと教えました。この教えはユダヤ人指導者の批判を招き、最終的には反逆者としてローマ帝国に引き渡されることになりました。

 ある日、母マリアと兄弟たちがイエスさまに会いに来ました。彼女たちはイエスさまが救い主であるとは思っておらず、外に立って「話をしたい」と伝えるだけでした。イエスさまの身の安全を図り、十字架から遠ざけようとしたのです。しかし、イエスさまは「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか」と言い、血縁よりも父なる神に従うことを選びました。

 家族には「血縁による家族」と「神さまの家族」の二つがあり、私たちは前者から後者へと成長していきます。マリアたちも後にイエスさまを理解し、弟子たちと共に教会で祈るようになりました。弟のヤコブは「神と主イエス・キリストのしもべであるヤコブ」と自らを称し、イエスさまの弟でありながらも、しもべとしての立場を強調するようになりました。

 私たちも「神さまの家族」であり、キリストの兄弟姉妹であり、しもべです。イエスさまは「だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟姉妹、また母である」と言われました。血のつながりがなくとも、神さまの御心を行う人は誰でもイエスさまの家族なのです。

 では、「御心を行う」とは何でしょうか。使徒言行録には、信者たちが一つになり、すべての物を共有し、家ごとに集まってパンを裂き、一緒に食事をしたとあります。これは聖餐式のように読めます。私たちはこれを通じて一つのコミュニティ、「神さまの家族」となります。また、マタイによる福音書では「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」とあり、たとえ少人数でもキリストが共にいてくださいます。

 さらに、教会は「七の七十倍までも赦しなさい」と教えられ、互いを赦し合う「神さまの家族」です。赦しはセメントのように人々を結びつけ、その上に教会という建物が建っています。私自身の家族の話ですが、父は仕事一筋で家庭を省みず、母が突然倒れた時も間に合いませんでした。病院で息を引き取った母の手を握りながら「ありがとう、ありがとう」と繰り返す父の姿は、私には「赦してくれ、赦してくれ」と聞こえました。その後、父は毎日母の写真に手を合わせ、赦しを求め続けました。夫婦という「あかの他人」を結びつけたのは、「赦し」というセメントだったのです。

 教会も同じです。私たちは隣人を十分に愛せないことを知っています。それでも「神さまの家族」として互いに赦し合うように努め、「七の七十倍までも」赦し合いたいものです。父なる神がキリストによって私たちの罪を赦してくださったように、私たちも互いに赦し合い、キリストと一緒の「神さまの家族」となりましょう。それが父なる神さまの御心です。どんな交わりや活動をするにしても常に神さまの御心を問い、隣人を愛し、互いの力不足を赦し合いましょう。

 最後にもう一度、マタイによる福音書12章50節をお読みします。「だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟姉妹、また母である。」今週もまた、神を愛し、隣人を愛して歩みましょう。