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日本基督教団 板橋大山教会

2024年10月13日 礼拝説教

2024.11.22 13:00

「神の愛 人間の愛」 ヨハネの手紙一 3章11~18節

 きょうは、「神の愛、人間の愛」というテーマでお話いたします。

 人間の愛は不完全です。私たちは誰かを愛していても、いつかは別れのときが来ますし、時にはその愛が憎しみに変わることさえあります。一方で、神さまの愛は永遠であり、決して変わることがありません。私たちが人生の中で愛と向き合い、愛が試されるとき、神さまの愛に立ち返ることで新たな力を得ることができます。

 きょうの聖書には、旧約聖書「カインとアベル」の物語が紹介されています。アダムとエバの息子であるカインとアベルは、それぞれ神さまに献げ物をしましたが、神さまは弟アベルの献げ物だけを喜ばれました。これに怒りを覚えたカインは弟を憎み、ついには殺してしまいます。12節には「カインのようになってはなりません。彼は悪い者に属して兄弟を殺しました」とあります。この物語は人間の嫉妬や怒り、罪深さを象徴しています。

 しかし、たとえ私たちがどれほど過ちを犯しても、神さまは大きな愛と赦しで私たちを包み込んでくださいます。私は、親からの愛を受けられずに苦しむ若い女性を知っています。彼女は深い心の傷を抱えており、愛されないことで深い孤独や絶望に陥っています。愛の欠如が、人の心をどれほど蝕むかを目の当たりにする思いです。それほどまでに「愛の行い」は大切であり、神さまの無条件の愛を受け入れることで、新たな一歩を踏み出すことができます。

 11節には「互いに愛し合うこと、これがあなたがたの初めから聞いている教えだからです」とあります。私たちの愛は不完全であっても「神さまの愛」の一部分であり、人々の心にその光が灯されています。傷つき、裏切られることがあっても、人は愛を求め、愛を与えようとするのはそのためです。

 では、「神の愛」とは何でしょうか。16節には「イエスは、私たちのために命を捨ててくださいました。そのことによって、私たちは『愛』を知りました。だから、私たちも兄弟のために命を捨てるべきです」とあります。キリストが教えてくださった「神の愛」は自己犠牲の愛、すなわち人のために命を捨てる愛です。

 「命を捨てる」とは、必ずしも文字通りの「死ぬ」ことではありません。親が子供のために自分を犠牲にする姿や、他者のために心を差し出す行為がそれに当たります。愛は理屈ではなく、行動によって示されるものです。18節では「子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう」と呼びかけられています。

 イエス様の十字架は、神さまが私たちのためになさった無条件の愛の究極の形です。私たちも見返りを求めず、無条件で与えられた愛を受け入れて他者に示すことで、神さまの愛の「しるし」となることができます。17節には「世の富を持ちながら、兄弟が必要な物に事欠くのを見て同情しない者があれば、どうして『神の愛』がそのような者のうちにとどまるでしょう」とあります。私たちが日常生活の中で神さまの愛を感じる時、その愛を他の人に伝えるために具体的な行動を起こすことが求められています。たとえば困っている人に手を差し伸べたり、家族や友人に感謝の気持ちを伝えます。聖餐式でイエス様がご自分の体と血を私たちに与えてくださるように、私たちも心を分かち合うことで愛を示すことができます。

 私たちの不完全な愛は、神さまの完全な愛に根ざしています。そのことを信じて行動することで、神さまの愛をこの世界に広めていくことができます。今日の聖書は「口先だけではなく、『行いをもって』誠実に愛し合おう」と強調しています。小さな一歩から始めて、この世界をより良い場所に変えていきましょう。私たち一人ひとりの小さな愛の行いが、この世界を変える力になります。

神さまは、キリストの十字架によって私たちに愛を教えてくださいました。神さまの愛は無条件の愛です。私たちがその愛を受け入れて、他者にも同じように愛を示すことができるように。また、日々の生活の中で神さまの愛を映し出す器となれますように。感謝の心をもって生き、神さまの愛を周りの人々に伝えることができますように。