ツナガリカタ
人に優しくできる人って、どんな人だろう?
そう考えた時に真っ先に浮かぶのは「自分にゆとりがある人」ではないかと。
では人に優しくできる企業って どうしたら作れるだろう?
やっぱり ゆとり じゃないかな。
ゆとり?
何のゆとり?
精神的、金銭的かな?
企業の場合は必ず金銭的ゆとりが先に来ます。
そこから後で精神的なゆとりが生まれ、人に親切にできるゆとりが生まれるのです。
サービス業とは言うものの、一体何をサービスしているのかと考える時があります。
目に見える食べ物を提供する飲食店もサービス業ですから、目に見えないものを提供することがサービスとも一概には言えない中、改めて再定義するとすればサービス業とは「お客様から頂いた金銭と同等の価値ではなく、同等以上のものを提供できるよう努める組織」がサービス業であると言えます。
つまり提供した価値と頂いた価値に(お客様がプラスになるような)差額分が生じ、その差額分を一生懸命作ろうとする行為がサービスということになるのです。
500円で1000円分の価値を提供されたら誰だって嬉しいですよね。
企業はその差額分を作る努力をし、お客様に喜んでもらうために企業努力として長い年月をかけて 金銭的ゆとり を作る必要があります。
なぜなら人に優しく、人のお財布に優しくする仕組みを構築するには企業に金銭的なゆとりが必要だからです。
私はこのくらいの金額を頂く価値がある。
このくらいの価格設定をしないと逆に良いお店として世間に見てもらえない。
そんな意見を持つお店が世の中には多く在りますが、価値と同等ではなく、価値以上のものを提供する姿勢がサービス業には必要で、その心(「差額分が生じて当然だ、だってサービス業なんだもん」というサービス精神)こそ文字通りサービス業の原点だと思っています。
そしてお客様にとってのコストが安いというコスパも文字通りパフォーマンスの一つであるため、安くても成り立ち、安くても潤う仕組みを構築している企業を一早く作ることが、お客様とwin‐winの関係でいられる仕組みとなっているのです。
株式会社の株を買うように、皆さんが企業を支えれば支えるほど企業にはゆとりが生まれ、企業は人に優しくなれるはず。
某自動車メーカーの前会長は何を考えていたかは分かりませんが、世の中にはイレギュラーがあることを学びましたね。
20代前半の可愛い女の子たちに囲まれながら仕事をするのは最高に幸せです。
そして50代のマダムと優雅な言葉遊びをする時間も楽しい。
同世代のママと子育て話をする時は 深い共感があり勇気をもらいます。
そしてまたある日には古希を過ぎた方たちから教わる知恵に感銘を受けるのです。
多くの方が出会う人々を限定し、あらゆる可能性を制限していることに気づいていません。
「わかる人にだけ分かってもらえば良いんだよ」「気の合う人とだけ絡めばいいさ」と。
確かに辛くなったら その言葉をお守りに使えば良いのですが、多くの方が偏り、バランスを欠いた状態であると私は感じます。
私たちのような業を営む者にとっては、出会う人に偏りを起こすことは非常に残念なこととされています。
なぜなら、あらゆる年齢・性別・出身地・生活レベル・思想の方と接してこそ社会の縮小地図を理解する手掛かりとなり、その縮小地図(統計学)を羅針盤に経済学と社会学を組み合わせて経営を進めていくことが賢明だからです。
世の中の人は何を考えているのだろうか。
世の中の人々はどんなことを欲しいているのだろうか。
目の前の人はどんなことを望んでいるのだろうか。
きっと、企業の自慢話ではないことは確かです。
高いか安いかハッキリと路線が別れてきた昨今のサービス業界ですが、私たちは「良いものを適正価格で」という一見、中途半端な路線をさまよっているようにも思えますが、決してそうではなく、全ての方と出会う姿勢と仕組みを考えた結果として今があります。
多くの方と出会いたいです。
ココにしかないもの発揮・提供したいです。
全ての方と出会い、その心に傾聴し、リアルな社会(全体像)を理解したいです。
そしてまたその仕組みを活かし、違う地域でも展開できたらと思います。
と、偉そうに書かせて頂きましたが、まだまだ弊社は夢の途中。
もっと努力しないとダメですね。