「宇田川源流」【大河ドラマ 光る君へ】 源氏物語新章執筆の裏側
「宇田川源流」【大河ドラマ 光る君へ】 源氏物語新章執筆の裏側
毎週水曜日は、大河ドラマ「光る君へ」について好き勝手に書いています。この物語は非常に物語として面白いつくりになっている。「源氏物語」と「藤原道長・紫式部の物語」がうまくクロスしてその内容が出てきている。
今回は、道長の息子、といっても妻妾源明子(瀧内公美さん)の子供の藤原顕信(百瀬朔さん)が出家したところから始まる。
そもそも妻妾の源明子は、父源高明が安和の変で大宰府に左遷され、叔父盛明親王の養女として育てられる。この安和の変は、藤原家によって起こされた陰謀であるので、源明子は、当初ドラマでもああったように藤原家の当主となった道長を呪い殺すように呪術を仕掛けているような場面もあった。
源倫子(黒木華さん)が道長の出世に大きくかかわったことから、源倫子の子供が関白などになったのに対して源明子の子供あまり出世しなかった。そして源明子の子供の中で最も期待されていたのに出家したのが藤原顕信であった。
寛弘8年(1011年)三条天皇から道長に対して藤原通任の参議昇進で空席となった蔵人頭に顕信を就ける意志を告げられたが、道長が顕信は「不足職之者」で「衆人之謗」を招くとして辞退を申し出ている。道長が辞退した理由は15日の一件と考えられているが、同時に天皇の前で父親から「不足職之者」と評された顕信は、自己の将来に対する不安を抱えていたことが突然の出家に繋がったという。
顕信は世を儚み行願寺(革堂)の行円の許を訪ねると、その教えに感銘を受けてそのまま剃髪し、比叡山無動寺に出家した。法名は長禅、馬頭入道とも呼ばれた。顕信の将来に期待していた両親は、大いに嘆き悲しんだと言われる。
今回記録はなかったのであるが、源明子が寝込んだことになっている。源明子は記録によれば、永承4年(1049年)死去となっているから、実際はこのあと30年以上生きることになる。
<参考記事>
道長が男泣き!「光る君へ」まるで最終回のような逢瀬に大反響
2024年11月3日 20時47分
https://www.cinematoday.jp/news/N0145798
<以上参考記事>
源氏物語は、三部構成説と四部構成説があるが、最も特徴的なのは、光源氏の死後薫が出てきて、また光源氏とは異なる新たな物語が展開する。
今回まひろ(吉高由里子さん)がかいた中で「雲隠」という文字がある。三部構成説でいえば、その二部の最後が「雲隠」となっている。そして「雲隠」は本分がなく、白紙のままで光源氏の死を暗示するというようになっている。
『源氏物語』を「桐壺」から「藤裏葉」までの第一部、「若菜」から「幻」までの第二部、「匂兵部卿」から「夢浮橋」までの第三部の3つに分ける「三部構成説」では、二部の終わりが雲隠れになっている。
まひろは、ドラマの中で賢子(南沙良さん)との会話の中で、「物語は終わったの」と言っているところを見ると、少なくともドラマの中では、まひろはここで物語を終わらせようとしていたのに違いない。しかし、藤原道長の病気と左大臣の辞任などの事件が重なったこと、そして、三条天皇(木村達成さん)の中宮となった藤原妍子(倉沢杏菜さん)のところに天皇のお渡りがなかったことなどから、新たな物語を書くことにした。
しかし、まひろはドラマの中で「物語の限界」も知っている。「物語は人の動きを写しますが、物語が人を動かすことはできないのです」という言葉は、私のような物語を書いている人にとっては、かなりどっきりする内容である。ものがたりというのは確かに人に感動を与えるものであるが、しかし、その物語の通りに人を動かすものではなく、全く異なる行動になってしまうことがある。まさに期待していない反響が出てきてしまうことがあるのだ。
このようなことや三条天皇との権力争いから、道長は病気になってしまう。「小右記」によると、一時は飲食物を受け付けないほど状態が悪化し、致仕の上表を行う[120]。この病気について、比叡山に騎馬で登ったために日吉大社の祟りを受けたためとも噂された。この頃、道長の病気を喜ぶ公卿が5人おり、大納言道綱、実資、中納言隆家、参議懐平、通任である、との風説が流れる。これに対して道長は「私の病気を喜ぶ者が5人いると最近聞いたが、そんなはずはない。中宮大夫(道綱)と右大将(実資)がそうだとは信じられない」と述べたという。
ここで、ドラマのオリジナルであるが、まひろが道長のもとを訪ねることになる。「誰のことも信じられぬ。己のことも」といつになく弱音を吐く道長に、まひろは「もうよろしいのです。私との約束は。お忘れくださいませ」とその重責を慮るも、道長は「お前との約束を忘れれば、俺の命は終わる」と聞かない。そしてその後、「おまえは俺より先に死んではならん。死ぬな」と道長が言えば、まひろの「道長さまが生きておられれば、私も生きられます」の言葉。ここは大石静さんの素晴らしい脚色である。本当に心を許し合いお互いのことを大切に思っている二人だからできる会話ではないか。この会話から、この二人が本当に信頼し合った夫婦以上の中になっていることが見えるようになっている。
お互いにお互いがいることが、この物語の中心である。そしてその二人の信頼関係が、他の人々よりも道長が権力を持ち、そして若いころのまひろの「良い国にしてほしい」ということが、道長の政治につながっているということになるのである。まさに道長の行動は、そのまひろとの約束がすべての原動力であるということがよくわかる。案外、今生きている人間もすべてそうなのではないか。私も、また皆さんも、実は何か幼いころの、そして本当に信頼できる人との「何気ない約束」が原動力になっているのではないか。
そのような意味で、この物語は多くの人の教官を得ているのではないか。