岡田隆彦の詩
https://loggia52.exblog.jp/20341187/ 【岡田隆彦の詩】 より
柄澤齊・岡田隆彦の詩画集『植物の睡眠』に関連にて、岡田隆彦の詩について少し触れておきたい。
岡田隆彦が、吉増剛造らと詩誌「ドラムカン」を創刊したのが、1961年、岡田の初期の代表的な詩集は『史乃命』(新芸術社 1963年)であるのは間違いはない。いわゆる60年代詩人を代表するひとりである。吉増剛造はよく知られているが、岡田隆彦はどうだろうか。思潮社の現代詩文庫で言えば、『岡田隆彦詩集』は1970年の発刊だから、それ以後の、例えば高見順賞を受賞した『時に岸なし』(思潮社1985年)、それに1992年の『鴫立つ澤の』(思潮社)、こうした中期以降のすぐれた作品群は現代詩文庫では読めない。(『続岡田隆彦詩集』が出てもいいはずなのに、それが出ないのは何か理由があるのだろう。)まして、限定40部の岡田隆彦の最後の詩集とでもいうべき『植物の睡眠』所収の詩作品が知られることはないのは残念である。
まずは、『史乃命』の前の詩集『われらのちから19』(1963年)から、「ラブ・ソングに名を借りて」の全編を。
降りしきる雨の日に あるいはまた干からびた冬の日に 私は変ってしまった
と言ってくれ 君の青白い額に唇を重ねると 唇が青くなってしまうのだ
こんなものが愛だとは どこかの賢人さえも 僕らの所へやってきて叱咤するだろう
せめてもこの代に生れたことを喜び合って いつものように電車に乗って帰ってくれないか
いつものように僕は手を振って君の顔を見ているだろう
君の額は悲しいし 僕の髪は長すぎる あんなにきたないものでないので
性の話はしたくない 君と僕との小話は 不潔な根性丸出しに
アイラヴユウで始ったが 結句アイヘイチューで終らない ぼやけたものだ
いつもの花屋に寄る気はしないが 黙って駅まで歩いていこう それから僕は旅に出る
そこは平たい太陽が今も覆いかぶさっているだろう 砂ぼこりのたちこめるその里で
ジンとサンチマンへの抵抗力を作って いっぱし月給取になり
自信に満ちて二等車から丸の内に降りるだろう もう君は愛してくれないだろうから
今読んでも色褪せず、みずみずしいとさえ感じられるこのリズム感。気障な言い回しがあるのに、少しもいやらしくなく、むしろ切ないほどの純粋な愛が言わせる反語のように聞こえる。ベタな言い方だが、身体にしみついた都会的な感覚が、ことばの端々に見える。近頃では、いきのいい恋愛詩はほんとに読めなくなった。このような恋愛詩の書き手がもっといてほしいものだ。
さらに『史乃命』に見られるいかにも60年代詩人らしい先鋭的なことばの祝祭。溢れ、こぼれ落ちる詩情を、ことばはおしげもなく踏み散らかして、ことば自身の装いをさえ脱ごうとして弾ける。表題作の「史之命」の最終連を抜き出してみる。
抱き合って形ないしぐさをくりこむあとに そっと息を吹きかけあう疲れの汗は、
数分、たれのものでもないお祈りで、 とてもたまらないほど排卵している。
いのちの紀念や時の跡ではなく エナージーそのものでしかなく 史乃 おれ
の光をもらう喜びは倖せをひとっ跳び。 形にかたまらず 翔んでいるよ。
欣喜雀躍の羽羽はまことに麗しくヒラヒラヒラ、 涙も溜めいきもついていけない。
だからこそ 女ひとはまたいつか死ぬだろう。 その死は史乃の死か おれの死か
一体たれが区分けしてみせる? あふれるおまえの赤い夜の川のなかで唯今、
たしかに放らつだからこそ、ここに おまえが唯今いるからこそ、
オッパイなんかあてどなく、 彫りおこそう クソッタレ 史乃命。しのいのち。
おれは豊饒な畏怖に祭られている おまえの 流れとその淵を体現せしめるおれのちからの
息吹腔からフッフッフッと 青そらを転がして還 魂し そのうえ 飛天をくるしげに
生み散らす。これはとほい秘めごとだ。
60年代という安保闘争に象徴される社会や時代の感受性をことばでどうやって引き受けるかというのが、その時代の詩人のたたかいだったわけだが、それは時代が変わっても、同様であるに違いない。この時代や社会を受けとめる感受性を表徴することが詩に限らず芸術と呼ぶべき営為であることは間違いのないことだろう。今活躍している幾人かの若い世代の詩人には、この60年代詩人たちの営為と通底するような試みと見える仕事をしているなと思われる人たちがいる。そういう意味でも、岡田隆彦の初期の詩集を読んでみてほしいと切に願う。(思潮社の現代詩文庫『岡田隆彦詩集』で70年代までの彼の詩集は読むことができる。
少し長くなった。以下はのちほど。
https://loggia52.exblog.jp/20357679/ 【岡田隆彦の詩 続き】より
『史乃命』の詩風と、すこし前に『植物の睡眠』の中から引いた「枯れる蔓」の詩風とのあまりの隔絶に驚かされるのだが、この詩の変転には、アルコール依存症や、彼を襲った病魔がかかわっているのだろうけれど、ここではひとまず措く。ともあれ、『時に岸なし』(1985年)を一つの里程標として、『鴫立つ澤の』への詩境の深まりが、『植物の睡眠』の水脈を考えるうえで重要だ。
何よりも『鴫立つ澤の』のなかで、19行詩、つまり『植物の睡眠』と同じ詩型を試みていること、さらに二つの作品を一対として鏡のように提示するという興味深い方法を試みていること、それらの作品群のことばの陰影が時間の経過を複雑に屈折させて、みごとな効果をあげていることに注目してもらいたい。たとえば、次の2作品が一対となって提示されている。
黄金の川
瑠璃色がはじけとんだような晴天の下 地表を燃やす灼熱を、ぼくは
河童の手で払いのけながら川を横切った。 股間の小魚は次第におとなしくなる。
メダカや小エビの軍勢はとても大きくて 川面のきらめく漣と
かわるがわる見えてくる。 波紋の一部に映る樹々の姿は
太陽の直下光が烈しいあまり、 緑ではなく赤い点と黄色に見える。
ぬめりとした岩肌に 腹を滑らすようにして、
もし、この流れに従ってゆけば、 どんな口に飲み込まれるのか、それとも
かたちのない宇宙へあふれてゆくのか。 流れは急いで黄金いろに輝いていた。
岸に上ると、裸かの小さな弟が、 逆光で立っていて
その向こうにコスモスの花群生す。
後書きに「幼少年時代への郷愁をもって一篇の詩を書き、それと同じような種類のことがらを成長してからの思い、ないしは想像として、もう一篇の詩に書き、一組ずつ対を成すような連作を試みた」とあるように、弟と遊んだ少年期の川遊びの光景をうたった上の作品と対をなす次の詩。
鴫立つ川
なだらかな山は細かく息づいて しきりと霞だち 雨を降らせて裾の緑を潤す。
せせらぎが絶え間なく響いている、ここらあたりは、大昔卒塔婆がたくさん建っていたので
「死木立沢」と呼ばれたそうな。 (名前を記した板は時が海へ流したのか)
いまでは澄んだ光が 樹々にさしこんできて 時をかたどり、荒波や車の反響を和らげる。
半世紀かけてここに辿り着いたのだった。 川面に反射して雲が戯れる。そうだ、
今の世の中は、写しの写し。 そこの大きな椎の木も頼りない。
草の匂いが湧きたつほどに心踊らせ 狭間を分け入って水源へ溯ってゆくと
名もない鳥が竹藪から飛びたつことがあって ほんとうに驚かされる。
岡田隆彦の詩は、『史乃命』にしても『時に岸なし』にしても、詩集全体が一篇の長編詩として読める。ことばのエネルギーを放出する技も持続させる技術も、彼の詩のことばに生来的に具わっていたように思われるほど、岡田は長編詩の詩人だが、晩年に自身のことばの呼吸を19行に限ることによって、ことばを内部にこもらせることを通して、それまでにはない深い抒情の水脈を発見しているように思われるが、どうだろうか。
この『鴫立つ澤の』で試みられた主題は《時間》=歳月であり、光であることは間違いない。
身体はことばの共鳴体である。身体が変われば、ことばの鳴り方も変わる。それは理の当然で、20代の岡田と50代の彼の身体は、まして大病を経た身体では大きな違いがある。身体運動と感性とを直接的につなぐことが、ことばでできなくなる。かわりに時間をとめて、思弁の深みと機微に震える身体がある。それは生のありかたの変容としても説明できる。ことばが身もだえして身体を脱ぎ捨てるときにことばが帯びる熱もポエジーならば、身体がことばと和解したときに、両者を隔てていた被膜がふと消える、そのたゆたいにあらわれるゆらぎもまたポエジーと呼んでみたい誘惑にかられる。
身体は楽器である。ことばの共鳴体である。岡田隆彦の詩の営為が教えてくれたこと。
https://ameblo.jp/katsuoka1218/entry-12661307334.html 【非存在から、意識化される美しい詩と難解な詩の、現代詩という詩空間が求めるもの・・(Ⅲ)「交野が原】より
非存在から、意識化される美しい詩と難解な詩の、現代詩という詩空間が求めるもの・・・(Ⅲ) 「交野が原」
『岡田隆彦詩集成』(響文社)の詩集『時に岸なし』『鴫立つ澤の』と中尾太一の『詩篇 パパパ・ロビンソン』(思潮社)
⒈ 詩集『時に岸なし』について
『岡田隆彦詩集成』を初期の作品から読んでいくと、晩年の詩集『時に岸なし』や『鴫立つ澤の』に触れずじまいになってしまう。「三田文学」では、「特集 岡田隆彦」が組まれた。編集に携わった稲川方人と朝吹亮二の両氏の対談が掲載されている。遅れて「現代詩手帖」では、「岡田隆彦を読む」が特集された。論考の多くには、初期の詩を基点に論じられているが、晩年の作品についても、それぞれに印象的な論点がある。
美術評論家としての岡田隆彦については、明治末から大正を論ずる『日本の世紀末』(小沢書店)と吉岡実との交流から『ちくま』に連載された『美術散歩50章』(大和書房)を紹介するが、ブレイクを論ずる菊井崇史もベンヤミンの共時的な都市空間から論ずる奥間埜乃も、ともに岡田隆彦の美術評論(小沢書店)をよく読んでいる。ウィリアム・ブレイクに関心を寄せ、都市空間を生きる詩の根源とつながるのだ。杉本徹は、ディラン・トマスの影響を感じたと書いている。詩を読み、詩を書く経験と色彩と形を知覚する美術評論家の岡田隆彦がいる。詩人にとって、身体と言語の弁証法であり、ブレイクからラファエロ前派やウィリアム・モリスの世紀末から第二次大戦中のニューカントリー派を超え、幾何学的に詩を並べる感覚のディラン・トマスの影響は、同感されることだろう。
詩集『時に岸なし』を論ずるのは、やさしいことではない。『時に岸なし』は、高見順賞を受賞した詩集である。
当時、なぜ『時に岸なし』をよく読むことができなかったのか。読み通すのに、息苦しくなるほどの印象があったにも関わらず、理解が十分でなかった。「満ち潮の頃、盃に向かって/汽車で長い橋を渡ってゆく。/まるで海の只中を突き進んでいるようだ。/(塩を踏むこともない)/淡い赤紫に揺らいでいた蜃気楼は/群集の賑わいで一挙に輪郭を明らかにする。/湿ったサンタ・ルチーア駅。」(「欲望の織りなす迷路」)。詩集冒頭に書かれたヴェネツィアの迷路がたどれなかったのだろうか。詩集の凝縮度に、圧倒されたのだろうか。それとも、私的な感覚の現象するトリッキーな詩に、反感があったのだろうか。まさかである。「――陰影の濃い響きを奏でているのに誘われて/小さな洞窟を飽きもせず/尋ねてまわるわたしたちは、生涯、/それらより少し大きな洞窟を/行ったりきたりしているのではないか。」(「洞窟の誘惑」)。身体とコスモスを媒介するのは、ビルが複雑に入り組み、道路が路地へと捻じ曲がる都市である。コスモスを横切るときの眼と身体が、知覚の現象をもたらした。都市を描き、絵画の洞窟をリュートの協奏曲に誘う生の詩は、詩人のダンディズムやアルコールの病魔も内包していた。
⒉ 詩集『時に岸なし』から『鴫立つ澤に』へ
中近東からヨーロッパの空間をよこぎる身体の知覚とともに生れたポエジーの現象学が、独自の抒情を奏でている。ヴィヴァルディやヴェネート地方、ペリエやパンテオン、南仏プロヴァンスやカマルグ、ペタンクやサント・ヴィクトワール山、地中海やギリシャのコマ島、多くのフランスやイタリアの画家の名前がヨーロッパの風景を充たす。アメリカからイタリア・ギリシアへと、ニューヨークの思い出が重なり、あたかも須賀敦子のように、ヴェネツィアの思い出を山手の俗語で渋谷の街を詩化する。その抒情は、苦い身体と現場の生活を抱えつつ、生きた言語の通過する場所だった。旅―身体―移動するテクストの上では、父も母もいない。生きざまの傷痕を感受することなしに、岡山を出自にもつ抒情の来歴はみえてこない。
「〔寄る辺なき身は/拡散してゆくだけの心を/つなぎとめようとして/思い出の部屋を求める。/心の宿るカメラ・オプスキュラだ。〕」。都市を遊歩する『図説 写真小史』(ベンヤミン)にあるように、抒情の形となる鏡がある。「その壁の映像は、/記号として認識されるとき、こんどは/それを通して世界をより多く知るはずの/窓となり、同時にまた、/狭く暗い部屋(カメラ・オプスキュラ)に棲む人間の/肖像や世界を写しだす/鏡となる。」(「狭い部屋」)。繊細の精神から、幾何学的な感覚が透けてみえる。岡田隆彦の抒情には、絵画や写真や音楽の要素があるが、詩を成り立たせる独自の構成力があった。構成力に関与するのは、「私の知覚領域はたえず光の反映やがさがさいう物音や触覚的印象によって充たされている。(略)人間は世界においてあり、ほかならぬ世界のうちで自己を知るのである。」(M.メルロ=ポンティ『知覚の現象学』「序文」)という、知覚を統括し、行動する都市の幾何学的思考である。美術評論家が指向する、遠近法の形の空間と、芸術が内包する時間の交わりを感受する直感が、即時的に詩人の内部に働いている。
そこから、時間は、還流する。それは、岡田隆彦にとって、男と女の詩に同値した世界だった。男が均質でない空間であれば、女は流れる時間である。対幻想(エロス)を信仰(クレド)とする生命の時空間が詩化される。「女性的なものは対話者、協力者であると共に高度に知的な主人でもある」(レヴィナス『全体性と無限』「第四部顔の彼方へ「Bエロスの現象学」)。そこに、微分的な身体と言語が、アニミズムの詩の流動都市となる。「―こうして私はけふも/どうにか生きる。生きてゆく。/この影像を/ここへたぐりよせたから/祈るために✖️バッテンをつける」(「はるけき影像の火急なる顕現」)。岡田隆彦は、アルコールをたんと飲み、流露するシニフィアンの流れに任せる。時間と空間の遅延は、覚醒の事後性を招くと、現実界の朦朧とした世界から言語が言分けて現れる。「ゆるやかに紫がかってゆく樹林。/また同じ季節はめぐり/沈んだ風景のただなかに佇む。/こうして歳を重ねてゆくのか。/忘れたい愚行やあやまちの数々が/頭の荒野をかけめぐる。」(「また同じ季節」)。詩の世界は、自己の生と正面から付き合って劇化する、現実界から想像界を突きぬけた象徴界を表すものであった。しかし、詩の覚醒によって、生身の身体と精神の核は、絶えず、想像界と現実界に連れ戻されていた。「汝、よみがえるとき//こころを松果腺におけ。/いまに加えられている力をとくのだ。/くつろぐがいい。/魂の火を心の臓で燃やし、/松果腺の三角に押しつけるのだ。/しばらくそこを維持し眉間に移すべし。/細胞から酸素がうせる直前まで、/炎をばしばらく脳下垂体に保つべし。/隠して、記憶は持ちこされるならん。」そして、最後に岡田隆彦は書く。「時は流れ、ながれてゆく。/時に/岸なし。」(「よみがえる時に岸なし」)。
詩集『時に岸なし』は、いまだに理解ある言葉に恵まれないまま、今日に至っているのかもしれない。これにたいして、詩集『鴫立つ澤の』には、安堵の思いでこの詩集を読んだひともいるにちがいない。「表裏で響き交わす詩集」(杉本徹)といわれたふたつの詩集には、落差がある。山嵜高裕は、女性やニューヨークやヨーロッパの都市の「光景」から、ここに「郷愁」を読んだ。ふたつの詩集の同一性と差異に、晩年の詩人の心性の持続と分断の中心があることは間違いない。「光景」から「郷愁」へと時間の還流する『鴫立つ澤の』は、「疎開先の田舎で、/子供だったわたしは、/玉蜀黍のヒゲで/煙草を作った罰をうけ、/樟の大木に兵児帯で縛りつけられた。」(「茄子の郷愁」)にはじまる「郷愁詩篇 I 」、「ひとけのない叢の狭間を/けもののように通過してゆく。/この闇のなかの/ほの白む線は見たことがある。/地図にはないが、/漲りたぎる川があるはずだ、近くに。」(「叢の狭間」)の「郷愁詩篇 II」、「街かどで/現在と過去が行き交う。/騒音と声と動きが/光りながら/空間をふくらます。/この、まぎれもない今。」(「街かどで」)の「眼の歩み」、「しなる黐竿もちざおの先に/高い空が広がっていた。/ギンヤンマが消えたあたりに/獰猛な鳥が、いまも/大きく旋回している。」(「幼い光景」)の「鴫立つ澤の」の章から成る。
詩章の断片には、『時に岸なし』から大病後に大磯に居を移した転調と、生存の日々にこめられたポエジーが、身体感覚をリリカルに通過する。そこに、浜辺と水の顔貌性が顕現する
(以下略)