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仕事はじめに

2019.01.16 11:08

1月の月も半分が欠け、昨日がようやく仕事はじまりとなった。

年神様を迎えるにあたり、今年は例年よりも時間を要したためである。


改めて、明けましておめでとう。

年末年始と文章を書くのを怠っていたが、その間に考えていたことを纏め、年頭の挨拶としたい。


まずは、『明けましておめでとう』について。

この挨拶は人間に向けてではなく、年神様に向けて行われる。

だから、宇宙空間を太陽との関係において相対的に一周した人間は等しく明けましておめでとう、となる。

さて、年神は来訪神の一種とされているが、そもそも神様とは何であろうか。

『神様』という単語を検索すると「人知を越えて、人類に禍福を降す存在」と書かれている。

つまりは、禍福など人に影響を与えない存在は、神様ではない、ということである。

年神様によって今年がちゃんと始まった場合は、あなたには年神様が訪れ、今年がまだちゃんと始まっていない場合は、あなたにはまだ年神様が訪れていない、ということである。

では神様はどこにいるのであろうか。

それは本来、どこにでもある。

「人智を越えた存在」というのは、あなたのことでもある。

人類の先祖である猿人は約700万年前に誕生し、その系譜をたどっていけば、あなたの肉体が今そこにある理由は神様がいなくても証明できる。

だが、あなたという存在が今そこにいる理由は、人智を越えて存在し、そして、あなたという存在に最も影響する。

起きる事象は他の誰かによってもたらされることもあるが、人は誰かによってではなく、自らの禍福は自ら決定する。

だから、人はみな神様であるともいえる。


話は変わるが、年末に読んでいた書物に『労働とは贈与である』という記述があった。

この考えに、私はひどく共感を覚えた。

贈与的でない行為はたとえそれが富を生んでも労働ではなく、その行為が贈与的であればそれは労働となる。

贈与はまた贈与を生み循環する。それがあるべき労働の形であると私は考えている。


さて、今年のテーマは『環』である。

環とは端的にいうと、構造を持った円のことである。

万物は『環』の中にある。

我々哺乳類は酸素を吸い、ミトコンドリアの力を借りて体に必要なエネルギーを作り、不要となった二酸化炭素を吐く。

その二酸化炭素を昼間の植物が吸収し、太陽の光と炭素を蓄え、不要となった酸素を放出する。

宇宙全体にも環がある。

宇宙の原初では形のないエネルギーが熱を消失し、やがて物質が生じ、宇宙の塵となった原子は互いに惹かれ合い、やがて高密度の鉱物となり、数憶年をかけて消えていく。

資本主義という人間の経済活動はお金が廻ることで成り立ち、人間は体内で血液が回ることで生命を維持している。

あらゆる宇宙環境、地球環境、そして人的環境も『環』である。

人間の身体が不調になるのは、環が乱れるからである。

細胞は定まった分裂回数の後、アポトーシスとして自らを死に導く。

だが、細胞の誕生、そして再生、やがて死ぬという循環に逆らうと、細胞は癌となる。

血流の乱れは不整脈となり、体内そして体外に流れる気の乱れが人間の不調の因となる。

逆にいえば『環』を意識し正すことで、すべての流れは正常となる。

寒いときは服を重ね、暑いときは服を脱ぐ。

楽しいときは笑い、悲しいときは涙を流す。

あたり前のことをあたり前に重ねることが、環の源である。

今年は「労働」という輪をよりよく環(まわ)し、懸命に働いていきたい。