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アンティーク フェルメール

小さなコンパス二つ。

2024.11.07 08:40

小さなコンパス二つ(長さ 3 cm、2,5 cm)、イギリス製、1900〜20年頃。一応コンパスとして使えますが余り正確ではないので半分アクセサリー感覚ですね。このサイズのコンパスの古いのは少ないし値段も意外と高かったりします。アンティークのジャンルでもマニアックなほうです。

旅をすると本が増える。旅先で偶々見つけた書店や古本屋などでそのときの気分で一二冊買うことが多い。旅をしてるときに選ぶ本は日常生活で選ぶ本とその基準が少し違う気がする、日頃なら選ばないような本に手を出すときもあれば、前から探していた作家の本を古本で偶然見つけたり、取り敢えず電車の中で読めそうな本が欲しくて買ったり、切っ掛けは様々だ。最近も長田弘のエッセー本を買ったが、読んでいて、ものにもよるが何処か好きになれない気がする、もっともらしい内容なのだが自分もエッセーを書くので自然観る目は厳しい。まあ何時もの机で落ち着いて読めばその辺の違和感もきっと分析出来ると思う。それと今日は「日本の古本屋」のサイトで「我が死民ー水俣病闘争」という本を注文した、理由はこれに石牟礼道子さんがある文章を寄せているからだ。どうやら彼女は「水俣病患者紹介シリーズ」を書いてるらしいのだ。今、石牟礼道子さんと渡辺京二さんについての本を読んでいるが矢張り石牟礼さんは日本文学の近代作家の中でも完全な異端児である。彼女は若いときから歌を詠んでいた、歌人であったのだが、彼女の歌は凄い。例えばこんな歌、どこへなりともお連れになって下さいあの月がオレンジにくづれているから (「魂の邂逅」米本浩二 著、新潮社より抜粋)。こんな歌を歌われたら男は尋常ではいられないだろう。彼女の歌を読んでいると、昨今の歌人を自称するプチ有名人(よく雑誌とかに出てくる類)歌人のものはとても読めたものではない、と思う。まあ比較するのも可笑しな話しだが。

石牟礼道子さんがなんでノーベル文学賞を取らなかったのか、先ずの理由は英訳がないからだ、英訳のない作家は選考する人が読めない、だから選ばれる訳もない。カワバタやオオエは選ばれても石牟礼さんは有り得ない訳だ。彼女の代表作「苦海浄土」は英訳ないですよね、多分。誰かが英訳して出版すべきなのに。と言いながら今検索したら2003年にミシガン大学が学術書みたいな感じで出版していましたが今は入手困難みたいです、一度だけ少部数出版されたのでしょう。

保守的文芸評論家や研究者たちはきっと石牟礼道子さんの文学を認めたくないだろうと思う、それを認めることは先ず彼らの近代的価値体系の否定に繋がるからだ。石牟礼さんのことを考えていると僕は中上健次を思い出す、何処か共通点があるような気がしている。二人とも所謂インテリではない。僕はインテリは嫌いだ、僕も本ばかり読んでいるがもし人に、インテリですね、なんて言われたら終わりだ!