先師・兜太を悼む ①
片目にて笑む師の涙風光る
連想するのは 暗黒や関東平野に火事一つ の句です
暗黒や関東平野に火事一つ 兜太
宇都志国主千木高知りて 高資ー 金子兜太と一緒に栃木県 宇都宮市
戦後、関東平野が文字通り暗黒になることはあり得ません。かといって戦禍の中の火事を想像したのであれば一つではありえません。
下記のインターネット資料には「150年以上も前のもの」「実際に見ているのではなく 作者の頭の中,イメージです」「想像の句」などと紹介しています。
3つのインターネットでの解釈はいずれも この句は情景を描写したものではないと語っています。
自作ノートには「私は自分自身の〈自然〉を感受」すると記しているようです。
内側のエネルギーが句という形をとって飛び出してきた、自分のこれまでの体験が句として溢れ出てきたとも捉えられます。
この句が作者の内側の自然を語っていると仮定すれば、自分を抱き、守る山ひとつない、広大な、関東平野を闇が覆っている。その中で起きている火事という人的な悲劇。金子兜太氏の身を焼き尽くす痛みの体験を見ずにはおれません。
金子氏は戦時下の痛み、レッドパージによる痛みをバネとした 平和運動家です。活動の原動力となったその痛みこそ「身を焼き尽くす痛み」と表現されているのではないでしょうか?
句を解説するインターネット記事
この俳句は、今を去ること150年以上も前のものでしょう。現代では、夜は街々にともる電気の明かりで、上空の衛星からもはっきりと人の集中する場所がわかります。あるいは、文明の程度は夜の明るさの程度で測れる、そういう時代です。そんな150年以上も前、作者は人生に行き詰まり少し前から、知り合いの和尚がいる、昼間は関東平野を一望できる山のお寺のお堂にこもって参禅していました。深夜、小用で外にある便所に向かっていると、何やら明かりのようなものが、いつもは見えないはずの南の方角に見えます。なんだろう、首を伸ばして目を凝らすと、その小さな光は生き物のように、かすかに揺れています。うっすらと煙のような白っぽいものも見える気がします。火事だ。 そうだ!真っ黒な、まるで何も無いとしか思えぬ闇の世界でも、その下にはたくさんの人たちが、生きている! こうして作者は、どこにいようと、人の気配からはのがれられないこと、そしてその気配とは、お釈迦様の気配でもあるとということに気づき、翌朝、和尚に礼を言い、山を降りました。(Yahoo知恵袋の回答)
この作品は実際に見ているのではなく作者の頭の中,イメージです。しかし,そのイメージはあまりにも鮮明すぎます。広大な関東平野を夜の闇が包んでいる。その中で起きている火事という人的な悲劇。その悲劇が闇をさらに深くしています。当時,金子氏は関東平野の一端,熊谷から日銀本店まで 電車で通勤をする生活を送っていました。以下金子氏の言葉から 「こういうまったく想像の句を多作している。これは 関東平野を走る,真昼間の列車のなかでとびだしてきたもの」「現実に向って想像力がのびのびとはたらく時間に私は自分自身の〈自然〉を感受することが多い。」(http://studyenglish.at.webry.info/201207/article_28.html より)
酒井弘司著の『金子兜太の一〇〇句を読む』の解説は次のとおり(後半一部略)「初出は、「海程」昭和四十四年二・三月合併号。熊谷に居を移してからの兜太は、日銀本店まで電車で通勤をする生活に変わったが、それは、関東平野の一端に居をかまえ、関東平野を電車で通勤するという生活でもあった。通勤電車速度は、兜大の句づくりのリズムと合っていたのか、『俺の俳句は、通勤電車とトイレの中なんだ』といった話を、ときに耳にしたことがある。句帳は使わずメモ用紙に句を書いていた。この句について、兜太は、次のように書いている。(略)こういうまったく想像の句を多作している。これは、関東平野を走る、真昼間の列車のなかでとびだしてきたものだが、(略)この、現実に向って想像力がのびのびとはたらく時間に、私は自分自身の〈自然〉を感受することが多い。 (「自作ノート」『現代俳句全集二』昭和五二年立風書房・刊)ここで「想像の句」と書いているが、単なる想像の句と受け取ってしまってはいけないだろう。四季を通して、体内に蓄積してきた関東平野の夜景が、瞬時、句のかたちとなって再化されたのである。なによりも、この句、上句を「暗黒や」と大きく切って、下旬を「火事一つ」と体言で終止する。具体的な言葉で直裁に書いているところが効果的。関東平野は、兜大の故郷・秩父にも隣接するが、その広大な関東平野に、深く厚い夜の闇がたち込めている。その闇の彼方の一角に、夜空をこがして燃える火事。広大な暗黒世界のに一つ火事を発見することで、関東平野の空間的なひろがりと、闇のぶ厚さの質感を、あざやかに捉えている。」 金子兜太が傾倒した俳人は、加藤楸邨と中村草田男の二人であった。兜太自身の言葉ですれば、「楸邨氏を人間および句の師と考え、草田男氏を句の師と考えている」(「楸邨俳句の『人間』」「寒雷」昭和五三年三月)とし、兜太の「寒雷」の楸邨選のものには、この掲出句の「上五や切り」のものを目にすることができる。(http://yahantei.blogspot.jp/2005/12/blog-post_09.html より)
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この句を脇句の作者は宇都宮で詠まれたと紹介しています。 【宇都志国主千木高知りて 高資ー 金子兜太と一緒に栃木県 宇都宮市】;
そして、句は脇句の作者に手渡され、作者の所持品になっています。 何故でしょう?
金子氏は高資氏に自分と同じ痛みを見たからでしょうか?
高資氏にそんな痛みがあったのでしょうか?
それにしては楚々とした関係で、金子氏の句からは援助のエネルギーは全く感じられません。
高資氏の履歴を調べてみました。覚せい剤使用の有罪判決を受けていることが解りました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~. http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20121120124726145
■“俳人医師”に猶予付き有罪 覚せい剤取締法違反 (2012年11月20日) 【中日新聞】【朝刊】 「依存性は顕著」 「五島高資(ごとうたかとし)」の名前で俳人として活躍していた医師で、覚せい剤取締法違反(使用、所持)の罪に問われた宇都宮市の樽本高寿(たるもとたかひさ)被告(44)に宇都宮地裁は19日、「依存性は顕著」として懲役2年、執行猶予4年(求刑懲役2年)の判決を言い渡した。崇島誠二裁判官は判決理由で「被告は2005年ごろから覚せい剤の使用を開始した。責任を軽くみることは到底許されない」と指摘。一方で「勤務先の大学を懲戒解雇されて社会的制裁を受け、医業の停止処分が見込まれるなど酌むべき事情もある」とした。判決によると、樽本被告は8月23日ごろ、宇都宮市内の駐車場の乗用車内で覚せい剤を所持し、気化させて吸引するなどした。
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上の報道記事はブログ「波打ち際の考察 」から引用しました。「思ったこと感じたことのメモです。 コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。 波屋山人」とも記されています。http://blog.goo.ne.jp/ambiguousworld/e/25960a0ce1fef79ea8c1e4fb801f421c
ブログのタイトルは「有名俳人」です。単なる興味半分の噂話。執行猶予4年の刑期がとっくに終わっている今日、事件の実態も知らないままこんなブログを書くことが赦されるのでしょうか?人権侵害も甚だしいのではないでしょうか?
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インターネット上には類似記事が紹介されています。
;産経記事。
大学講師、覚醒剤使用の疑い
宇都宮東署 宇都宮東署は24日、覚せい剤取締法違反(使用)の疑いで、宇都宮市中央、自治医科大学医学部講師、樽本高寿容疑者(44)を逮捕したと発表した。調べに対し「脱法ハーブを吸っただけだ」と容疑を否認しているという。 調べによると、樽本容疑者は今月中旬から23日の間、覚醒剤を使用した疑い。同署員が23日午後10時20分ごろ、宇都宮市内の遊技場の立体駐車場に止めた車の中にいた樽本容疑者に職務質問し、任意で採尿して検査したところ、覚醒剤の反応が出たため逮捕したという。 自治医大企画広報課によると、樽本容疑者は平成13年4月に教員兼医師として採用され、18年4月から教養科目の文学を担当。現在は自治医大では医師として働いておらず、佐野市民病院で外勤として働いていたという。
;覚醒剤使用:容疑で俳人の医師逮捕−−宇都宮 毎日新聞
2012年08月25日 北海道朝刊
宇都宮東署は24日、自治医大講師の医師、樽本高寿容疑者(44)=宇都宮市中央3=を覚せい剤取締法違反(使用)容疑で逮捕したと発表した。樽本容疑者は「五島高資」の名前で若手俳人としても活躍していた。「脱法ハーブを吸った」と容疑を否認しているという。 同署によると23日午後10時20分ごろ、宇都宮市内の娯楽施設の駐車場で、車内に1人でいた樽本容疑者の様子を不審に思った同署員が職務質問。応答が不明瞭で尿検査したところ、覚醒剤の陽性反応が出たという。 容疑は今月中旬から23日ごろ、覚醒剤を使用したとしている。 自治医大によると、樽本容疑者は01〜06年、同大付属病院の血液内科に勤務。06年4月以降は医学部で、近代文学の講義で俳句を中心に教えながら、栃木県佐野市民病院に週1日勤務していたという。同大は「事実を確認して適切に対処したい」とのコメントを出した。【松本晃】
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しかしこれらの報道記事は矛盾に満ちています。
■ 自治医大講師の樽本高壽さんは 宇都宮のマンションに住んでいました。車でだと目と鼻の先ともいえる安全な自宅に帰ることなく、宇都宮市内のレジャー施設の駐車場で 何故覚せい剤を使用する必要があったのでしょう?
■仮に禁断症状があらわれて、どうしても覚せい剤を使用せずにおれないのであれば、自宅に帰って使用するのではないでしょうか?
■更に「交通ルール違反など犯しようもない駐車中」に職務質問など受けるのでしょうか?
■しかも午後10時20分。真夏といえども暗い夜。まさかライトをつけて不審行為をするでしょうか??
■職務質問。応答が不明瞭で尿検査???樽本高壽さんが車から降りて、連行され、尿検査を受けることに何故、同意したのでしょうか?
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南裕さんの催眠療法のセッションを受けたことがあります。その時、多分、メキシコだったと思うのですが 一人の男性に医者の霊魂が憑依し、エーテル注射で難病奇病を治していく映像を見ました。 憑依の治療は祈りの儀式から始まります。治癒を求める人々の長蛇の列!!!その人々をエーテル注射で癒していくのです。肉体と重なるエネルギー体をエーテル体と呼ぶように、エネルギー体のバランスが回復され治癒が起きるのかと思っていました。
樽本高壽さんも身体の不調を治すため、エーテル注射を常用していたと聞きます。 エーテルは揮発性ですから、匂いが漂うことになり、もちろん尿にも溶け込んでしまいます。事件がエーテル臭を嗅いだ誰かによってでっち上げられた出来事のような気がしてたまりません。
心を空にして、句を感じてみることにしました。
毘盧遮那の涙は胸へ秋の風 高資
仮に自分が金子氏と同じレッド・パージに合った平和運動家だったとします。自分の弟子に「闘争するべきプチブルの青年」、「しかもホワイトカラー中のホワイトカラー、医学博士としての才能が評価され、俳句の世界でも能力を発揮している青年」がいるとすれば・・・・
有能な彼のプチブル根性を叩き直し 師と祈りを共にしてほしい、真実の意味の弟子になって欲しいと自然に願ったことでしょう。「師と弟子はひとつ」と言われるがごとしです。愛の鞭を振るったかもしれません。
もし愛の鞭が振るわれたとしたら?
覚醒剤剤使用がでっち上げの事件だったとしたら?
罠にはまった樽本高壽さんは、強い怒りに駆られたことでしょう!!!
強い怒りは 茫然自失、記憶喪失、極度の場合は発狂すら引き起こします。
矛盾に満ちた出来事が目の前で展開されても、それを指摘する力など皆無の状況であったと考えるしかありません。
だから彼は死を願った!!!
苦しみ続け、左目から光が消えていった・・・
怒りと絶望を押し殺し、現実を見ない右脳人間として命を繋ぎ続けた・・・・
この句を受けた脇句の作者は
宇都志国主千木高知りて 高資
身を焼き尽くす痛みを味わいながら 破れと不条理に満ちた世界を寿ぎ詠うというのでしょうか?
オノヨウコさんの【「Bless」=祝福 相手に祝福を送ることは、 自分に祝福を送ることと イコールなんだと思います。 】という言葉がリンクします。
昇る日や千木高知りて緑さす 高資
緑蔭や千木に溢れる日の光 高資
ジョンレノンを撃ち殺した犯人は、 次に照準をオノヨーコに合わせ 引き金をひいた。 「あの日、ジョンが撃たれたすぐあと、 こちらに向けて弾が飛んでくるのが見えました。 本当に一瞬のことでしたが、 弾が向かってくるのが見えたんです。 横にずれていたから私には当たりませんでした」 オノヨーコさんは、 1980年12月8日、 あの日のことをこう回想しています。 当時は、ふたりで多くのを語ったベッドにひとり横になると、 涙がでてくるばかりで、立ち上がる気力すらもてなかったそうです。 ごはんも喉を通らない。 しばらくはジョンが好きだったチョコレートしか口にすることができなかったとか。 それまではオノヨーコさんはチョコが大嫌いだったのに……。
ジョンレノンが亡くなったあとの オノヨーコさんのもとには、 追い討ちをかけるように、いろんな人がイヤなことを言ってきたそうです。 でも、ここはなんとしてでも耐えないといけない。 息子ショーンのことを思うと、 「絶対に生きながらえなくてはいけない」と思えた。 しかし、前へ進もうにも、 彼女の足をひっぱろうとする人たちが多数で、 どうにもこうにも動けない感じだったんだそう。 このままでは自分がだめになってしまう…… そんな精神的にギリギリのときに始めたのが、 「Bless」だそうです。
「 Bless you, Jack Blessyou Norman, Bless you Fred……」 夜ベッドの中で、頭に自然に浮かんだ名前を「Bless」していくのです。 「Bless」=祝福です。 「おかしなもので、口をついで出てくるのは私に対して 嫌がらせや誹謗中傷をしている人たちの名前ばかりでした。 『なんでこんな嫌な人たちばかり祝福してるんだろう』 と思いながらも続けました」 すると、1週間ほどした頃、 気持ちに変化が現れたとか。 嫌がらせをしたり、 自分を傷つけようとした彼らに対する恨みが薄れてきたのだそうです。 すると、同時に不思議なことが起きた。 攻撃していた人たちが忙しくなったり、 彼女に向けられていた嫌がらせの矛先が鈍ってきはじめたのだとか。
「その出来事の中で、ひとつ気づいたことがあります。 『私の体をメチャメチャにしていたのは、自分の中にある恐怖や怒りなんだ』 ということです」 「Bless」 人のために祈っていたつもりだったけれど、 自分の中にある恐怖や怒りを追い払うことだったんです。 「Bless」=祝福 相手に祝福を送ることは、 自分に祝福を送ることと イコールなんだと思います。 わだかまっている人がいるなら その相手に 1週間、祝福を送ってみよう。 それは自分を祝うことになります。 Bless you 出典music.yahoo.com 出典 「今あなたに知ってもらいたいこと」オノ・ヨーコ http://amazon.co.jp/o/ASIN/4344017668/nicecopy-22
しかし宇都宮東署はなぜ 上記の矛盾に満ちた発表をしたのでしょう??
署の悪意からのでっち上げ犯罪だとしたら 読者が矛盾を感じない発表にしたはずです。
しかも矛盾だらけの発表に関して告発された樽本氏はなぜ黙したままなのでしょう?
金子氏は 樽本氏に自分と同じレッド・パージの痛みを観たのではないかと推測しました。
もしかして 金子氏が社会的に追放するところまで 愛弟子を追い込んだのでしょうか???
言葉を換えれば 金子氏が虚偽の通報をしたか あるいは 愛の鞭のつもりが 社会的追放にまで至り、その結末に対して 手をこまねいて 何の責任も取らなかったということです。
樽本氏の反論がないということは通報前に「極度の怒りに錯乱状態になるほど 集団リンチのような 精神的に追い込まれる何かがあったということです。
仮に金子氏が虚偽の通報をしたとしたら 「愛弟子のプチブル志向を 改めさす」愛の鞭などどこにもなく、許しがたい 復讐行為を行ったと言えます。
もしかして金子氏以外の 誰かの通報があったとしたら??? 「極度の怒りに錯乱状態になるほど追い込んだ現場(集団リンチ)」に立ち会ったものの一人に悪意があったとしたら???
その誰かが 警察署の絶大な信頼を得ているものであったとしたら??
【あの岡田忠彦の曾孫】という元警察官の評の言葉が脳裏をよぎります。
https://ameblo.jp/ranyokohama/entry-12455674482.html
しかも岡田忠彦氏は笹川良一氏と深い関係にあります。
https://ameblo.jp/ranyokohama/entry-12455882491.html
【モーターボート競走法の成立と東京都モーターボート競走会の設立】
辻村麻乃氏のハンドサインも気になります。
2017年の1月俳句大学句会では普通のVサインが2017年3月の句会ではコロナサイン。
以後ほとんどがコロナサインをしています。
2017年1月から3月の間に クラブ33に入会できたとは考えられないのでしょうか?
しかも彼女の句に含まれた蛇苺はLamia(ラミアー)を連想させられます。
るんをめぐって クラブ33=クラブ笹=クラブ篠 ご参照ください。
それにしても感性の鋭い金子氏が 愛弟子を追い込んだ「悪意の通報者」に気づかないでおれるのでしょうか?
仮に気づいても 特高まがいの自分の行為を 公にすることを恐れて黙視したということでしょうか?
こんな疑いを身近な誰かに持ってしまったとき 私たちはどうすればよいのでしょうか??? 直後であれば本人に確認するのが良いのでしょうが........ 「過去と相手と出来事」を変えることはできないというのは鉄則ですが変えることができるものがあります。 自分の在り方、認識の仕方です。 考えられる可能性は 犯人捜しの無駄なエネルギーから自らを解放する。(金色のバラ) 事件を引き起こすことで得たメリットを考える。 自分がそのころ 何を感じ、何を望んでいたか振り返る。 傷ついたインナーチャイルドをねぎらい、慈しみ、癒す。(虚空のワーク) そうするとエネルギー的なつながりが精算できるのではないでしょうか?