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24年目の朝

2019.01.16 22:51

おはようございます。

見方、考え方が変われば人生が楽になる、

女活応援家の北山です。


阪神淡路大震災から24年が経ちました。

たいてい、震災の時間起きていますが、

今日は寝ていました。

と、いうのも、前回の投稿の時も割とギリギリの状態だったのですが、

あのあと大変なことになりまして…。

今かなり状態としては良くなったと言えますが、ずっとベッドの上です。

この話はまた体力があるときにするとして(笑)

今日は、阪神淡路大震災の話。

地震大国に住みながら、私たち日本人は、

それに合わせて耐震性も考えてるし、

大きなことは起こらない。

阪神淡路大震災が起こるまでは大人含めてそう考えていました。

それが全て覆されたのがあの日です。

私は震源地のなった淡路島が近い姫路市に住んでいて、

当時マンションの5階の間取りの中では真ん中の部屋でした。

高校1年だった私は、あの日なんだか眠れず、

ワープロで文章を打っていて、

揺れが来ました。

1回目の揺れの後の大きな揺れに慌てながら机の下に潜りました。

揺れが止まった後、テレビをつけても、

どこも地震のことをやっていなくて、

孤立感が凄かったのを覚えています。

周りを見ると食器棚の中はぐちゃぐちゃ。

重くて動かせないような、大きな食器棚が。

飛び起きてきた家族も慌てています。

でも、相変わらずテレビではにこやかに、

なごやかに話をしていて、全く地震のことはわかりません。

地震から2時間ぐらい経ってようやく地震の速報が入った、そんな記憶です。

学校へ行くと来ている生徒は3分の1ぐらいだったでしょうか。

もっと少なかったかもしれません。

ほとんどが電車通学で、神戸から来ている子も居ました。

自宅待機になって家で観る映像は、

地獄絵図でした。

高速道路は横向きに倒れていて、

東灘区は燃えています。

親戚が住んでいるはずの地域も火の海でした。

不安しかない。

そんな日でした。

あれから耐震関連の事も色々変わり、

それだけ大きな震災だったのだと痛感されます。

あの日、またあの後の避難生活で

命を終えられた皆様のご冥福をお祈り申し上げます。