藺草慶子さん句集『雪日』
https://sekiya-ichirou.hatenablog.com/entry/2024/11/07/222009 【【読む】藺草慶子句集『雪日』 大堀剛 師匠のご家族との旅行会】より
藺草(いぐさ)さんを知っている人は少ないかな。中学校の教員を勤めながらも以前学大の博士課程に在学していたのだけど、途中で退学してしまったし山田研究室に所属しながら学大にいたのは短期間だったからネ。学大に来るまえから俳人としても認められていた人だったので、研究よりも実作に戻ったということかな。最新の『雪日』は第5句集だそうだけど、第4句集に続いて今度もいただいて恐縮しているのはボクには俳句など分からないからだ。藺草さんの指導教員だった山田有策先生は若い頃から(?)句作も含めて関心があったようだけどネ(自称代表作を聞かされたことがあったけど駄句だったヨ)。ともあれ藺草さんは第4句集まで俳人協会新人賞や星野立子賞などを受賞している、けっこう知られた俳人らしい。
本の帯には次の句が提示されている。
水渡り 来し一蝶や 冬隣
近代文学をやっているとデジャビュ感があるよネ、有名な安西冬衛の短詩「春」が重なって想起されるのは致し方ない。
《てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った》(仮名遣いは正確を欠いているかも)
「てふてふ」の「て」が蝶を横から見たシルエットを、「ふ」が正面からの映像を思わせてスバラシイ。季節は逆ながらも蝶や水(海)を渡るという語や想の類似は否定しがたい。俳句の世界では類想に神経質にならないのかどうかは知らないけど、「春」を知っている身には気になってしまうよネ。俳句に無知なせいか、『雪日』を開くと
みな一人かうかうと月さしわたる
開け放つ根本中堂野分晴
などは何となく類想が湧いてくる。
でも冒頭の《狐火の映りし鏡持ち歩く》や第3句《花粉なほこぼるる菊を焚きにけり》は新鮮な印象を受けたネ。
新鮮といえば、というより斬新さに驚いたことがある(ヒグラシゼミの常連だった)大堀剛さんの句の衝撃を忘れない。斬新過ぎて記憶できてないけれど、2度カン違いを指摘したことがある夏井いつきさんが高く評価してくれた時は嬉しかったネ。藺草さんと大堀さんとがお互いどう評価しているのか聞いてみたい気がするネ。パン君がメールで「我が宗匠」と呼んでいた大堀さんは、仲間うちでは「宗匠」として俳句を指導しているらしい。入門を志願している人がいれば、大掘宗匠に紹介するヨ。
@ ついでながら10・11日は亡き師匠のご家族(奥さまとご長男)との旅行会で、馬籠に行ってくるヨ(初めて)。師匠は藤村の専門家でもあるのに奥さまを連れて行ったことがないと聞いたので、今年の旅行会の行先はすぐに馬籠と決まったヨ。
https://hoshinotatsukoprize.jp/archive/archive-66/ 【星野立子賞】より抜粋
星野立子賞受賞 藺草慶子氏
『櫻翳』
大好きな千鳥ヶ淵の桜が咲きはじめたこの季節、この場所で、尊敬する星野立子の名前を冠する賞をいただくことができて大変光栄です。1週間程前、鎌倉の立子のお墓にお参りしてきました。私は、立子のように天才タイプの作家ではありません。でも、誰に言っても羨ましく思われることが一つあります。それは俳句に関するご縁です。20代では山口青邨先生、黒田杏子先生、斎藤夏風先生、古舘曹人先生との出会いがあり、初学の頃から結社をはじめ、木の椅子句会、ビギンザテンなどで学ぶことができました。30代からは、今「星の木」でご一緒している大木あまりさん、石田郷子さん、山西雅子さん。そして深見けん二先生、八田木枯さんなど、たくさんのご縁に恵まれました。多くのご縁とご恩に心から感謝しております。
前の句集から13年。この間は、家族や自分の入院、手術、介護などが重なった苦しい時期でもありました。また、平成23年には東日本大震災がありました。衝撃でした。一瞬にして全てがなくなってしまうことを観念ではなく実感しました。何より自分の無力さと言葉について考えさせられた出来事でした。もう一度句集を出したかった、とその時思いました。
今回の句集のあとがきに「言葉はどこまで届くのだろう」と書きました。拙い私の俳句、そのかそけき声を聞きとめ、受け止めて下さった審査員の先生方に改めて御礼申し上げます。立子賞の名に恥じないよう、精進して参ります。誠にありがとうございました。