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大自然の循環の中に生きる全てのものへの祈りの心をもって作句していきたい。

2024.11.08 09:27

Facebook能村 聡さん投稿記事

『センス・オブ・ワンダー(The Sense of Wonder)』の薦め

ー「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない(再々投稿)

こんばんわ。日々、秋が深まり木々の葉が色づき始めてる季節。森の稔りへ来る鳥たちの美しいさえずりが、恋の歌に聞こえます。

日々の忙しさに振り回されがちで、身の回りの自然の美しさに気づかず、日々を暮らしている人たちのなんと多いことでしょう。残念なことです。

今日は私の環境やエコロジーに関する活動の原点担った本を紹介します。

レイチェル・カーソン女史は、1962年に著書『沈黙の春』で農薬や化学物質による環境汚染や破壊の実体に、いち早く警笛を鳴らしたアメリカの海洋生物学者です。

『センス・オブ・ワンダー』は、レイチェルが幼い子どもと一緒に自然を探索した体験をもとに書かれたエッセイで、子どもたちと自然の中に出かけ、神秘さや不思議さに目をみはる感性を育み、分かち合うことの大切さを伝えています。

書名は直訳すると、不思議(驚き)という感覚です。

・・・大切なのは、まず「感じるこころ」を育み、輝かせること。

そのために、美しさ、神秘さにあふれる自然に入ってみよう・・・と。

レーチェルは「「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない」と語っています。

さらに「美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。

そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなに大切であるかわかりません」と続けています。

まさに今の教育に欠けていて、ほんとうに求められているエッセンスではないでしょうか?

*センス・オブ・ワンダー:レイチェル・カーソン 著/上遠恵子 訳/新潮社/1,400円(税別)


Facebook津留晃一の世界投稿記事  観察者

地球には地球人というひとりの人間意識が存在します。人類の集合意識とも呼ばれています。

「自分こそがそのひとりである」と考えると、とてもわかりやすい宇宙観が開かれてきます。

あなたの世界は「あなたの思った通り」の世界として立ち現れてきます。

世界はあなたの「思っている通り」に現れます。あなたの思っていることがあなたの世界です。知っている通り、信じている通り、想像している通り、ということです。

そこで自分が何を思っているのかに気付いている事が大切です。

しかし我々は、「思い通りにしよう」と考えます。

「思っている通り」に現れるというのに、「する」事に意識を向け続けています。

「思い通りにしよう」と考えている時は、今は思い通りではないと思っています。

ですからその思い通りになるわけです。具合が悪いから治療しようと考えます。

ですから具合が悪いという思いが、具合の悪い明日をまた創ります。

すなわちあなたが遂げたいと欲している思いは遂げられません。

日本の昭和期以前は、まだ思いの力よりも行動の力の方が現実を生みだすエネルギーが

強かったのですが、平成に入ってからその力のバランスが逆転しました。

すなわち行動の力よりも思いの力の方が強くなってきたわけです。

これからは年を追うごとに想念の力が行動の力を凌駕していきます。

このレポートの読者のような時代の先駆者の方々にとって、創造の年が始まります。

思いがストレートにそのまま現実を創ってしまうという時代の始まりです。

これまでも、もちろんその通りであったわけですが、そのスピードが一段とアップしたようです。どうぞ思いを遂げようと努力するかわりに、自分の思いそのものを変えてみようと、

その方向に意識を向けてみて下さい。

何故なら思っている通りが世界であり、思っている通りが自分なのですから・・・。

まず自分が何を思っているのかに注目してみて下さい。

我々は自分の望む現実を手に入れたいという欲求に比べると、自分が何を思っているのかという事にはいたって無頓着です。本当はそれこそが重大事であるというのに。

これまで長い間、思ったことが実現しなかったのですから無理もないことです。

もうすっかり人類は思うだけではだめであるという固定観念を立派に創り上げました。

行動しないと何の価値も無いという価値観を育て上げました。

そしてあなたである地球の集合意識は、もうこの体験は充分にやりつくした、想いが実現するのには時間がかかるのだという体験はそろそろ終わりにしようと決めました。

地球人の意識は我々の見ている夜空に反映として映し出されます。

1979年に冥王星が海王星の軌道と交差して海王星の内側を回り始めました。

それまで平行宇宙として活動していた惑星が交差して、閉じられていた地球人の意識が

反転して開かれていく準備を始めたわけです。

再度冥王星が海王星の軌道の外へ出る1999年に、我々はこれまでのぞき込んでいた

ブラックボックスからきびすを返し、我々の背面側にあった真実の自分を発見していくことになります。

そして冥王星が海王星の内軌道を回る20年の真ん中である1989年に昭和天皇が崩御し、年号が平成に変わりました。

日本で総ての価値が平らに成る平成時代が幕を開けました。想いの力が行動の力を越えた瞬間です。どう想いを変えればいいのかと考える前に、その事はいったん脇へ置いて

「思っているとおりになる」という事に意識を向けて下さい。

立ち止まって、ゆっくりと時間をかけて、ただその事に意識を向け続けてみて下さい。

何かを期待せずに「思っている通りになる」とは・・・。

どうぞ実際に今やってみて下さい。

自分は一体どんなことを思っているのだろうかと。

「自分の好きなことばかりやっていたら生きていけなくなる」と思っているかもしれません。

「自分は意気地がない」と思っているかもしれません。

彼女と仲良くしたいと思っている。人に迷惑をかけたくないと思っている。

そんな一つ一つをぜひ紙に書き出してみて下さい。

そしてそんな一つ一つが「もうこんな思いは必要ない」と思えた時、あなたの現実の一つ一つが変わり始めます。

仕事を辞めても生きていけると思えないだろうか・・・。

「そうだ、辞めたって生きていけるじゃないか」と思えたとき、そこから現実は変わり始めます。

望む現実を創るとは、望む自分を創る事です。あなたが望む者になれば、その反映として、あなたの現実という鏡が、あなたの望むものそのものになってくるわけです。

その逆はあり得ません。今後ますますその事が顕著になってきます。

あなたの望む自分とはどんな自分なのでしょうか。

じっくりと、輝かしい自分に意識を向けてみて下さい。

そこに教え込まれた価値観を持ち込まないで下さい。

本で読んだ知識に基づくのではなく、誰か偉い人の言った事に基づくのではなく、

今、自分自身でその事に意識を向けてみて下さい。心から自由に・・・。

地球には自分一人しかいないという前提に立って意識を向けて下さい。

「私はどんな自分でありたいのか」過去のどんな束縛からも離れて、ただその事に意識を向ける時間を割いてあげて下さい。

意識を自分の内面深く降ろしていきます。自分の意識を無限遠点の自分の中心にまで持っていって下さい。意志の力を使って下さい。

物質に向けている意識を絶えず自分の内面に向かわせて下さい。

深く、もっと深く、意識を中心へ中心へと持っていきます。その事に自分の思考を使って下さい。考えるのではなく意識の方向付けに思考を使って下さい。

内なる目で、内なる世界が見え始めるまで。

ですが見る本体であるあなた自身を見る事は出来ません。

ですから見る主体であるあなたは見られる者です。

あなたは自分を見るという行為を通して、自然に観察する者であるあなたの本体と合流していきます。どうぞ自分を見続けようと決めて下さい。

自我のとる一挙手一投足を観察して下さい。自我の発する想念を見張って下さい。

自我に生起している細やかな感情の動きを見張って下さい。

自我は絶えず何かを考え、頭を働かせています。四六時中発する自我の想念を見張り、瞬間も逃さず気付き続けていると、あなたの意識は「今この瞬間」という宇宙の中心とぴったりと重なって存在し続けることになります。観察するとは今にい続けるということです。

たえず観察者の位置にいるあなたは、判断のないあなたとなります。

あなたの内なる神である真の観察精神には、良いとか悪いという事を判断する為の基準である

価値観がないからです。

怒り狂っているあなたの内にいて、穏やかさそのものの自分を感じ始めます。

不安にさいなまれている自分の内にいて、平穏そのものの自分を発見します。

恐怖におののいている自分の内にいて、静けさそのものの我が現れてくる事でしょう。

わき上がってくる自分の想念を見張って下さい。片時も忘れずに。

どうぞその事に努力を払ってみて下さい。

何かを手に入れようと努力するかわりに、何かを克服しようと努力するかわりに・・・。

何かが出来るようになる努力をしているのなら、その代りに想念観察に意識を向け続けて下さい。この努力は必ず報われます。

とても不思議な感覚を持って。「どうしてなのだろう、最近のこの幸せ感は」、

「どうしてなのだろう、前はあんなに気になっていた事が今回は全然気にならない」と、

こんな感想をつぶやく日がきっとやってきます。

考えを変えればいいという結論だけを先取りする自我意識は、すぐに「ではどう変えればいいのだろうか」と考え始めます。まだ「想いが簡単に実現するはずがない」という思いを心に抱いたままだというのに。そんな状態でどんなに今考え方を変えてみたところでどうにもなりません。まず、変えようと考える前に、自分がどんな思いでどんな現実を創り出しているのか、その実態を知って下さい。

観察すればするほど、自分の思いが自分の現実を創り出していることが実感でき始めます。

充分に実感してしまえば、考えは自然に変わってくるものです。

変えようとしなくても変わってきます。今、会社が赤字で困っているとしたら、その事はいったん横へ置いておきます。赤字を何とかしようという考えからいったん離れてみるわけです。

その赤字はあなたの思いによって創られました。

あなたはその前からもっと良い会社にしようという思いを持っていませんでしたか?

自分の会社をあまり良い会社であるとは思っていなかったはずです。

すなわちあなたは、自分の会社が良い会社ではないという思いによって赤字化させているわけです。「家族はもっと仲良く」と思っている人は、必ず家庭内不和を抱えているはずです。

「子供の思う通りに育てよう」と思っていた人は、きっと今わがままな子供に手を焼いていることでしょう。妻とはこうあるべきだと、まずご主人を第一優先にと考えて嫁いできた奥さんは、きっと傍若無人なご主人に手を焼いておられるはずです。

自分の初めの思いを変えない限り何の問題も解決しません。

そんな役に立たない思いこみをこそ変えてみる時です。今後年を追って、月を追って、

想いがそのままス トレートに現実化するという時代へ流れ込んで行くからです。

想念観察を続けていると、やがて自我とはっきりと分離したもうひとりの自分を感じてきます。自我には欲求があります。その欲求こそあなたを動かしているエネルギーです。

あなたを行動させている源です。欲求はあなたの個性のデメリットサイドへの意識の固定化によって生じます。

一つの性質には裏と表の二面があります。この事に例外はありません。

この地球であなたが感じることの出来る全てに、その反対面が存在しています。

あなたの個性のマイナスサイドにのみ意識が向いている時、そこに欲求が生じてきます。

その欲求にしたがって行動していくとその行動は当然永遠に満たされません。

デメリットサイドは脇に置いていて下さい。その反対を探して下さい。

そこにある長所部分に着目して下さい。メリットサイドに意識が固定化してしまえば

やがて欲求は消えていきます。あなたはあなたの個性を変える必要はありません。

変えたら変えたなりにその個性のデメリットサイドを発見するでしょう。

あなたのすることは、今の自分の性質のメリットサイドを発見することです。

そしてそのメリットサイドに意識を向け続けて下さい。

あなたのすることは意識を向けていく方向を選ぶことだけです。

そうやってみても、どうしてもマイナス面に意識が向いてしまうという人は、そこに他人から思い込まされた固定的価値観が潜んでいます。

そんな場合には、本当にその価値観が自分にとって必要かどうかを検証してみる必要があります。欲求のあるところに自我が残ります。欲求はマイナスサイドへの意識の流れです。

欲求の追求がこの物質世界を存続させている力です。

欲求があったらそれを満たしてやろうとする前に、その原因を探ってみて下さい。

たとえば家族と仲良くしたいという欲求があったら、不仲である事のメリットを探してみます。きっとたくさん発見できるはずです。

不仲のメリットを多く見つけられれば見つけられるほど「仲良くしなくては」という思いが消えていきます。欲求がきれいに掃除できた時、あなたは真の観察者となります。

真実の観察精神となります。

混迷をきたした時には「宇宙はたえず進化の方向へ流れている」という言葉を思い出して下さい。それがとても強力な精神安定剤となります。

あなた一人がその宇宙の法則からはずれるという事は不可能なのだと感じてみて下さい。

今のあなたの困った状態は、進化の方向へ流れていく結果だという事を知って下さい。

そう思えた時、あなたの世界は困らない状況へ向きを変え始める事でしょう。

宇宙は自分の思っている通りに立ち現れるという事を思い出して下さい。

結果を求める人から、原因を探る人へ。行動する人から、見ている人へ。演じる者から、

鑑賞する者へ。対処する人から、 思っている事を変える人へ。求道者から、 存在する者へ。何かを追い求めたり、成就を指向する者から、観察者へと変わります。

いつの間にか自由な神としての自分と出会っている事でしょう。