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いせはら観光ボランティアガイド&ウォーク協会

New!実蒔原古戦場と七沢城址ウォークの記録

2024.11.08 10:00

11月7日(木)、見事な秋晴れの中、実蒔原古戦場と七沢城址のウォークを開催しました。集合したときは少し肌寒いくらいでしたがバスを降りて、いつものように体操を始める頃には、風もなく、なんとも気持ちのよい気候に。

参加者の皆様からも「今日のウォークは最高」という声が早くも聞こえてきました。

先ずは役員の知人の方の空地をお借りしての体操です。実はこの辺りが実蒔原の古戦場です。しかし、見事な田園風景からは関東三戦の一といわれている【長享の乱】の場所といわれてもイメージがわきません。

そこで、観ボラ役員による紙芝居が行われました。太田道灌が君臨したという設定で進みます。

太田道灌により語られた、扇谷上杉定正vs山内上杉顕定の争いやその後の結末はとても興味深く、皆さん聞き入ってました。

イメージがわいたところでウォークの開始です、その前に大山を背景に全員で集合写真です。

実はこの場所、大山の眺めがよいと評判の場所です。

3つの班に分かれて古戦場のウォーク開始です。

ほどなく最初の休憩場所 自然環境保全センターへ到着です。

せっかくの機会なので、館内の展示も楽しみました。

途中、七沢神社遥拝所前で神社の説明を聞きます。

七沢神社は鐘ヶ獄の山頂にあり、上杉定正の居城となった七沢城への合図のために鐘が置かれていたとも言われています。遥拝所とは「遠く離れた場所から拝む」と言われているので我々も下から拝み、城址へ向かいました。

七沢城は室町時代の中頃(1450年)に建在してたと伝えられています。

城の中心は現在の七沢リハビリテーテーション病院脳血管センターがたっている部分と思われます。

七沢城は中世の山城であり、江戸時代のような天守閣を備えた城とかかなり違ったものだったようです。

七沢城址を後にし、福元館へ向かいます。

ここ、福元館の離れに昭和のプロレタリア文学を代表する小説家 小林多喜二(1903~1933)が滞在し、執筆されていたそうです。)

いくつかの温泉旅館の間を抜けて、次に向かったのは元湯「玉川館」の庭内です。

明治時代に創業されたこの旅館は、大正期の詩人、童謡作家の中村雨紅をはじめ、数々の著名人に愛されました。(小説家山本周五郞やのらくろで有名な漫画家田川水泡など)

現在もドラマや映画の舞台となっているというだけあり、とても風情のある場所でした。

さて、ちょうどお昼の時間になりましたので、このあとは昼食休憩の県立七沢森林公園に向かい昼食休憩です。

秋晴れの中の外ランチはとても気持ちよかったです、紅葉は少し色づき始めてましたが見頃はもう少し先になりそうです。

昼食休憩の後は、馬場リハビリバス停まで向かい、解散となりましたが、バスの時間まで七沢食の市に立ち寄りました。新鮮な野菜が目に入り、みんなで山ほどお買い物をしました。

丁度この日は七沢の7の日の特売日でもありました。今日のコースすごい楽しかった!という参加の皆様の感想も聞けて、秋晴れのウォークは終了となりました。