行商のお知らせ。
2019年1月22日(火)から1月30日(水)の期間、やわい屋は飛騨を飛び出して、氷見市にあります『まちと料理を楽しむための海辺の小さな宿HOUSEHOLD』にて行商を行います。
毎年、冬季営業中には東京で「やわい屋と営み」というイベントをさせていただいていたのですが今年は諸事情で未開催となりましたが、嬉しいことに友人の営む大好きな場所での開催が決まりました。感謝感謝です。
『HOUSEHOLD』は海辺に佇むちいさなビルを笹倉夫婦が買い取ってリノベーションして始めた小さなお宿です。ぼくはなんだか初対面の時から笹倉夫婦のことが好きで(実はそんなことはめったにありません)絶賛リノベーション中のHOUSEHOLDの写真を見ながら「あぁ、きっといい空間作るんだろうなぁ」と感じていました。いい空間というのは「技術」がすごいとか、「お金の使い方」がうまいとかじゃなくて、施主と場所とそこにいる時間が混ざり合って「ちょうどいい」と感じられるかどうかだと僕は考えています。なかなかないんですよ。自分にとっての「ちょうどいい」は。
現代は不思議な時代で、おしゃれなことやわかりやすいことを作ることに、昔ほど時間や労力がかかりません。インターネットに噛り付いて情報収集して1ヶ月もかけたら面白い人や場所とすぐ繋がれてしまうんですから、もはや面白くなりようがありません。それに、ぼくらのような小さな営みだったらSNSの告知だけでイベントの定員は埋まります。しかも、毎回ひとりかふたりは始めましてのひとが参加してくれるのです。ほんとうにありがたいことです。文明社会万歳。だけど、だからこそ「わかりやすい」「おしゃれ」なことは増えすぎて、そういうことには魅力を感じなくなってしまいました。「デザインの陳腐化」と呼んでいます。平均を取っていったら誰も心揺さぶられないところに着地してしまった、そんな状態です。
『手探りではあるけれど、自分自身の生活の実感をひとつひとつ確かめながら暮らしている夫婦がいます…』哲学者の鞍田崇さんが、確かそんな風にぼくらのことを紹介してくれていました。なんだか同じことをHOUSEHOLDのふたりにも感じます。ぼくらのあり方は、分かりやすかったり、大衆の要望に応えるものではないです。多分ぼくらが聞いているのは大衆の声ではなく、自分と自分が大切だと信じてやまない関係性の間で発している「声なき声」です。比べる対象のないことだからとても頼りないものとして映るでしょう。でもそれでいいんです。地域の為だとか、社会を変えるとかそんなことはやりたいひとがやればよくて、僕らにとっては日々の営みの中にあるしょうもないことが、自分の中の「地域性」であり「社会性」です。正しさでは人は幸せになれません。
理想の街を作ろうとインフラを整備したって、そこで喜んで営む人がいなければ街にはなりません。新興住宅地や公団の現状はぼくらにそれを教えてくれます。優れた宗教者の築いた集団ですら内部分裂しいがみあっている姿をぼくらは横目で見てきました。営みとは「用意されたものをうまく利用すること」ではなくて、生活者の側から自ずから沸きあがってくるもっと凸凹なもののはずです。それは遠くから見てわかりやすい張りぼての御殿ではなく、ちいさく質素な庵のようなものです。一見みすぼらしいけど実は深くまで強い根を土地にはっている。そんな営みです。
話がそれました。なんというかうまくまとめられませんがHOUSEHOLDはとてもいいところです。そんなところで一緒にイベントできるなんてぼくらは幸せものです。幸せだから遊びに来てください。
~以下HOUSEHOLDの笹倉夫婦のコメント~
岐阜県、飛騨高山にある「やわい屋」さんが2019年1月22日(火)から1月30日(水)の間、行商にきてくれます。行商期間中は2Fのgalleryにやわい屋さんの商品が並びます。
やわい屋の朝倉くんとは2年ぐらい前に、飛騨高山の飲み会ではじめて会話を交わした。その時は夫の圭一くんだけで佳子ちゃんはいなかったけど、話の周りから朝倉夫婦が仲のよいことは感じ取れて、なんとなく夫婦共々仲良くなれそうな予感はしていた。翌朝、元々器が好きだった妻は勢いよくやわい屋へ行き、お店をぐるっとまわって気に入ったお皿を2枚買った(そのお皿はHOUSEHOLDでお出しする朝食で使う大切なお皿になっている)。
それからというものの、普段偶然会うような場所には住んでいないんだけど、共通の友人が多いのも幸いして互いの近況を知る仲になった。HOUSEHOLDを立ち上げる頃、気づいたら朝倉夫婦がなんか心の支えみたいになっていることに気づいた。あれ、確か実際に会ったのは2、3回だけだった気がしたが…不思議なこともある。 夏に宿をオープンして間もなく朝倉くんは泊りに来てくれた。がんばったね、とほめてくれたことが純粋にうれしかった。そして秋には夫婦揃って2回目泊りに来てくれた。佳子ちゃんに直接会ったのはそのときがはじめてである。「佳子ちゃんとちゃんなつは似ている」と何回か言われたことがあったが、その理由がわかった。夫が好きすぎるんだ。さらにこのあたりで気付きはじめたのだが、「高山/富山、朝倉/笹倉」となぜか韻を踏んでいるし、クールな夫/夫が大好きすぎる妻と夫婦のコンビネーションも似ている。もしかして互いに親近感がわいたのはこんな単純ポイントだったのかもしれない。さて、一切「やわい屋」の説明になっていない。実際のところ、彼らのことをちゃんと説明しようとしても、彼らの目指す未来やその行動力を前にしたらなんだか陳腐になってしまいそう。だからわたしたちは「やわい屋の朝倉夫婦というわたしたちの大好きな友人が行商に来てくれますので、ぜひ彼らに会いに・器を買いにきてください」と言いたいと思う、言いふらそうと思う。大切なことなので2度いいます「彼らに会いに・器を買いにきてください」。